第20話

 コルダナ男爵領には、領主の住む本村と二つ村がある。

 フェリクスが真っ先に訪れたのは本村ではない村の方だ。ツェーザルの情報を嗅ぎまわるのに、本人のいる可能性の高い本村に行く勇気はない。

 はじめて訪れるコルダナ男爵領は、噂どおりの長閑で辺鄙な領地らしい村だった。

 規模にして二十人弱の村人がのんびりと穏やかに暮らしている。

 そこに元娼婦どころか、若者の姿すら見当たらない。

(いったいどうなっている……?)

 メフィレスの生産はたしかに重労働ではないが、原材料であるケシの実の抽出液を採取するには相当な人数が必要になってくる。

 この村はハズレで、もう一つの村が本命だったのだろうか。

「おや、こんな辺鄙な村に御客人とは珍しいのぅ」

 話しかけてきたのは、腰の曲がった老人だった。

 彼の言うとおり、この村から隣の領地に行くまで馬車で二日。さらにそこから村に辿りつくならば、徒歩で二日も掛かる。

 特産品があるわけでも、巡礼地になっているわけでもなければ、風光明媚な場所があるわけでもなく、盗賊さえ襲う相手がいなくて蔓延っていないほどの陸の孤島に、ふらりと尋ねてくる物好きがいるわけがない。

 ありていにえば、不審者だ。

 しかし、そこは王女派筆頭の重臣。ドレーアー伯爵家の嫡男である。

 怪しまれないための準備は万端だ。

「領主様が変わられてからコルダナ男爵領が良くなったと伺ったものですから、主に様子を見て来いと言われまして」

「こ、これはお貴族様の使者様でございましたか……。そうとは知らず大変ご無礼を……」

「いえ、主はともかく私は平民ですからお気になさらず」

 ――ということにしておかなければ、ロクな話もできないだろう。

 普通の貴族の嫡男であれば、矜持が邪魔をして平民の演技などできるはずもないが、フェリクスはまったく気にしない。

 自分はたまたま貴族の家系に生まれてきただけであり、もしかしたら平民――それどころか奴隷の子として生まれていたかもしれないのだ。

 それこそ神の気まぐれ。偶然の産物である。

 自分が偉いわけでも凄いわけでもない。

 本来あるべき貴族の教育とは真逆。

 だが、誰ひとりとして咎める貴族はいない。

 それは彼が道化の貴族ドレーアー家だからだ。

 同じ価値観ばかりの者たちで構成された組織は停滞ないしは腐敗することを危惧した初代国王が、侍らせていた道化師に爵位を与えたという。

 初代ドレーアー伯爵は、良い得て妙だが真面目な道化師だった。

 貴族となったからには、貴族の常識や教養を身に付けなければならないとし、それがいまも脈々と受け継がれている。

 王家も同様に先代の国王まではドレーアー家を重用していた。

 常識に対して反対意見を唱えるのが宮廷道化師の真髄。

 ゆえに即殺処分しなければならない忌子を託すのにこれ以上の適任はいなかった。

「ところでご老人。実際、新しい領主様はいかがですか?」

 フェリクスはすぐさま、目的をツェーザルのリアルな評判の調査に切り替えた。

 本来の目的である元娼婦の足取りは、目の前にいる老人の一言で達成してしまったからだ。

 もし元娼婦らがコルダナ男爵領に移住しているならば「御客人とは珍しい」とは言わない。

 老人が嘘をついているという可能性もない。その理由がないからだ。

 つまり、コルダナ男爵領に元娼婦よそ者たちはやってきていない――となれば考えられる可能性はただ一つ。

(隠れ里か……。問題はどこにあるか……だけど)

 情報に精通したエルヴィーラがいるため、その場所を見つけることは困難を極める。

 だからこそ、フェリクスは元娼婦の行先を探るのを諦め、ツェーザルの情報収集に切り替えたのだ。仲良くなるには相手を知ることが一番の近道である。

 質問を受けた老人は、嬉しそうに、そして誇らしそうに言った。

「最高の領主様ですよ。物価も下がったし、税も軽くなった。毎日二食、ちゃんと食べらるようになった。それがどれだけ幸せなことか……」

「そ、それは……」

 フェリクスは言葉を詰まらせた。

 老人の言葉を裏を返せば、これまで物価が高く、税も重く、毎日二食も食べられなかったということだ。

 よほど辛い環境だったのだろう。

「先代の領主様も悪い御方ではなかったのです。ただ……お世継ぎがお生まれになられてから変わられてしまった……。奥様は肥立ちが悪く亡くなられ、忘れ形見であるお子様も生まれながらにして病に侵されていたとなれば…………」

(救いがないな……。心が壊れてしまってもおかしくはない)

「それを好機とみたのでしょう。クライネル商会はご息女のハンネ様を後妻に押込み……あとはやりたい放題でした」

(これが物価高と重税の理由か……)

 クライネル商会の悪評は王都にも聞こえてきている。金儲けのためならば国法に触れる以外のなんでもやるという中堅どころの商会だ。まさか、僻地とはいえ男爵領を牛耳っているとは思っていなかった。

「それを今代の領主様が一掃された……と?」

「はい。ツェーザル様の呼びかけに応え、一揆を起こしたのです」

「…………は?」

 聞き捨てならない一言に、フェリクスは間の抜けた声を上げる。

 一揆。つまり反乱だ。重罪である。

「ちょ……ちょっと待ってください。一揆――」

「おや、ロキ爺さん。どうしたんだい、その人は?」

 野菜の入った籠を背負っている老婆に、フェリクスの言葉は遮られてしまった。

 老人は老婆に嬉しそうな顔を向ける。

「おぉエッダ婆。聞いてくれ、この人はお貴族様の使者様で、ツェーザル様の素晴らしさを耳にして遠路遥々きてくださったそうだ。ちょうど今、ツェーザルのお話を――」

「なにやってんだいあんた!?」

 エッダはロキの髪を引っ掴み、頭を下げさせる。

 そして自らも深々と頭を垂れた。

「申し訳ありません使者様ッ! 立ち話させるなど大変失礼なことを……ッ!」

 その様子を見てフェリクスは苦笑を浮かべる。

「いえ、気にしないようにと私が頼んだんです。――ところで、一揆を起こしたというのは本当ですか?」

「え……、えぇ、本当のことです。ツェーザル様の病はとうの昔に完治されておりました。しかし、後妻のハンネ様はツェーザル様を山中の使われていない小屋に幽閉していたのです」

 あまりに危機感のなさすぎる返答にフェリクスは頭を抱えたくなった。

(この者たちは反乱を起こした意味を理解していない――わけがない……か。領主に弓引けば重罪だと、どんな平吉の子供でも知っているはずだ)

 良くて無期限の鉱山奴隷。最悪は死罪……いや、鉱山奴隷となって劣悪な環境で辛く苦しみながら死ぬよりも、一思いに殺されたほうがマシかもしれない。

「反乱は重罪です。私が誰かに告げ口をするとは思わないのですか?」

「反乱って……使者様、そんな物騒なことを仰らないでください。ワシらはツェーザル様の呼びかけに応えて一揆を起こしたのです」

「いや……ですからそれが反乱だと言っているのですが……」

 いくら教育を受けていない地方領地の領民とはいえ、話が通じないとは思わなかった。

 フェリクスとて伯爵家の嫡男だ。反乱が起こっていたとなれば見過ごすことはできない。出来るかぎり情報を収集して持ち帰る必要がある。

 しかし、このままでは埒が明かない。

 そこにロキが話に割り込んできた。

「エッダ婆。話が嚙み合っておらんぞ。使者様はダミアン様をご存じないのだ。まずはそこから話す必要があると思うがの」

「おぉ、そうさな。ロキ爺さんもたまには良いことを言うもんだ。――使者様。ダミアン様というのは先代の領主様とハンネ様の間にできた御子。つまりツェーザル様の腹違いの弟君になります。自らが腹を痛めて産んだ子に爵位を継がせたいと思うのは当然の親心でしょう。ツェーザル様がご病気のままであれば問題はありませんでした」

(…………なるほど。それで幽閉の話に繋がるわけか)

 いくら嫡男とはいえ、闘病中の者に爵位を継がせることはできない。

 が、ツェーザルは病を克服してしまった。

「ダミアン様に爵位を継がせるため、ツェーザル様を幽閉したと?」

「はい、ご賢察のとおりです」

(だから、ツェーザル様の呼びかけに応えて……となるわけか)

 一揆とは、農民らが団結して起こした暴動と思われがちだが――事実フェリクスもその意味で捉えていたが――本来の意味は農民などが目的のために組織した集団だ。

 一方、反乱は支配者に対して被支配者が徒党を組み、暴力的行動によって不満の解決を図る行為である。

 一揆と反乱は似ているようで、まるで違う言葉なのだ。

 コルダナ男爵の嫡男が旗頭となり組織した集団――ツェーザル派は、ダミアン派と継承権を巡る争いを起こした。

(たしかにこれは反乱ではないな。ただのお家騒動だ)

「しかし、よく幽閉されていた山小屋から抜け出せたものですね」

「はい。どのような方法を使ったのかは分かりませんが、ツェーザル様は監視役であり乳母でもあるアデーレ様をお味方に付けておりました」

「監視役が篭絡されているのであれば、抜け出すのも簡単か」

「左様です。ツェーザル様は夜な夜な、秘密裏にワシらとお会いになられ、困窮している現状を嘆いて誓ってくださいました。『ハンネは男爵位を簒奪しようとしている。そのようなことを赦すわけにはいかない。亡き母上のためにも正統なる後継者である僕が爵位を継承し、そなたらの生活を少しでも豊かにして見せる』と」

 ロキの言葉にエッダは深く頷き、話を引き継いだ。

「幾度となく会合を重ね、領民我々は覚悟を決めたのです。なにもしなければ、明日の食事すらままならない生活が続く――ならば、ツェーザル様に賭けてみようと」

「一揆を起こしたとき、クライネル商会の者たちの顔は本当に傑作だったねぇ」

「かはは、ざまぁみろじゃ。あれほど胸がスカッとしたのは生まれて初めてじゃ。倅にも見せてやりたがったのぉ」

「そりゃあたしも同じだよ」

「なるほど。ツェーザル様は素晴らしい御方なのはよく分かりました」

(機を見るに敏。人心掌握も優れている。一癖も二癖もありそうなイジュウイン殿にエルヴィーラ嬢を御している手腕。想像以上の傑物だ。なんとしてでも王女派の味方となってもらいたいものだが……)

 フェリクスも伊達に貴族に名を連ねているわけではない。

 ここまで話を聞けば、先代のコルダナ男爵の死因も疑わしくなってくる。

 公式には自死となっているが――

(一揆によってハンネとダミアンは殺されたのだろう。後妻と次男が殺されたことに絶望して自ら命を絶った……と考えるのが普通だが)

 相手はリアと比肩しうる才覚を持つであろうツェーザルだ。

 自死に見せかけて殺害していても不思議ではない。

 事実、出来すぎているのだ。爵位継承の時期が。

 だらこそ踏み込む。探りを入れる。

「先代の領主様の死は誠に残念でした」

「誠に。先妻様に先立たれるまで先代の領主様は善き御方でした。すべてはハンネ様――いや、クライネル商会が悪いのです。奴らがいなくなれば先代の領主様も目を醒まされる…………と思っていたのですが…………」

「まさか自決されるとは……。一度にご両親を亡くされたツェーザル様の御心を考えると…………」

「気丈に振舞っておられるツェーザル様を見るのは辛くもあるが……アウレリア様が献身的に支えているから心配はないと思うがの」

「仲睦まじいのはいいけどねぇ。奥手すぎやしないかい? まだ手を付けていないって話じゃないかい」

「男には男の事情があるんじゃ。ここは温かく見守るのがワシらの務めというものじゃろう」

「……………………」

 なんだかとても平和的だった。

(これ、王女殿下になんて報告すればいいんだ……?)

 複雑すぎるコルダナ男爵家の事情にフェリクスは頭を抱えざるを得なかった。


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2024/8/11:加筆修正。誤字脱字の修正と一部表現の変更。 

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