第22話

「ツェーザル様ー。フェリクス様がお越しなんですが、お会いになりますー?」

「――は? アイツ、王女殿下のもとに帰ったんじゃねぇのかよ」

 執務室へとやってきたアウレリアの言葉に、ツェーザルは眉を顰める。

 フェリクスが、こそこそとツェーザルの情報を調べているのは知っていた。

 遠路遥々コルダナ男爵領の村落に訪れ、領民からツェーザルの話を聞いたあと『カルイザワ』に行ってアイスラーと会談。目ぼしい情報が手に入ったのか、そそくさと『カルイザワ』をあとにしたと報告が上がってきている。

 コルダナ男爵領は何もない辺鄙なところだが、野生の動物が紛れ込んでくることもあるため最低限の兵士は常駐させているし、『カルイザワ』に至っては常に厳重な警備体制を敷いていた。フェリクス不審者の監視など造作もない。

 それが二ヵ月ほど前。

 日数的には、ちょうど王宮――王女殿下のところに帰還している頃合いなのだが、いまコルダナ男爵領ここにいるということは、途中で引き返してきたのだろう。

(このクソ忙しいときにナメやがって……)

「王女殿下の側近直々のご訪問だ。会わないわけにはいかねぇだろ。もうちょっとでキリがよくなる。それまで紅茶でも飲ませとけ」

 アポなしの訪問なのだから、少し待たせるぐらいは許されるだろう。

 書類仕事を切り上げ、執務室を出るとリビングダイニングには脚を組んで優雅に紅茶を啜るフェリクスがいた。

 無性に殴り飛ばしたくなったが、外向けの仮面ペルソナは頑丈だ。

「やぁコルダナ男爵。近くにくるようじがあったから、ちょっと立ち寄らせてもらったよ」

「それはそれは、こんな辺鄙な場所にようこそおいで下さいました。王女殿下の側近様は随分とお暇であられるようですね」

 嫌味の一つぐらいは許されるだろう。

 王宮から二ヵ月もかかるようなド僻地に、王女派の側近が立ち寄るような場所は一切ない。完全な口実だ。

「ははは、さすがはツェーザル殿。もう俺の正体に気づくとはね」

「フェリクス殿。名前で呼ばれるほど貴殿と親しくなった記憶はないんですが?」

「おやおや、それは見解の相違というやつかな。偽メフィレスの件では本当に助かったんだよ。だから、これはその好意の表れというやつだね」

「実に有難迷惑な話ですね」

「それほどでもないよ。この件ではリア王女殿下もとても感謝していてね。恩返しとしてツェーザル殿に有益な情報を持ってきたんだ」

「あ、そういうの間に合ってるんで。他に用事がないならお引きいただいても?」

(まぁ無駄だろうな……)

 忙しいオーラを全開に放出しているが、いまのフェリクスはあえて空気を読んでいない。

 案の定、紅茶を一口すすり、強引に話を進めてきた。

「『カルイザワ』での犯罪件数が先月から急に低くなったのは気づいてるよね? 実はあれ、ルプン伯爵が嫌がらせを止めたからなんだけど知ってたかな?」

「…………」

 あまりにも予想外の情報に、ツェーザルはしたたかに混乱した。

 『カルイザワ』で発生していた犯罪は、前世でいうところの軽犯罪にも満たないいざこざばかりだ。新宿歌舞伎町で暮らしていたツェーザルからすれば日常的な風景で、嫌がらせを受けているという認識すらなかった。

 だから、エルヴィーラに犯罪件数の多さ調査すら依頼していない。

 先月から犯罪件数が大幅に減少したのは、イジュウインらの努力の賜物だろうと思っていたのだ。

(つーかルプン伯爵っていえば国王派の重臣じゃねぇか。上位貴族がそんなシケた妨害行為なんざするとは思わねぇだろ……)

 元ヤクザツェーザルからすれば、防犯カメラもなければ指紋による個人の特定すらできないこの異世界は、犯罪し放題のパラダイスだ。現行犯や目撃者さえいなければ人を殺してもシラを切りとおせばいい。仮に現行犯や目撃者がいても、そいつらを殺してしまえば完全犯罪の達成だ。密室トリックなんて使う必要がない。

 上位貴族ならばなおのこと、権力を振りかざしていくらでも横暴で理不尽な手段がとれるのに、軽犯罪未満の嫌がらせを仕掛けてくるとは想像の埒外というものだ。

(…………いや、ちょっと待て)

 フェリクスがツェーザルに接触してきたのは、ツェーザルが国王派が用意した替え玉ニセモノだと疑っていたからだ。

 しかし、それであれば国王派の重臣が『カルイザワ』に嫌がらせをするのは筋が通らない。

「フェリクス殿はそれを知っていて、僕が国王派と繋がっているのではないかと疑っていたんですか?」

「いや、あのときは本当に知らなかったんだ。俺が調べていたのはあくまでメフィレスであって、『カルイザワ』じゃなかったからね」

 言い訳がましいが、一理はある。

 特定の情報を得ようとするならば条件を絞るのは当然の措置だ。

「まぁ済んだことなのでどうでもいいです。同じようにルプン伯爵による『カルイザワ』の嫌がらせも止まったようなのでどうでもいいですね。情報提供には感謝しますが。――ではお引き取り願っても?」

「つれないな~。恩返しといっただろう? 本題はこれからだよ? ルプン伯爵が嫌がらせを止めたのは理由があってね。傭兵を集めて『カルイザワ』を襲撃しようとしているからなんだ」

 フェリクスはとっておきの情報とばかりにドヤ顔をかましている。

(うぜぇ……。つーかコイツが途中で引き返してきた理由はコレか……)

 大方、王女殿下から連絡が届いたのだろう。それをツェーザルに知らせにきた理由は皆目見当がつかないが、楽しい理由である気がしない。

 そして、その情報はすでにエルヴィーラから報告が上がってきているため、フェリクスを追い出すのを止める理由にはなりえない。

 そもそも、ツェーザルがいま現在多忙を極めているのは、国王派がかき集めた傭兵を盗賊に見立てて『カルイザワ』を襲撃しようという稚拙な行為の対策を打っているところだからだ。

 フェリクスは、まるでルプンが黒幕であるような言い方をしているが――おそらくそれは事実なのだろうが、状況証拠だけで決定的な証拠を掴んでいるわけではないだろう。なにせ、この異世界では簡単に言い逃れが可能なのだ。誰かが責任を取らなければならない事態に発展したとしても、スケープゴートにされる適当な貴族も見繕っているに違いない。

 そう考えた上で、ツェーザルは話を聞く必要はないと切り捨てた。

「そうですか。ではアウレリア。フェリクス殿はお引き取りされるそ――」

「ちょちょちょちょちょ――ッ!?」

 ブラフでも何でもなく、本気で帰って欲しいと思っていると気づいたフェリクスは本気で慌てていた。

「もったいぶった言い方をして悪かったって! そう短気を起こさないでくれよ! エルヴィーラ嬢がいるんだから、このぐらいの情報は知っていて当然だよな! その対策に忙殺されてるのも分かる!」

「分かっているならお引き取り願いたいのですが? ガチで忙しいので」

「正気かツェーザル殿ッ!? いくらイジュウイン殿がいるからといって男爵程度で凌げるような襲撃じゃないことぐらい分かるだろう!?」

 腰を浮かせて前のめりに訴えてくるフェリクスにいい加減鬱陶しくなってきたツェーザルは嘆息を吐いた。

「――はぁ。面倒くさいですね……まったく。分かっていないのはフェリクス殿です。下手に王女派と関わって派閥争いに巻き込まれたくないんですよ、僕は。そもそも襲撃を事前に察知している時点で奇襲にはなりえませんし、領兵を鍛え上げたのはイジュウインダイサッカイの団長ですよ? そこらへんの傭兵に後れを取るわけがありません。あと支援のことですが『カルイザワ』の初期投資分も順調に回収できていますので、そちらも必要ありませんね」

「バカな……。そんな早くに資金回収できるわけがない……ッ」

 訝しむフェリクスに、ツェーザルが口を開きかけたところ、階段の軋む音が聞こえてきた。視線を投げると、そこにはクラウスの姿があった。

「失礼。大声が聞こえたものですから何事かと様子を見に来たのですが……」

「心配かけて悪いね。もう少しでお引き取り願うところだから大丈夫だよ」

「左様ですか。では私は仕事に戻らせていただきます」

 自室に戻るクラウスの背を見届け、視線をフェリクスに戻す。王女殿下の側近は、なぜだか目を見開いて驚いていた。

「――クラウス……ハインミュラー……!?」

「おや、彼をご存じで?」

「知らないわけがない……! ほんの一部の者しか知らない話だけどね、シャハナー侯爵の嫡男が横領をしていたんだ。その事実を見つけて糾弾したのがハインミュラー殿だよ。息子の不正を揉み潰すため、ハインミュラー殿は王宮を追われることになったんだけどね」

「……あー、なんかそんなこと言ってたかな」

 なんともクラウスらしいエピソードだ。

 立場や役職など関係なく、誰であろうと不正は不正。糺すべきである――という融通の利かない男なのだ。

 ちなみに、公には懲戒免職ではなく依願退職扱いにされている。これはクラウスに情けを掛けたのではなく、嫡男の不正を知られたくないための措置だろう。

 なんのせよ元王宮勤めの文官となれば仕官先には困らない――が、持ち前の融通の利かなさが災いして各領地を転々としていた。

(そのクセ俺の悪行には文句ひとつも付けてこねぇんだよな……)

 スラムの住民を拉致して子供の小遣い程度の賃金で過重労働をさせたり、奴隷を買って娼館で働かせたり、貸せないと分かっている相手に融資をしてその担保として土地を奪ったり、色々とエグイことをしているんだが……、と悪行の数々を思い浮かべて不思議に思う。

 それと同時に――

(こんな有能な文官を手放すなんて国王陛下や在地貴族たちも見る目がねぇよな)

 クラウスがいなければ、コルダナ男爵領はここまで発展していなかったと言い切れる。ツェーザルにも同じことはできるが、一人で出来ることは限られているからだ。

「なるほど……どうりで……」

「フェリクス殿?」

 目に見えて意気消沈している姿は、プレゼンに惨敗したサラリーマンを彷彿とさせた。

「……いや、ハインミュラー殿が王宮を去ってから王宮の文官たちが過労で倒れ始めたんだよ。なんでもハインミュラー殿の抜けた穴を埋められないとか……。そんな優秀な人材が臣下にいるなら、コルダナ男爵領の財政が安定しているのも納得だと思ってね……」

「当然ですね。僕の幹部は優秀な者ばかりですから」

「その通りだね。――でも、ホントに王女派うちの支援を断っちゃってもいいの? 王女派に関わりたくないのは分かるけどデメリットの方が多くない? いくら私兵が優秀だとしても被害を一切ださないなんて無理でしょ。国王派の狙いは『カルイザワ』に賊を襲撃させて評判を落とすこと。実に簡単な仕事だ。防ぐのは容易じゃないと思うけどね? 実際、アテはあるのかい?」

「それを聞いてフェリクス殿はどうするんですか?」

「リア王女殿下からツェーザル殿に仲良くするよう頼まれてるからね。国王派に欺瞞情報を流してやろうかと」

 ツェーザルは傍らに控えているアウレリアを一瞥する。

 首を横に振るった。フェリクスの言葉に嘘はない。

(まさか……途中で引き返してきた理由が仲良くなりたいからとか……)

 想像をはるかに上回る低俗な理由に唖然とする。

 フェリクスの言葉に嘘はない……が、背後にいる王女殿下の言葉が誠である保証はない。

「僕の答えは変わりませんよ。王女派と関わり合いたくないのですからね」

「はぁ……。なんとも嫌われたものだね。――さて、どうしたものか……」

 フェリクスは瞳を閉じてしばし黙考した。

 瞼を上げて、深い紫みの赤ラズベリーの瞳がツェーザルを探るように見つめてくる。

「――リア王女殿下もツェーザル殿と同じ存在……と言ったら?」

「畏れ多いことですね。最も貴き血をもつ王女殿下と一介の男爵である僕が同じ存在であるはずがありません」

 意味深長すぎるフェリクスの一言にノータイムで返答できたのは、元ヤクザとして数多くの修羅場を潜り抜けてきた経験があったからだ。

 一瞬でも間を空けてしまえば、心当たりがあると言っているようなものである。アウレリアを一瞥するのも悪手。リアとツェーザルが同じ存在という言葉の真偽をたしかめる理由があると思われてしまう。

 そこで反射的に選んだのはもっとも無難な返答。

 フェリクスの言う“同じ存在”が貴族を指していないことは明らかだからだ。

「おや? 情報通のツェーザル殿がリア王女殿下のお姿をご存じでないとは驚きだね。殿下も貴殿と同じく目を隠しておいでだ。嘘だと思うならエルヴィーラ嬢にでも聞いてみるといいよ」

「それは存じ上げませんでした。王女殿下も目が不自由だとは。さぞご生活に不便されていることでしょうね」

 リアの情報はエルヴィーラ経由で耳にしている。

 ファーテンブルグで初めての孤児院や庶民向けの治療院を設立した人物で、公衆衛生の概念を広めた立役者だ。医療系の神に祝福された証ゼーゲン持ちを探しているツェーザルが注目していないわけがない。

 もし、リアの周囲に医療系の神に祝福された証ゼーゲン持ちがいたならば、ツェーザルの方から進んで王女派に加えてもらえるよう働きかけていただろう。

(王女サマの見てくれなんて興味なかったからな……)

 ツェーザルの興味はリアの人脈であって、容姿容貌ではない。王女が目を隠しているだなんて、いま初めて知ったことだ。

 “同じ存在”というキーワード。そして、二人とも目隠しをしているという共通点。

 事情を知らない物からすれば、お揃い的な意味に捉えられる。

(――王女サマも忌子ってわけか)

 これは当事者ツェーザルにしか伝わらない秘密のメッセージだ。

 部外者アウレリアに知られないように、もしツェーザルが忌子でなかった場合でも言い訳できるようにと二重の保険が掛けられた台詞。

 なるほど、たしかにツェーザルとリアは“同じ存在”だ。

 ファーテンブルグにおいて忌子は見つかり次第、即座に殺される。そんな存在が他にいるとは思わないだろう。

 ――だから仲良くやりましょう?

 フェリクスを介して届けられた忌子リアのメッセージは、正確にツェーザルへと届けられた。

忌子同胞を失いたくないという王女殿下のお気持ちは受け取りました。ですので襲撃の対策は教えます。しかし、それだけです。いまはまだ表立って王女派と組むわけにはいきません」

 ツェーザルは深い紫みの赤ラズベリーの瞳を見据えていった。

 フェリクスとてバカではない。この言葉の意味を正確に汲み取り、安堵の表情を浮かべる。

「オーケー。その時を楽しみにしてるよ」

「もちろん。落ち着いたら僕から………………」

 違和感に言葉を止めた。

 先ほどまで言おうとしていたことを忘れてしまった時のような、モヤモヤとした気持ち悪さを感じる。

「ツェーザル殿?」

「…………いや、なんでもない。落ち着いたら僕の方から声を掛けますね」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る