第35話 希空と校則

「――ワン、ツー、ヒウィゴーロックンロー!!」


 明くる日、いつもの通り放課後にワンダーフォーゲル部の部室に集まった私たちはバンド練習に勤しむ。

 来瑠々ちゃんの一筋縄ではいかないちょっと癖のあるグルーヴ感にも段々慣れてきたつもりだったが、まだまだベーシストへの道は厳しそうだ。


 来瑠々ちゃんはお父さん仕込みのコテコテのハードロックが音楽的バックグラウンドにある。そのおかげで、基礎的な能力をしっかりと叩き込まれていて、持ち前のパワーはもちろん、テクニックもちゃんと持っている。

 なので私のような並大抵のベース弾きは彼女についていくことが難しく、実力のなさが浮き彫りになってしまう。


「ふうー、今日もたくさん叩けて楽しいデスね」

「来瑠々さんの音量に負けないように歌わないとなので、私はへとへとです……」


 練習が一段落ついて休憩に入る。

 あれだけパワフルなドラミングをしておいて、来瑠々ちゃんは全く疲れた様子を見せない。

 それどころか、休憩に入るなり急須でお茶を淹れ始めるくらいだ。


 一方の雫ちゃんは負けじと声量を出して応戦したおかげで、すっかりくたびれてしまっている。

 エネルギーを消費してお腹が空いていたのだろう。来瑠々ちゃんが練習前に近所の和菓子屋さんで買ってきたみたらし団子にパクっと食いついて、ほっこりとした表情を浮かべていた。


「んー、やっぱり団子はみたらし団子が一番ですね。特に来瑠々さんが買ってくるのは、甘すぎずしょっぱすぎずちょうどいいです」

「ふっふっふ……、雫もなかなか通になってきましたネ……。まあ、私の本当のおすすめはあんこがたっぷりついたあん団子なんデスがね」

「それも美味しそうですね! じゃあ今度はあん団子にしましょう」


 来瑠々ちゃんがサムズアップでその提案に答えた。

 私としてはギトギトに甘くなければみたらしでもあんこでも構わないのでにこやかに微笑んでおく。


「にしたって、来瑠々ちゃんはあんこが好きだよね。大あんまき持ってきたときもめちゃくちゃ喜んでたし」

「……あんこは正義デス。この地に生まれた以上、あんこを愛さないのは損だと思うのデスよ。だから毎食あんこを食べたいのデスが、うちの学校の購買にはあんパンがすらないのデス、ひどすぎるので今度の生徒会長選では公約にあんパンを販売すると宣言した人に入れようかと思いマス」

「見た目によらずあんこに対する執着心がすごい……」

「あんこだけでなく和菓子全般最高デス! 購買を和菓子屋さんに変えてしまいたいくらいデス!」

「それならいっそ、兼部して茶道部にも入れば良かったんじゃ……?」

「地べたに座るのは足がしびれるので無理デス。椅子がほしいデス」

「そこはちょっと欧米人っぽいんだ……」


 などと気の抜けた会話をしていると、部室の扉がいきなり開いた。

 睦月ちゃんが昼寝をしに来たのかと思って振り向くと、そこに立っていたのは意外な人物だった。


「……古川さん?」「希空ちゃん……?」


 私と雫ちゃんが同時にその名前を呼ぶ。

 生徒会役員の腕章をつけた古川さんが、腕組みをしてそこに立っていたのだ。


「どうしたの古川さん? もしかして、バンドに参加してくれる気に――」

「ワンダーフォーゲル部は廃部になることが決まったわ。猶予は一週間、その間にこの部室を空っぽにして生徒会に明け渡しなさい」


 私がどうしたのか訊くまでもなく、食い気味に彼女は言い放ってきた。


 ワンダーフォーゲル部が廃部? 人数はきちんと満たしているのに、どうして?


「これがその令状よ。ここに廃部の理由と退出期限が書かれているわ」


 古川さんが突き出してきた紙を受け取り、私は記載内容を確認する。


「廃部の理由……、ここ数年活動実績がないからって……そんな」

「ちゃんと活動実績報告書は毎年出してマス! それなのに廃部っておかしいデスよ!」


 私も来瑠々ちゃんも猛烈に反発した。廃部にしようというのなら、なぜこのタイミングなのだろうか。

 それに古川さんは雫ちゃんがバンドをやるために、むしろこの部の存続に協力してくれたはずなのに。


「活動実績? あんなペラペラの紙一枚のどこが活動実績なの? いい? これは生徒会が決めたことなの。ゴタゴタ言ってないで早く部室を明け渡す準備をしなさい」


 古川さんはすっかり「生徒会の人」になってしまっていて、私たちの言葉を聞き入れようとはしなかった。


「あの……、希空ちゃん」

「何」

「本当に、出ていかないとダメなの?」


 雫ちゃんが悲しそうに古川さんへ問いかける。しかし、古川さんは雫ちゃんと視線すらあわせようとしない。


「当たり前よ。早く準備しなさい、期限に遅れたら停学だから」


 いつもよりもワントーン低い、元気のない声で古川さんは雫ちゃんにそう告げた。

 

 古川さんは苦しんでいるように見えた。

 本当は、こんな仕事をやりたくはない。私にはそういう風に思えて仕方がなかった。


 しかし、生徒会の決めたこととなればどうしようもない。彼らの決定それすなわち学校の方針でもある。桜花崎女子ここの生徒である以上、従わなければならない。


 このまま諦めてワンダーフォーゲル部の部室を明け渡すか……?

 いやいや、せっかく手に入れたみんなの居場所をここで失ってしまっては、またゼロからのスタートになってしまう。次またこのように部室が手に入るかどうかはとても難しいところ。 


 ぎりぎりのところまで、生徒会には抵抗するしかない。


「あの、古川さん。一つ訊いてもいい?」

「どうぞ」

「この猶予期間の一週間で活動実績ができたら、その令状は撤回されたりしない?」

「まあ無理ね。ほぼ決定事項だから、いまさら付け焼き刃で何かしたところで変わらないわ」

「じゃあ、私たちが生徒会に協力するからというのは……」

「無意味ね。どうせすぐになあなあになるに決まってる」

「それなら……」

「もう無駄な抵抗はやめなさい。どうやっても無理よ、覆せない」


 古川さんはこれ以上抵抗して自分で自分の首を締めるんんじゃないと、暗に言っているようだった。私たちにこっそり協力してくれていたあの古川さんがどうにもできないくらいなのだ、生徒会の影響力はそれくらい強い。


「……ふああ、なんだなんだ、やけに騒がしいな、安眠妨害だぞ」

「睦月!? いつの間にいたんデスか?」

「……お前の『ヒウィゴーロックンロー!!』あたりから既にいた。それよりなんだ、やけに辛気臭いじゃないか」


 いつの間にか部室にあるソファーで眠っていた睦月ちゃんが、むくりと起き上がる。

 そしておもむろに、こんなことを言い始める。


「……桜花崎女子高校の校則、第三十九条『部活動について』。なあ古川、この中身知っているか?」

「何よいきなり、もちろん知っているに決まってるじゃない」

「だよなあ、じゃあ何故それをやらない?」

「それは……」


 睦月ちゃんはどうやら校則を丸暗記しているらしい。天才少女の暇つぶしにはちょうどよかったのだろう。

 気になるのはその第三十九条『部活動について』の条文だ。どんな事が書かれているのだろうか。


「第三十九条の十一項には『部活動の廃止は生徒会役員の全会一致によるものとする』とあるだろ。つまりお前がただ一人反対すれば、この部活は廃止されないはずなんだ」

「……っ!」


 古川さんは苦い表情をする。

 睦月ちゃんのいうその条文が本当であるならば、古川さんは賛成票を投じたということだ。

 

「希空……ちゃん? それって、どういうこと……?」


 事実を知った雫ちゃんが動揺する。

 陰ながら支えられてきた人にいとも簡単に裏切られてしまったのだ、無理もない。


「……どうもこうもないわよ。私もワンダーフォーゲル部の廃部に賛同しただけ」

「そんな……、どうして……」

「……もういいでしょ。さあ、早く明け渡しの準備をしなさい。一週間後、また来るから」


 古川さんはそう言い捨てて、逃げるように立ち去っていった。

 残された私たち――特に雫ちゃんは、ショックで膝から崩れ落ちてしまった。


 こんなにあっさり友情が壊れてしまう瞬間は、もう見たくないと思っていたのに。

 私もまた、その場所に立ち尽くしていた。

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