第23話
ファーテンブルグは鉱山の国だ。国土の八割が山岳で、まともな平地はほとんどない。それでも出来るだけ勾配の少ない場所を選んで整備された道は、曲がりくねっていて視界が非常に悪かった。当然、道をつくれるような地形は多くなく、地方の村や集落は一本しか通っていない(行きも帰りも同じ道を使うしかない)ことがほとんどだ。道の状況も馬車がギリギリ通れるほどで、整地なんてロクにされていない。
『カルイザワ』も例外ではなく、三方を廃鉱となた鉱山に囲まれ、通ずる道は南西の一本のみ。
大街道から枝分かれするこの道はしかし、採掘された鉱物資源を輸送するため、幅員は広く、そして丁寧に地ならしされていた。
「廃村を再利用したって話だが、どうしてエラく綺麗じゃねぇか」
「そりゃ金持ちが使うんだ。整備ぐらいはするだろうよ」
「ハッ、羨ましいねえぇ。俺たちもあっちの道を通りたかったぜ」
「帰りはあっちの道だ。それもオンナ連れでな」
「ちげぇね」
道から大きく外れた山林の中で、男たちは欲望をたぎらせた笑い声を上げ、山林の奥へと入っていった。
『カルイザワ』へと続く道は一本しかないが、道を進まなければ『カルイザワ』に辿りつけないわけではない。
ただ、手つかずの山林を通るために時間がかかる上、野生動物や盗賊に襲われる
危険性があり、道に迷う可能性も高いというだけだ。
当然、まともな者であれば早くて安全で快適な道を選ぶ。
「しかしいい依頼だぜ。街を襲撃するだけで金がもらえるなんてな!」
「略奪した金品は山分けってのが気に食わねぇが」
「いいじゃねぇか。オンナは好きにしていいってんだから。なんでもこの国で一、二を争う高級娼館の支店があるんだろ? たまんねぇな、おい」
アリアニア訛りのファーテンブルグ語で話す男たちをよく見れば、二つの集団に分かれていた。
一つは、十六人で纏まっていて先ほどから下劣な会話をしている者たちだ。装備は長剣に革の胸当て、脛当て、籠手と軽装で統一されている。
もう一つは、四人組で武器は短剣のみ、防具は身に付けていない。表情も険しく、なにかに耐えてるかのようだった。
「――クソッ。あの時ヘマしてなかったらこんな依頼……ッ」
「言うな。生き残るためには装備を捨てて逃げるしかなかったんだ」
「ロクな装備もない俺たちが依頼がくるだけで奇跡だからなー。めっちゃ足元みられてるけど」
やはりアリアニア訛りのファーテンブルグ語で、苦々しそうに言葉を交わしている。
彼らの言葉からも分かるように、二つの集団はアリアニアの傭兵団だ。
彼の国の政治体形は、中世ヨーロッパ初期の封建社会で、領主が強力な権限を有し、王権に従属していない。そのため、領主間で領地を巡る小競り合いが頻発しており、傭兵は自前の兵士の損耗を防ぐ恰好の道具であった。
一方、ファーテンブルグは絶対王政で、国法によって領地線の変更を禁じているため、領主同士の争いは起こらない。隣国のリュプセーヌとアリアニアとは友好的な関係を築いているので戦争とも無縁である。
そのため、ファーテンブルグには傭兵という職業自体が存在していない。ある意味、アリアニア独自の文化であった。
単独で活動している傭兵もいれば、数人から百人以上の集団で活動している者もいる。そして、その質もピンキリだ。
十六人の方は、実力はあるものの占領した街での略奪行為が目に余ると悪評が広がり、誰からも雇われなくなってしまった。
アリアニアの領主たちが争うのは、有用な土地と街が欲しいからだ。奪った後は自らの領地となるわけだから、そこにある街を荒らされてはたまったものではない。もちろん、略奪は勝者の特権であるから、ある程度は目を瞑るとしても彼らはやり過ぎてしまったのだ。
依頼がなければ金を稼げない。そんな傭兵団の行きつく先は盗賊と相場は決まっていた。生きるために商隊や村を襲い、食べ物や金品を強奪する。
それで日々の食い扶持は確保できたし、たまには女を攫ってきて性欲も満たした。
しかし、心の飢えは満たされなかった。
占領地で行う略奪行為の快感が忘れられなかったのだ。
親の前で子供を無残に嬲り殺す。
恋人の前で女を犯す。
命乞いをする者を見逃したあとで殺す。
人が絶望する顔がたまらなかった。
だから、フードを被った怪しげな者からこの依頼を打診された時には即答で引き受けた。またあの快感を得ることが出来るならば、と。
一方、四人組は敗走した傭兵たちであった。元は五十人規模の傭兵団だったが、小競り合いが劣勢に傾いたところ団員の生存者は半分を切っていた。
傭兵団は基本的に使い捨ての兵力で、最前線に配置される。その理由は、形勢が不利になった時点で傭兵が遁走するからだ。死んでしまったらそこでお終い。命あっての物種である。
雇う側はそれが分かっているからこそ、傭兵を最前線に送り込むのだ。中衛や後衛に配置して、形勢不利になったところで逃げられでもしたら目も当てられない。
そして、遁走した傭兵団の成れの果てがこの四人組である。
逃げるために装備をすべて捨て、生きるために仲間を見捨て、残ったのは五体満足の身体と護身用の短剣だけ。万が一のために隠し持っていた金で餓えることはないが、装備を買えるほどの資金はない。
『カルイザワ』への襲撃。
傭兵は人を殺すことを生業としているが、相手は同じようにこちらを殺しにきている兵士だ。殺さなければ殺される。結果的に人を殺めるとしても戦争という免罪符があった。
しかし、この依頼は無抵抗の人々を一方的に虐殺するものだ。安易に引き受けられない。
四人は相談し、略奪はすれども殺人は行わないと内々で決め、依頼を受諾した。
このようなワケありの傭兵が約二百名。それを二十人一組とした十個の部隊が『カルイザワ』に向かって山林の中を秘かに行軍していた。
武装した集団が堂々と整備された道を歩けば襲撃が察知されてしまう。また、山中は大人数の行軍に向いていない。そこで、少数の部隊に分かれて進軍、敵陣の後方にて集結して敵を叩く――いわゆる浸透戦術だ。
ハマれば強いが、これには一つ、最大の弱点がある。
少数に分かれてた部隊同士の連携が非常に困難なことだ。
無線のないこの異世界において、離れた部隊との連絡はできない。足並みを揃えなければ集結できずに各個撃破されてしまう。
十六人の集団にいる一人の男が足を止め、首に下げていた笛を吹いた。
「ピーピー。ピ、ピーピー。ピ、ピ、ピ」
鳥の囀りに似せた、か細い笛の音。
遠くまで届くことのないこの音は、しかし確実に味方のもとに辿りつく。
一つの部隊に一人、遠くの音が聞こえる
この異世界のすべての者が有している異能の力、
それは、五柱の神が司っている五官の機能を強化、または拡張、あるいは鋭敏化されたもの、人によって千差万別であるが、唯一無二なわけではない。
よくある
割合からすると二、三十人に一人といったところだ。
そして、
ファーテンブルグにおいて、実践で利用できる最低限の水準は、半リーユ(約二キロ)先の物が見える、ないしは聞こえること。
兵士や傭兵は生き残るために、その水準になるまで必死に
「九つの部隊から返答があった」
四人組の一人が告げる。
笛の音によって各部隊の連携を図ることで浸透戦術を確実なものとしているのだ。
「一部隊脱落か。へへ、分け前が増えて結構なことじゃねぇか」
「連絡を絶ったのは俺たちに一番近い部隊だ。油断してる――!?」
「どうしたどうした?」
「熊の声がした! それも複数体いるぞ!?」
「おいおい熊は群れねぇだろうが。その耳、大丈夫か? え?」
「嘘をついてどうなる!」
馬鹿にするように絡んでくる十六人の集団の一人に、四人組の一人は叫んだ。
だからこそ笛による連絡は時間が定められていて、たまたまその時期に熊の声を拾ったのだ。
(脱落した部隊は、この熊の群れにやられたに違いない……!)
遠くの音が聞こえる
「くそっ! こっちに向かってきてるぞ!」
「どうなってんだよチクショウ!」
「迎え撃つか逃げるしかないだろう!」
「複数体の熊に勝てるわけねぇだろうが!!」
弓矢や大盾、槍などの装備が整っていたら、無傷とはいかなくても倒せていたかもしれない。あるいは、稀少な戦闘系の
しかし、この部隊の装備ではどうにもできないことは自明だ。稀少な戦闘系の
「――俺たちは下りる!」
「はあ!? なに言ってやがんだテメェ!」
四人組のリーダー格の言葉に、十六人の集団の一人が食って掛かった。
「当たり前だろう!? 命あっての物種だ! 道にでて『カルイザワ』の衛兵に保護を求める! 生き残るにはそれしかない!」
「ふざけんな! 生き残れると本気で思ってんのか!? 事情を聴かれたらどうする!? 山菜を採ってましたとでもいうつもりか!?」
四人組の装備ならば、その言い訳も通用するだろう。
だが、それも一時的だ。
集合した傭兵たちが奇襲を仕掛ければ、状況から襲撃者の一味だと判断されてしまうに違いない。そうなれば良くて鉱山送り。最悪は極刑だ。
そもそも、遠くの音が聞こえる
「熊に食い殺されるよりはマシというものだろ!」
「言い争ってる場合じゃない! もうすぐそこまで来てるぞ!?」
「行かせるかよせるかよ! せめてその男を置いていけ!!」
十六人の集団が四人組の行く手を阻んだ。
四対十六。
数だけではなく装備の質に劣る四人組に勝てる要素はない。
十六人の集団も余裕はなかった。
熊の脚は平地であっても人よりも早い。山中ならば尚更だ。
遠くの音が聞こえる
だが、そのような時間は残念ながら残されてはいなかった。
草木をへし折る音ともに巨大な地響きが聞こえてくる。
「嘘だろ!? もうきやがった!?」
「ッ! テメッなにしやがる!?」
四人組の判断は素早かった。視線で合図を交わし、手近にいる敵となった男の太腿に短剣を突き刺して包囲を突破したのだ。
足を負傷した四人は確実に熊の餌食となる。残りの十二人は仲間を助けるか、あるいは見捨てて逃げ出すか――
「――ちょっ、ま、待ってくれよ!?」
「放せ! こんなところで死んでたまるか!」
剣を抜いて服を掴んでくる負傷した男を切り払った。
そして前を向けば先に逃げた者たちとの距離は随分と離れていて、最後尾は自分だと気づいた瞬間、男は剣を投げた。
回転して飛んでいった剣は、柄の部分が仲間の背中に当たり、バランスを崩して倒れ込む。
醜いな構われたしかし、獣の咆哮で強制的に中断させられた。
「グルゥゥゥゥ!!」
「ガァァァアアアア!!」
振り返らずに逃げた方がいいと理性で分かっていても、目の前に迫る恐怖を確認したいという感情がそれを許さなかった。
「――ひっ!」
「な、な……な……なんで……!?」
樹々の々の合間から現れたのは、十頭を越える熊の群れ。
「うわぁあああああ!!」
「ひぃいいいい!」
「や、やめ――あぁああああああッッ!!」
真っ先に餌食になるのは負傷した四人の男たち。
だがそれも束の間。
熊たちはなぜか止めを刺した獲物を食べずに、逃げ惑う獲物へと襲い掛かった。
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