第25話

 その頃、『カルイザワ』に潜入していた陽動部隊は――

「――ッ!?」

 爆発音を聞き、バーデンは大慌てで旅館の客室の窓を開けた。

 『カルイザワ』の出入口とは反対の北東の方で紅蓮の炎と黒煙が上がっている。

「ど、どどどど、どどどどっ!?」

 あまりにも恐慌していて言葉が出てこなかった。

 バーデンが護衛と称して連れてきた傭兵たちが、日の出とともに建物に火をつけて回り、その炎が襲撃部隊への合図となる。

 警備兵は火災を消火の必死になり、来訪者たちは突然の火事で混乱している最中、襲撃部隊が『カルイザワ』を強襲する手はずだった。

 消火活動に集中している警備兵は、襲撃部隊に即応できない。陽動部隊は放火を続けているので消火活動の手を休めるわけにはいかない。さらには混乱した来訪者を落ち着かせて避難させなくてはならない。

 消火、撃退、避難。三つともが最優先事項で、一つでも疎かにすれば大惨事となる。同じ条件下ならば練度の高い王都の衛兵にすら対処は不可能だろう。

 しかし、作戦は一歩目から躓いてしまった。

 この時間、襲撃部隊は一リーユ(約四キロ)の地点で休息をとっている。合図を見てすぐに動いたとしても、襲撃までには半刻(約三十分)を要するだろう。それまでに消火活動が終わり、陽動部隊が捕縛されてしまっては何の意味もない。

「――クソッ! 傭兵たちあいつらはいったい何を考えているんだ……ッ!」

 バーデンと陽動部隊は別々の宿で休んでいた。というのも、放火する最初の建物を宿泊している旅館と決めていたからだ。

 ならばバーデンが陽動部隊とともに『カルイザワ』にくる必要がないと思うかもしれないが、それができない事情があった。

 『カルイザワ』は、そもそもが富裕層向けの保養地である。

 一流の傭兵団ならまだしも、日々の生活に困るような傭兵ゴロツキが来られるような場所ではない。だからバーデンがくる必要があったのだ。

 男爵の護衛として雇われた傭兵ならば、なんら不自然ではない。

 そして、私兵ならまだしも、雇われた傭兵風情が雇い主と同水準の旅館に宿泊するなどあり得ない話だ。

 理論武装は完璧で、怪しまれることなく別々の旅館に宿泊できたのだが、まさか陽動部隊が計画依頼を無視して先走るとは誰が思うだろうか。

 その上、放火ではなく爆破である。これでは異常に気づいてくれと言っているようなものだ。警備兵が駆け付けれくれば複数の建物に火を放てなくなってしまう。

 案の定、旅館の中が慌ただしくなり、複数の足音が廊下を駆け抜けていった。

(部屋の中に閉じこもっているのも不自然か……)

 計画の進退に不安こそあれ、この旅館に火を放たれることはないと知っているからこそ、身の危険に対しての怯えはない。

 だが、状況を知らなない者ならば責任者に説明を求めるのが普通の行動だろう。

 そう思い、バーデンも部屋を出て、他者と同じように下の階へと向かった。

 そこには宿直の警備兵に詰め寄っている宿泊者たちがいた。

「いまの爆発音はなんだ!?」

「ちょっとどうなってるの!?」

 宿泊者たちは寝起きを爆発音で叩き起こされたのだから、当然のように寝巻だ。

 しかし、警備兵は制服をしっかりと身に付けている。宿直なのだから制服で寝ていたのかもしれないが、雰囲気からして寝起きのようには見えなかった。

 一階にはたくさんの蝋燭が灯されているのも違和感がある。

 まるで事前に予期して待機していたようだ。

「落ち着いてください! 皆様に危険はございません! 街に入る際にお伝えいたしましたが、これは訓練です! 繰り返します! 皆様に危険はございません! これは訓練です!」

「た、たしかに聞いてはいたが……!」

「本当に大丈夫なんでしょうね……?」

 警備兵の説明に宿泊客の威勢が衰えた。

 一方、バーデンは焦燥を駆り立てられる。

(訓練……? 訓練だと……!? そんな話は聞いていないぞ!?)

「……失礼。バーデン男爵ですね?」

「だ、だだだだだ、誰だきさきさきさ貴様は!?」

 いきなり声を掛けられ、極度の人見知りかつ小心者のバーデンは心臓が止まるのではないかと思うほど驚いた。

 振り向いた先にいたのは、濃い紫みの青ラピスラズリの瞳に鮮やかな青セシリアンブルーの瞳をした美女だった。まったく鍛えられているように見えなかったが、服装からして警備兵なのだろう。

「驚かせてしまい申し訳ございません。主より伝言を賜っております」

 女はバーデンの耳元に顔を寄せ、そっと呟いた。

「――『なにもしなければ見逃してやる。傭兵とお前は無関係だった。いいな?』」

「はひッ!?」

「たしかにお伝えいたしました。それでは失礼いたします」

 美女は踵を返し、優雅な足取りで去っていく。

 呆然とするバーデンの耳に、宿泊客の対応をしていた警備兵の声が届いた。

「皆様には大変ご迷惑をおかけしております! その代わりではございませんが、皆様からのお部屋から訓練風景をご覧になっていただけるかと存じます! 此度の訓練は傭兵を雇っての本格的な訓練でございます! 今後、同様の訓練を行う予定はございません! 是非とお見逃しなきよう!」

 その言葉の力は絶大であった。

 警備兵の言葉を信じるならば、本格的な訓練は今日限り。自慢話をするのにこれほど恰好のネタはない。

「――ッ!? それを先に言ってくれ!」

「早く部屋に戻るぞ!!」

「皆様お待ちください! ここから訓練場所まで距離が離れております! 遠くが見える神に祝福された証ゼーゲン持ちでなければよくはみえないでしょう! しかし、ご安心ください! 誰でも遠方を見ることが出来る双眼鏡オペラグラスをご用意いたしました! 本日に限り無料でお貸出しいたします! お土産屋で販売しておりますので、お気に召しましたら是非ご購入下さい!!」

 警備兵というよりも、最早やり手の商人だ。

 この場で貴重な訓練風景が肉眼で見られる道具があるならば――それも無料で貸し出されるならば、誰もが欲しがって当然だろう。

 双眼鏡オペラグラスに群がる宿泊客を見ながら、バーデンは膝から崩れ落ちていた。

(すべて………………すべて、コルダナ男爵の掌の上だったと言うことか……)

 予定より早く火の手が上がったのも、一階に蝋燭が灯されていたのも、警備兵がこの事態を予期していたかのような対応をとっていたのも、双眼鏡オペラグラスが用意されてたのも、最初から仕組まれていたとすれば筋が通る。

 警備兵の制服を着た美女の言葉から察するに、陽動部隊の傭兵たちもすでに捕縛されているに違いない。

(いったいいつから………………)

 考えるまでもない、と無駄だと頭を振るう。

 最初からだ。最初からツェーザルは『カルイザワ』襲撃計画を知っていたのだ。

 どのような方法を使ったのかは知らないが、おそるべき情報収集能力である。

 バーデンはゆるりと立ち上がり、双眼鏡オペラグラスを渡している警備兵のもとへと向かた。

「……私にも双眼鏡オペラグラスというものを貸してもらえるかね」

「もちろんです! どうぞ!」


「旦那様……!?」

 バーデンが部屋に戻ると顔面を蒼白にした従者が駆け寄ってきた。

 『カルイザワ』襲撃計画を知らない従者は、純粋に爆発騒ぎを心配しているのだろう。

「大丈夫。どうやら大規模な訓練らしい。ここで観戦もできるそうだ」 

「訓練……でございますか……。しかしそれならば一言あっても然るべきでは……」

 正論だ。

 バーデンはしばし考え、責任を傭兵に擦り付けることにした。

「どうやら護衛として雇った傭兵に伝えたらしい。まったく使えぬ者たちだ。宿泊先でも問題を起こして街の者に迷惑をかけたようだ」

「なんと愚かな……。旦那様の顔に泥を塗るようなマネを……」

 小心者で極度の人見知りであってもバーデンは貴族であった。

 従者の怒りの矛先を言葉一つで変え、自分は窓先へと向かう。

 木窓を開けて『カルイザワ』の街の玄関に目をやって双眼鏡オペラグラスを覗けば、百人弱の警備兵が綺麗な陣を敷いていた。

 後衛には弓兵。中央に槍兵。前衛に身の丈もある大盾をもった警備兵が、街の出入口を半包囲するかたちで整然と隊列を組んでいる。

 そして、その半包囲の中央には禿頭の男が一人佇んでいた。

 おそらく警備部隊の隊長格なのだろう。

「謀れたか――」

 呟き、バーデンは頭を振るう。

(違うな。これはコルダナ男爵が一枚も二枚も上手だったのだ)

 『カルイザワ』襲撃計画に穴はなかったはずだ。

 ただ、賊に襲撃されるだけで『カルイザワ』の評判は地に堕ちる。たとえ被害が少なかったとしても、被害が出るだけでいいのだ。来客者に“また起こるかもしれない”、“ここは安全ではない”と印象付けられたら、それだけで目標は達成される。誰だって安全ではない保養地に訪れようとは思わないだろう。

 失敗するはずのない計画だからこそ、バーデンはルプンの話に乗ったのだ。

 しかし、結果はバーデンの予想を盛大に裏切った。

 まさか襲撃部隊を“自分たちが訓練のために雇った傭兵”と公然と嘘を吐き、訓練と称することで襲撃されている事実を揉み消すなど誰が予想できるだろうか。

 しかも、その襲撃訓練を見世物にした上、新商品双眼鏡の宣伝に使うなんて普通の神経ではない。

 バーデンとツェーザルは同じ男爵位だが、格の違いを見せつけられたような気がした。

 だが、まだ計画が失敗したわけではない。

 襲撃部隊を『カルイザワ』に一切被害を出さずに捉えられてこそ“訓練”であったと誤魔化せるのだ。その被害の中には警備兵の死傷も含まれる。多少の重軽傷ならば不慮の事故で済ませられるが、あまりにも多くの死傷者が出れば訓練だと言い張るのは難しくなる。

 襲撃部隊に対しても同じだ。“訓練”のために雇った傭兵を死傷させてしまうわけにもいかない。

 襲撃部隊は戦闘経験豊富な傭兵が約二百。対して戦闘未経験の警備兵は約百人。

 数でも質でも劣っている警備兵が、殺さず、重傷を負わさずという不利な条件を背負って襲撃部隊を撃退できるわけがない。

(普通ならばそう考えるのだが……。ここまで周到に襲撃対策を打っているコルダナ男爵が詰めで誤るとは思えぬのも事実)

「何もしなければ見逃してくれというし、せっかくの機会だ。ゆっくり訓練の様子でも観戦するとしようか」

 バーデンはあくまで『カルイザワ』襲撃計画の見届け人を頼まれただけである。

 陽動、襲撃部隊の傭兵の雇い主はあくまでルプンで身銭を切っているわけでもない。計画の失敗もバーデンに一切の責はない。

 だからバーデンは気持ちを切り替えた。

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