第27話
予定よりも早い襲撃開始の合図を受け、急ぎ行動を起こした可能なかぎりの迅速さで『カルイザワ』入口手前まで辿りついた。
(――よし! 入口に警備兵の姿はない!)
『カルイザワ』は三方を鉱山で囲まれた天然の要害であるが、砦でもなければ城塞都市でもない、ただの保養地だ。
一つしかない街の出入口には、二十四時間体制で警備兵が二人配置しているものの、その警戒対象は賊ではなく害獣である。篝火を絶やさないための要員であり、戦闘要員ではない。
しかし、その警備兵もいまは不在にしている。陽動が上手くいった証拠だ。
「よし! テメェら! 突入するぞッ!!」
ジーモンは不用意にも号令をかけてしまった。
もしここで、遠くの音が聞こえる
――いや、そもそも。
襲撃の合図となった火の手以外に黒煙が上がっていないのか。
陽動が成功しているならば、『カルイザワ』の目の前にいる襲撃部隊の耳に、悲鳴や怒号が届いていないのか。
慎重さ、注意力、状況把握能力、分析力、そして直感。
それらすべてが欠けているからこそ、三流以下に堕ちてしまった傭兵が集まった集団。それが此度の襲撃部隊であった。
「おぉぉぉぉぉおおおっ!!」
雄叫びを上げて『カルイザワ』の出入口を抜けた襲撃部隊を待ち受けていたのは、降り注ぐ矢の驟雨。
「――バカな!? 陽動は成功して――ッ!?」
刹那、無数の篝火が灯された。
炎が闇を払い、浮き上がらせたのは鉄製の大盾を構えた警備兵の姿だ。
(クソがっ! (陽動部隊のヤツら)しくじりやがったな!!)
胸中で悪態をつくジーモンは、腐っても歴戦の傭兵だった。
一瞬で事態を認識し、部隊の損害を把握する。
(
矢弾の鏃は潰されて丸くなっている。これならば運が悪くなければ死にはしない。最悪でも骨折程度で済んでいるはずだ。
事実、見える範囲で戦闘不能に陥っている傭兵は数名しかいない。
勢いは削がれてしまったが部隊の損耗は軽微である。
(ナメかかってきたことを後悔させて――)
そこでジーモンの思考は真っ白になった。
篝火が照らす半包囲陣形。その中に一人だっている禿頭の男に見覚えがあったからだ。
濃い紺色の小袖に灰色の袴、藍色の羽織を纏い、防具は鉢金と胴、籠手のみ。腰に二本の剣を佩いている。
よく見れば、半包囲している警備兵の格好も禿頭の男とまったく同じであった。
このような珍奇な格好をした武装集団をジーモンは一つしか知らない。
(だ、『ダイサッカイ』ッ!?)
「あ……あ……ああああ、あいつ……。間違いない……イジュウインだ……ッ!」
「『ダイサッカイ』の戦装束だと……ッ!」
「う、嘘だろ!?」
「死んだんじゃなかったのかよ……!?」
先頭にいる傭兵たちもイジュウインの存在に気づき、驚愕の声を上げる。
無理もない。
『ダイサッカイ』は五年前のシャウナス平原の戦で雇い主に裏切られて全滅したはずなのだ。
しかし、ジーモンも含めて歴戦の傭兵たちは、一目で眼前にいる禿頭の男が『ダイサッカイ』の団長であるイジュウインだと理解した。
見間違うわけがない。
数多もの戦場を駆け抜けてきた『ダイサッカイ』には、その戦場の数だけ敵がいて、味方がいた。襲撃部隊の傭兵たちの中には味方だった者もいただろう。敵だった者もいただろう。
味方であれば勝ち確といってもいい。
逆に敵であれば負け確だ。
「ひぃ……ッ! 俺はまだ死にたくねぇ!」
「ふ、ふざけんな! イジュウインがいるなんて聞いてねぇ! 俺は下りるぞ!!」
「俺も下りる! 勝てるわけがねぇ……ッ!!」
先頭にいた傭兵歴の長い者たちが我先にと踵を返して逃げ出していく。
ジーモンにそれを止めない。
なぜならば自分も逃げ出す隙を伺っているからだ。
勝てない相手に戦いは挑まない。命あっての物種。
傭兵として彼らは正しい選択をしている。
イジュウインの姿を目視できない後方にいる者たちも、「イジュウイン」「『ダイサッカイ』」の言葉を聞き、その名を知っている傭兵たちは混乱状態に陥っていた。
一方、傭兵歴の浅い――『ダイサッカイ』が表舞台を去ってから傭兵となった者たちは事態が呑み込めていないらしく、ただただ困惑している。
「『ダイサッカイ』? なんだそりゃ」
「おいおい、警備兵ごときに逃げ出すとか弱腰すぎるんじゃねぇのか?」
「へへ、逃げるヤツらは放っときゃいい。俺たちの取り分が増えるんだから歓迎じゃねぇか」
そこにジーモンは活路を見出した。
『ダイサッカイ』のイジュウインを知らない愚物共を吶喊させ、その間に自分が逃げる。
(生き残るにはこれしかねぇ……!)
そこにイジュウインの大音声が木霊した。
「某は元『ダイサッカイ』団長のイジュウイン! この名を聞いてもまだ戦う意思があるか考える時間をくれてやる! 猶予は某が十数えるまでだ!」
これが決定打となった。
傭兵にとって名乗りは自らの名声を高めるための神聖なもの。そこに嘘偽りはありえない。
ゆえに逃げ出していく同僚たちの「イジュウイン」「『ダイサッカイ』」の言葉が本当であるか判断が付かずに混乱していた歴戦の傭兵たちは、即断即決した。
わき目も振らず逃げていく姿は、いっそ清々しい。
残ったのは、『ダイサッカイ』もイジュウインも知らなぬ若い傭兵ばかり。数としては五十人弱といったところか。
半分以下にまで減った傭兵たちにジーモンは憐みの視線を送る。
(まさか『ダイサッカイ』のイジュウインを知らねぇバカがこんなにいるとはな……。ま、ありがたく俺の逃げる駒になってくれや)
「テメェら! 戦も知らねぇ温室育ちの警備兵どもなんかにビビってんじゃねぇぞ! 幾つもの戦場を渡り歩いてきた俺たちの力を見せつけてやれ!」
「おぉぉぉぉぉおおおっ!!」
「報酬は俺たちもんだ!!」
「ぶっ殺してやる!!」
「死ねやぁぁああああああっ!!」
気勢を放ちながら傭兵たちが突っ込んでく。
その鯨波を隠れ蓑にジーモンはひっそりと戦場をあとにした。
たしかに警備兵は命を懸けた戦いを知らない温室育ちだろう。
しかし、鍛え上げたのは、あのイジュウインだ。
『ダイサッカイ』は、戦で敗れて行き場の失った私兵や傭兵を集めてできた傭兵団だというのは、業界ではあまりも有名は話である。
つまり、『ダイサッカイ』の傭兵たちは初めから強者であったわけではなく、イジュウインの調練によって強者となったのだ。
そんなイジュウインの薫陶を受けた警備兵が弱兵であるわけがない。
(残ったのは五十人弱か。まぁこんなもんだろう)
アルアニアを離れて約五年。
エルヴィーラが入手した襲撃部隊の傭兵たちの一覧には見知った傭兵団の名前が連なっていた。彼らはイジュウイン敵対する意味をよく理解している。名乗れば早々に逃亡するのは目に見えていた。
一方、知らない傭兵団も半数近くあり、周囲に釣られて逃亡するか、稼ぎ時だと残るかは分からなかった。ただ、このような計画に加担している傭兵ならば大した腕ではない、というのがイジュウインの見解である。
訓練と実践では空気感がまるで違う。
殺す気できている相手に対し、こちらも殺す気で挑み、命を奪い合うのだ。
その経験を積めば積むほど兵士は強くなる。
今回は体面上、訓練ということになっているので人を殺す経験は積めないが、相手は殺しにかかってくるのだ。殺意を、死を意識するのに十分な状況である。
警備兵側に不利な要素ではあるが、傭兵たちの実力の低さがそれを補い、ちょうどいい難易度になっているはずだ。
ゆえに、イジュウインは指揮官に徹し、手を出す気はない。
もちろん挑んでくる傭兵がいれば相手になし、包囲網が突破されそうになれば支援にも向かう。
(もっとも、そんなヤワな調練はしてないが、もし某の手を煩わせるようなことがあればあとでみっちりしごいてやらないとなッ)
「
ただ相手を蹂躙するだけならば、全員に刀や長槍を持たせての乱戦でよかった。しかし、いまは後方に守るべき人を抱えての防衛線だ。しかも守るだけではなく敵を殺さずに捕えなければならない。
敵が後方へと抜けてしまう可能性が少しでもあり、不慮の事態で敵を殺してしまう危険性のある乱戦は悪手。
また、全員が大盾をもち、後方への道を塞いでいるだけでは敵を捕らえられない。
理想としては、大盾を隙間なく並べた上、その隙間から長槍を突きださせて槍衾を作れたらよかったのだが、警備兵の人数の都合上、それはできなかった。
大盾をもった警備兵は五十名。その間は人ふたり半分の隙間ができていて、完璧な半包囲網とはいいがたい。
その間隔を開けなければ半包囲網を築けなかったのだが、イジュウインはそれを逆手に取った。
「盾と盾の間が空きすぎだぜ!! ちょっと練度が低いんじゃねぇか!?」
先陣を切った傭兵が叫びながら突っ込んでいく。
傭兵は傭兵を知る。
まさにイジュウインの読み通りだった。
当然、対策は打ってある。
「お゛……っ」
先陣を切った傭兵がくぐもった声を上げて吹き飛んだ。
大盾は敵の攻撃から身を護る防具であるが、一枚の重工な鉄板でもある。
振り回せば武器になり、攻撃の瞬間を見極めて大盾を突きだせば相手の体勢を崩せる攻防一体の装備だ。
(
「おいおい、よそ見なんて余裕じゃねぇか」
煽られ、イジュウインは視線と意識を切り替えた。
六人の傭兵に囲まれている。それがイジュウインの状況だ。
普通に考えればよそ見している場合ではない。
――が、すでにイジュウインの瞳は淡く輝いていた。
「貴様らこそ某に六人も割いて余裕だな?」
「ハッ! テメェが大将なんだろ?
「そうか……。なら言い方を変えてやる。六人ごときで某に敵うとでも思ってんのか? あ?」
「バカか! 英雄譚じゃあるまいし六対一で勝てるわけねぇだろうが!」
その言葉を皮切りに、六人の傭兵が時間差で動いた。
正面、右斜め前、後方、右斜め後ろ、右斜め後ろ、そして左斜め前の順で斬りかかってくる。五人目までがすべて布石。三人目から五人目で後方からの斬撃でイジュウインの意識を後ろに固定させ、最後は直前とは真逆からの一撃で仕留める。
練度の高い見事な連携だった。
しかし、
正面の傭兵の斬撃を紙一重で避けて前蹴りを放つ。吹き飛ばされた先には、一太刀浴びせよう踏み込もうとしていた右斜め前から迫る傭兵がいる。
「――なっ!?」
激突。
これにより二人目の傭兵の相手をする時間がわずかに短縮された一瞬の空隙にイジュウインは血を蹴った。
もんどりうって転倒する二人を横目で見ながら、後方からくる三人目を無視し、向かうのは六番目に攻撃を仕掛けてくる左斜め前の傭兵だ。
完全に虚を突かれたのか目を見開き、剣を構えたまま硬直している。
当然だ。本来ならば向かってくる相手に対応するのが自然。まだ踏み込むどころか初期位置から動いていない者のところに迫ってくるとは誰が思うだろうか。
(甘いな。戦場とはいつどこで誰が狙われるか分からないもんだ。まさか、なんて驚いてたら――ッ)
刹那の隙が戦場では致命になる。
イジュウインの掌底が顎を打ち抜いた。
振り返り、再び五人の傭兵と向き直る。
倒れた二人はようやく起き上がろうとしたところで、残りの三人はたった一度、連携を崩されただけで明らかに動揺していた。
「ひ……ひとり倒したからっていい気になるなよ……ッ! こっちはまだ五人いるんだ……!!」
(
イジュウインは無造作に最も近い傭兵へと歩みより、間合いに入った瞬間に踏み込んだ。それは身体が地面すれすれの這うような鋭い踏み込みで、相手から見れば敵が視界から消えたように見えたはずだ。
そこから繰り出すのは、跳ね上がるような掌打。
顎の骨が砕ける感触とともに傭兵の身体が浮き上がり、背中から地面へと落ちていく姿を見届けることなく次の獲物へと駆け寄り、鋭い足払いを掛けた。転倒した傭兵に死なない程度の威力で喉に肘を叩き込み意識を奪う。
そうして立ち上がったところ、残りの三人の傭兵は武器を放り出して逃げていくところだった。
「………………他愛もない」
一言零し、イジュウインは捕縛用の縄を取り出して意識の失った三人の傭兵を縛り上げた。
ほかの傭兵と相対する警備兵たちへと視線を向ければ、そちらの戦いも終わりに差しかかっていた。
前衛には大盾を持たせ、中衛には槍ではなく
面倒な手段ではあるが、観客のいる見世物である以上、血が飛沫、臓物が四散する本物の戦を見せるわけにはいかない。
(どうやら無事に終わったようだな)
最後の一人を縄で縛りあげたのを見届け、イジュウインは号令をかけた。
「戦闘は終了したが、捕らえたものは牢へと叩き込み、街の安全を確認するまでが訓練だ! 重傷者は医療院へ運べ! それ以外の第一大隊は賊の護送! 第二大隊は街の巡回だッ!」
「ハッ!!」
警備兵の気持ちいい返事が木霊し、長い夜が明けていく。
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謝辞
12/2 22:00公開でお読みになられた方々へ。
確認ミスで前話と同じ内容がございましたこと心よりお詫びいたします。
誠に申し訳ございません。
Tさん
ご指摘してくださいました方、心より感謝申し上げます。
皆様
これからも応援の程、何卒よろしくお願い致します。
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