第48話 雫と涙
誰もいない海岸に、雫ちゃんの泣き叫ぶ声が響き渡る。
私の懐では、顔をくしゃくしゃにしながら雫ちゃんが震えていた。
気の利いたことを言って彼女の気持ちを和らげられたらどれだけよかっただろうか。
それができるような人間ではないのはよくわかっている。だから不器用に、ただひたすら雫ちゃんを抱きしめた。
ある程度涙を流したことで落ち着いてきたのだろう。雫ちゃんの呼吸がもとのリズムに戻ってきた。
「……ごめんね、雫ちゃんがずっと悩んでいたのに、全然助けてあげられなくて」
「いえ……、私こそごめんなさい。全部自分で抱え込んで、全部自分のせいにして、勝手に一人で限界を迎えて逃げだしちゃって……」
「仕方がないよ。雫ちゃんは一人で頑張ってきた時間が長かったんだもん。うまく周りに頼るすべを持っていないのは自然なことだよ」
「そうやって深雪さんみたいに優しく許してくれる人がいるから私、迷惑かけちゃいけない、甘えちゃいけないって、余計に追い込んじゃって」
「真面目だなあ雫ちゃんは。どんなに優秀なひとでも、一人では生きていけないもんだよ? ましてや私たちはバンドなんだからさ、みんなに頼っていいし、頼られていいし、迷惑だってかけてもいいんだよ。幸いなことに、来瑠々ちゃんも希空ちゃんも、雫ちゃんをちゃんと受け入れてくれる理解者なわけだし」
「……ごめんなさい、もっと早くみんなに頼ればよかったですよね」
雫ちゃんは一旦メガネを外して涙を拭う。
真っ赤になった彼女の瞳は潤んでいて、かなり溜め込んでいたのだろうなと想像がつく。
「よかったら、雫ちゃんの抱えていること、全部話してくれないかな」
「……はい。実は、曲が全然書けなくなってしまったんです」
「曲が? どうして? この間まですごいペースでアイデア出しまくってたのに」
雫ちゃんはこと作曲に関して言えばかなり量産できるタイプの人だと私は思う。
その分ボツになるものも多いけれど、多産ゆえにクオリティの高い曲もいくつか出来上がっていた。
そんな雫ちゃんが急に曲を書けなくなってしまうなんて、一体何があったのだろうか。
「多分なんですけど、希空ちゃんが生徒会を辞めてワンダーフォーゲル部に入ったときに、ものすごいプレッシャーみたいなものに襲われてしまって……。そこからぱったりメロディも歌詞も出てこなくなっちゃって……」
「もしかして、自分の作る曲に希空ちゃんの特待とか、来瑠々ちゃんが守ってきたワンダーフォーゲル部の部室がかかってるって、そう思ってる?」
「……はい」
あのときのシズカと同じだと、私はその瞬間思った。
自分が下手な曲を書いてしまうと、幼馴染の希空ちゃんが学校に通えなくなるかもしれない。来瑠々ちゃんが守ってきたワンダーフォーゲル部の部室を失ってしまうかもしれない。そういうプレッシャーを受けて、雫ちゃんは萎縮して曲が書けなくなったというわけだ。
私はふと思い返す。あのときシズカが辛くなって逃げ出したとき、私はどうしたか。
どういう言葉をシズカにかけたか、記憶を手繰り寄せるように思い出す。
「……じゃあ、いっそバンドはお休みして、別のことで全国大会目指しちゃう? 部員は四人、いや、睦月ちゃんを入れたら五人いるから、フットサルといいかもね。武道みたいな個人競技でも団体戦のチームが組めるし、文化部なら最近流行りの競技麻雀とか、eスポーツなんかもあるよ?」
「あ、あの……、深雪さん?」
「意外とやってみたら面白いかもよ? 競技人口が少ないところなら、すぐに全国大会に出られちゃうかもしれないし、私たちみたいなド素人でもセンスさえあれば――」
「深雪さん!!」
今まで出したこともない大きな声で、雫ちゃんは私の言葉を遮る。
もちろんバンドを休んでそんなことしようという気は、私も雫ちゃんも持っていない。
「それは……、駄目な気がします。たとえそれが上手くいって、希空ちゃんの特待とかワンダーフォーゲル部の部室が維持されたとしても、駄目な気がします」
「そうだよね。私も駄目な気がする。もちろん、希空ちゃんも来瑠々ちゃんも、そう思っていると思う」
私たちは一つのロックバンド。音楽をやるために集まった、運命共同体だ。
音楽以外で何かを成し遂げることは、全く持って本意ではない。
「だから私は、このバンドでやること全部が上手くいかなくてもいいって思ってる」
「上手くいかなくてもいいって、深雪さん、それは……」
「まあよく聞いてよ雫ちゃん。たとえ駄目な曲を書いちゃってAMEのコンテストに落ちちゃったとしても、死ぬわけじゃないじゃん?」
「そ、それはそうですけど……。たとえが極端な気が」
「極端じゃないよ。この程度の失敗くらいで死ななくてもいいのに、追い詰められて自分の命を投げ出してしまうことがこの世の中にはあるから」
あの日、シズカがベランダから飛び降りた日。私はすべてを悔いた。
死を選ぶほど追い込まれてしまうということを目の当たりにしている私は、あの無力感を思い出して胸が苦しくなる。
「死ななきゃ勝ちだよ。雫ちゃんの書く曲も、歌も、みんなの演奏も、ちゃんと楽しんでくれる人がいる。だから自分のせいで仲間の人生が狂ってしまうなんてこと、考える必要はないんだよ」
「で、でも……」
「私ね、雫ちゃんの曲も歌も、大好きなんだ。そんな雫ちゃんの曲を、自分たちで全力で演奏して、それで上手くいかなくても私は納得できる。二人にも聞いてみなよ、多分、同じことを言うと思う」
雫ちゃんは言葉が出ずだんまりとしてしまう。
「上手くいかなくても、誰も雫ちゃんを恨んだりしないよ。だからそんな重圧、雫ちゃんだけが感じる必要はないんだよ。私たちは運命共同体なんだ、みんなでその気持ち、シェアしてもいいんだよ」
ふと私は何かを思い出してスマホを取り出す。カメラロールからとある写真をピックアップし、雫ちゃんへ見せた。
その写真には大学ノートの見開きページが写っていて、そこには丸っこい女子高生特有の文字でつらつらといろいろなことが書かれている。
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