第47話 海岸線と雫

「――大変! 雫がどこにもいない!」


 そんな希空ちゃんの叫び声が聴こえて来たのは、晩ごはんのカレーが出来上がってすぐのことだった。


 指を切ってしまい落ち込んでいた雫ちゃんは、風に当たりたいと言って外に出た。そこまでは皆の記憶に新しい。


 しかし思っていたより雫ちゃんの心に負った傷というのは深かったのだろう。ちょっと風に当たるどころか、黙って私達の前からいなくなってしまったのだ。


「雫が外に出ると言ってから二十分くらいデスかね……? 交通手段は徒歩しかないはずデスから、そこまで遠くには行っていないと思いマス」

「そうだね。このままだと暗くなって来ちゃうし、とりあえず手分けして雫ちゃんを捜そう」

「じゃあ私は道路沿いを市街地方面に歩いてみるわ」

「それなら私はこのへんの田んぼ周辺を捜しマス」


 私はどこを捜せばいいのかと考えていると、ふと前世での記憶がよみがえってきた。

 似たような経験をしたことが以前にもあったのだ。


 まだメジャーデビューをする前の駆け出しのころ、急にシズカが皆の前から姿を消したことがある。

 原因は作曲に行き詰まってしまい、責任を一人で感じでしまっていたことだった。


 音楽で食べていくと決めたことで、自分の作る曲にバンドメンバーの生活と将来がかかっている。良い曲を書かなければ、自分だけでなくみんなの人生を狂わせてしまう。

 そういうドツボにハマるような思考をしてしまい、ついに耐えられなくなって逃げ出したという事件だった。


 今回の雫ちゃんも似たような状況にあるかもしれない。

 そうであるならば、一刻も早く捜しだして、面と向かって話をしたい。いや、しなければならない。


 雫ちゃんはどこへ行ったのだろうか。私は冷静になって考える。

 土地勘もない田舎町で、交通手段は徒歩だけ。

 遠くには行っていないとはいえ、場所を絞り込めているわけでもない。


 ――あれ、あの時のシズカ、どこで見つけたっけ?


 私は頭の中で、シズカと雫ちゃんの行動を重ねる。


 シズカは誰も知っている人のいない遠くに行こうとして、とりあえず目の前にやってきた電車に乗ったと言っていた。


 でも今の雫ちゃんには電車やバスといった交通手段はない。


 じゃあどこへ向かったのか。


 その答えはすぐに出た。そして無意識のうちに私の足はその場所へ駆け出していた。


 転生した若い身体というものは良い。

 足取りは軽いし、多少走ったくらいでは全く息切れしない。

 風を切りながら太陽の沈む方へ走っていると、身体に当たる風はどこか湿り気を帯びてきて、潮の香りも鼻の奥を突いてくる。


 ひとっ走りして身体が燃えるように熱くなってきたところで、とある場所へたどり着いた。


「……ここ、ビーチかな? きれいな砂浜だ。誰もいないけど」


 やってきたのは来瑠々ちゃんの別荘からそれほど遠くはない、海だった。

 夕焼けの赤い太陽光でもはっきりとわかるくらい、砂浜の砂は白くて、びっくりするほど長い海岸線が広がっていた。

 

 この砂浜は夏になると海水浴客であふれる人気スポットなのだとか。


 前世でシズカが逃避行の末にたどり着いたのは、名前もないような海岸だった。

 不思議と、波の音を聴いていると辛い気持ちが和らぐのだと、その時のシズカは言っていた。


 雫ちゃんとシズカが同じ行動をするとは限らない。

 シズカがそうしたからというだけで、根拠らしい根拠もない。でもなぜか私は、雫ちゃんがここにいるような気がした。


 海岸線沿いに砂浜を歩く。この時間になると海風は肌寒くなっていて、長いことさらされていたら風邪を引いてしまうだろう。

 

 早く見つけなければならない。しかし、不思議と私は焦っていなかった。

 雫ちゃんがここにいると信じてやまなかったし、事実、彼女はここにいた。


 波打ち際より少し陸寄り、波が来ても水に濡れないギリギリのところ。そんな場所で雫ちゃんは三角座りをしてうずくまっていた。


「――雫ちゃん!」

「み、深雪さん……? どうしてここに?」

「なんとなくここにいる気がしたから来てみた。そしたらその勘が当たったみたいでね」

「そう……、ですか。……やっぱり深雪さんが来ちゃうんですね」


 雫ちゃんは力なく笑った。


「雫ちゃん、みんなのところへ戻ろう。希空ちゃんも、来瑠々ちゃんも心配してる」

「……戻ったところで、私は何もできないじゃないですか」

「そんなことない、このバンドは雫ちゃんがいてこそのバンドだよ」

「でも……、私がバンドの中心なのに、こんなにダメダメで……」


 雫ちゃんは絞り出すような声でそう言う。

 軽音楽部が廃部になったときよりもずっと深刻そうな顔で、もう自分ではどうしたらいいのかわからないような状況なのだろう。


 このまま無理に雫ちゃんを別荘に連れて帰ったところで状況は変わらない。むしろ、悪化させるかもしれない。

 だから、シズカのときにそうだったように、私は私のやり方で雫ちゃんに寄り添うことにした。

 

「よーし、じゃあこのまま思いっきり泣こう。気が済むまで、涙枯れるまで、ずっと付き合ってあげるから」

「み、深雪さん……? で、でも、深雪さんは私を捜しにきたんじゃ……? 連れて帰らないと、練習もできないし……」

「まあ、確かにそうなんだけどさ。雫ちゃん、だいぶいろいろ抱え込んでいるみたいだし。吐き出せるものは、全部吐き出しちゃったほうがいいかなって」


 私はわざとらしくニカっと笑って見せる。

 

 上手に人の心を開ける人は、もっとスマートなやり方で雫ちゃんの心を解いていくのだろう。

 けれども私みたいな不器用な凡人は、とにかく彼女のそばに寄り添い続けることくらいしかできない。


「ほら、おいで。誰も見てないから、思いっきり泣きなよ」


 両手を開いて雫ちゃんをいざなう。

 そのあとすぐ、感極まって涙腺を爆発させた雫ちゃんが胸へ飛び込んできた。

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