第49話 浜辺とメロディ

「あの……、深雪さん、これは……?」

「これ、軽音楽部の日誌。旧軽音楽部の部室を片付けたときに出てきたって希空ちゃんに見せてもらったのを写真に撮ったんだ。雫ちゃんが軽音楽部に入るずっと前の先輩方が書いていたものらしいんだけど」

「部活の日誌……? 私が入部したときは、全然そんなもの書いてませんでした」

「多分、どこかの代で書くのをやめちゃったんだろうね。でもこれ、すごくいいなって思った。日誌とはいいつつ、中身は交換日記みたいになってて、みんなで気持ちを共有できるんだ」

「気持ちを……、共有……」

「そう。多分この代の人たちにも、口下手な人とか、抱え込んじゃう人とか、逆に勝手に突っ走っちゃう人とか、いろいろな人がいたと思う。こういうふうに気持ちを共有すると、もっとお互いにわかり合えるし、抱え込みすぎることも減るんじゃないかなって」


 雫ちゃんはその日誌を撮った写真を食い入るように見ていた。


「いつも私達は近くにいるけれど、案外通じ合うには言葉が足りなくて、伝わらなかったり、すれ違ったり、逆に過剰に感じたりする。だから今度から、この交換日記みたいな部活の日誌を復活させようかなと思うんだ」

「それはもしかして、私のために……?」

「雫ちゃんだけじゃない。希空ちゃんだって来瑠々ちゃんだって、もしかしたら睦月ちゃんだって、言いたいこととか、伝えにくいこととか色々抱えていると思うんだ。その助けになればいいかなって。もちろん、私もそうだし」


 これは、前世でシズカに提案したのと同じ方法でもある。

 

 あのときの私とシズカは、二人で交換日記を始めた。口下手で気持ちを押し殺してしまいがちな彼女にとって、文字に起こせるツールはものすごく助けになったはずだ。

 メジャーデビューができるくらいにバンドが成長できたのも、挫折しかけたシズカをこんなふうになんとか支えてあげることができたからだ。


 ……まあ、それがあったからこそ、最後の最後でシズカの自死を止められなかったのが、私の一番の後悔になっているというのもあるのだけれども。

 今度こそあんな失敗はしないよう、自戒を込めて私は言葉を紡ぐ。


「話が散らかっちゃったけど、要するに雫ちゃんは一人じゃないよってことだよ。だから自分の思うがままに曲を書けばいいし、ステージで歌えばいいと思う。私はそんな雫ちゃんが一番かっこいいと思うしね」

「深雪さん……」


 雫ちゃんは再び、私の胸に飛び込んできた。

 海風にずっと当てられていた割に、その身体は温かくて、そのせいか私も気持ちも落ち着いているような気がした。


「ともかく早いとこ家に帰ろう。もう暗くなるし、だんだん寒くなってきたし、それに……、カレーもできたしね」

「そうですね。泣きじゃくったらお腹がすいてきました。あはは、なんだか私、子どもみたいですね」

「子どもみたいな雫ちゃんでいいんじゃないかな。全部一人でやることが『大人』なら、ずっと子どものままで。今日のカレーも甘口だし」


 すると雫ちゃんが急に顔を赤くする。

 実はうちのバンドのなかで雫ちゃんだけ辛いものが苦手で、わざわざ来瑠々ちゃんが気を利かせて甘口のカレールーを買ってきていたのだ。

 子ども舌と思われるのが少し嫌だったのか、雫ちゃんは私の腕をポカポカと叩く。


「むう……」

「ごめんごめん、でも私も甘口カレーはよく食べていたから、別に嫌いじゃないよ」

「そうなんですか? なんか深雪さんは硬派なイメージがあるので、スパイスの効いた辛いのが好きなのかと」

「まあ、そういうのも好きだけど、一緒に住んでた人が甘口しか食べられなかったからね」

「一緒に住んでた人……?」


 思わず口が滑ってしまった。

 前世でバンドが売れる前、シズカといっしょに住んでいた事があるのだけれども、雫ちゃん同様、シズカも辛いカレーが食べられなかった。


 雫ちゃんとシズカを重ねる事が増えてきたせいなのか、こういう前世の記憶を口に出してしまうことが最近多い気がする。

 ここはとりあえずごまかすことにしよう。


「あっ、いや、うちのお母さんも辛いものが食べられなくてさ。石渡家のカレーは甘口なんだよね」

「そういうことでしたか。てっきり、深雪さんが誰かと一緒に住んでいるのかと」

「ハハハ……」

「でも、誰かと一緒に住んでいたら一人で抱え込むことも減るんでしょうね」

「うーん、どうだろ? 親しくなるがゆえに、話しにくくなることもありそうだし」

「もちろん人によるとは思いますよ。私みたいな人は、一人で暮らさないほうがいいなって思ったりしただけです」

「……うん、それもそうかもね」


 私はあいまいに返事をした。

 雫ちゃんはシズカではない。そんなことはわかりきっている。

 だからこそ、雫ちゃんをシズカと同じ目にあわせたくないという気持ちもある。

 その気持ちを突き詰めていくと、私は最初からいないほうが良かったのではないかと考えてしまいそうになる。


 でも、もう、私たちは出会ってしまった。

 私にできることは、雫ちゃんをはじめとしたこのバンドに関わるみんなを、できるだけ悲しませないように行動することだけだ。

 後ろを振り返ったり、くよくよしている時間は、私にはない。


「……さて、本当に暗くなってきたので帰りましょう」

「そうだね、帰ろう」


 立ち上がって帰ろうとした瞬間、十八時を告げる時報が辺り一帯に響きわたった。

 私たちが住んでいる街のものとは違う、聴き慣れないメロディ。


「『浜辺の歌』だね。いつもは『愛のかね』のチャイムだから、なんだか不思議な感じだね」

「そうですね。この曲、良いメロディですね」

「うん。かなり昔の曲だけど、いま聴いてもいいなと思えるメロディだよ。すごいよね」


 いつか音楽の授業で聴いた曲だけど、しっかりと覚えているものだ。

 名曲と呼ばれるものは、時間が経っても記憶に残る。


 ふとその刹那、雫ちゃんが鼻歌を歌いだした。

 たった今時報として流れていた『浜辺の歌』とはまた違った、でもどこか面影を感じるような耳に残るメロディ。

 不思議なことに、その鼻歌のメロディを聴いた瞬間、私はその曲のアレンジとバンドで演奏している姿が浮かんだ。

 これはと思い、私はスマホを取り出してカメラを起動する。

 動画でもなんでもいいから、そのメロディを記録しなければという一心だった。


「雫ちゃん! いいからそのまま歌い続けて!」

「えっ……!? あっ……、はい!」


 アイデアというものは突然出てくる。突然出てきたものは、記録しておかないと砂のお城のように消えていく。

 思いついたアイデアを忘れて後悔したことなど数え切れないほどある私だが、このメロディだけは絶対のがしてはいけない。と、ミュージシャンの本能みたいなものが働いた瞬間だった。


 ひと通り雫ちゃんが歌い切ると、私は動画の録画停止ボタンを押した。


「あ、あの、深雪さん?」

「……これ、すごい曲になるかもしれない」


 ワンダーフォーゲル部バンドのキラーチューンが生まれたと、確信を持った瞬間だった。

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