第50話 ワンダーフォーゲル部と夜の帳

「よかったー、雫ったらどこへ行っていたの?」

「もう、心配で捜しまくったんデスからネ」

「す、すいません。ご心配をおかけしました……」


 別荘へ戻るやいなや、待っていた希空ちゃんと来瑠々ちゃんに出迎えられる。

 しかし私と雫ちゃんは再会の喜びには浸っている場合ではなかった。


「そんなことより雫ちゃん! 早く早く!」

「は、はい!」

「ちょ、ちょっと二人とも? どこへ行くの?」

「そうデスよ、カレーができていマスよ?」

「今はちょっとそれどころじゃないんだ、急を要する事態なんだよ!」

 

 大慌てで私はギターを取り出し、雫ちゃんは隣でメロディを口ずさみ始めた。

 先ほど浮かんできたメロディをすぐにでも形にしたかった。

 

 記録した動画の音声をもとに、私がギターでコードを鳴らしてキーを探る。

 Aメジャーのコードが合いそうだと分かったら、今度はメロディに合うようなコード進行を探していく。

 Dメジャー、Eメジャー、F♯マイナー、C♯マイナー……、まるでパズルをつなぎ合わせるかのように、ギターを鳴らしていく。


 雫ちゃんは左手の指に怪我を負っているので、メロディを歌うだけ。

 メロディにコードがついて曲っぽくなったらすぐに手元の紙にメモを取る。もちろん、スマホでも録音する。

 黙々と作業を進めていて、私と雫ちゃんは完全に二人の世界に浸っていた。


「もう、あんなに没頭して……、晩御飯が冷めちゃうじゃない」

「いいんじゃないデスか? カレーは寝かせたほうが美味しいと言いマスし」

「まあ……、確かにそうね。今日の雫、なんだか様子が変だったけど、深雪のおかげであんなに楽しそうにしているし」

「きっと、殻を破ることができたんデスね。ブレイクスルーってやつデス」

「ええ。私だったら多分、雫をあんなに楽しそうな顔にはできないでしょうし。……まったく、深雪って不思議よね」


 希空ちゃんが呆れるように笑う。

 

「ところで希空、どうして片付けたはずのベースを引っ張り出しているんデスか?」

「し、仕方がないじゃない。こんなの目の当たりにして黙っていろだなんて、生殺しよ」

 

 希空ちゃんはいつの間にか、自分のベースを携えていた。

 音楽人の本能に、彼女はどうやら逆らえなかったらしい。


「仕方がないデスね……、ここは私もひと肌脱ぎマスかネ」


 希空ちゃんに続くように来瑠々ちゃんもセッションへ加わってきた。

 ギターの音にベースの低音が重なって、ドラムのビートがついてきて、それはもう、オーケストラのようだった。

 そのオーケストラの中心で雫ちゃんはメロディを口ずさむ。

 浜辺で思いついた断片的なメロディは、いつの間にか一つの曲へと変貌を遂げていた。


「はあ……、はあ……、ちょ、ちょっとくたびれました……」


 私たちは何分間夢中になっていただろうか。

 ずっと歌っていた雫ちゃんが音を上げるまで、ぶっ通しでセッションを続けていた。

 時計の長針が何周したのかわからない。夕方だったはずの外は、夜の帳が下りきっている。


 雫ちゃんがストップを掛けたおかげで、私たちは正気に戻った。

 アドレナリンがピタッと止まってしまったのか、そこまでの疲れがどっと出てきてしまった。


「そ、そうだね……、このへんで一旦止めておこう。お腹もすいたし」


 そう言うと、ドラムを叩いていた来瑠々ちゃんのお腹から機械音みたいな音がしてきた。

 腹が減っては戦はできぬと言うし、今日一日かなり頑張ったから休息が必要だ。


 作っておいたカレーはすっかり冷めきっていたので、希空ちゃんがコンロに火をつけて温め直す。

 炊きたてだった白米も保温状態のまま炊飯器に入っていて、やや水気が飛んでしまっていた。

 しかし、これはこれで充実感の裏返し。空腹という最強のスパイスが加わり、これまでにない美味しいカレーになっていた。


「それじゃあ、ご飯も食べたことデスし……。みんなでお風呂に入りましょう!」

「みんなって、四人も入れるほど、この家のお風呂は広くないでしょ?」

「またそれがいいんじゃないデスか。この合宿の最初に言ったはずデスよ? 裸の付き合いをしましょうって」


 すかさず希空ちゃんから来瑠々ちゃんへ鉄拳が飛ぶ。

 希空ちゃんの言う通り、どう見ても普通の家にあるサイズのお風呂なので、女子高生四人で入るには狭すぎる。

 あと、私だけ中身が中身おばさんなので、なんだか犯罪臭がしないでもない。


 結局四人で順番に入り、最後の私がお風呂から出る頃には、時計の針はてっぺんを差していた。

 大部屋に布団を敷いて、四人で雑魚寝をするような乱雑さだが、今の私たちにはこういうのが一番いい。

 お互いが近くて、一緒になっていて、誰も孤独なんかじゃないよと思わせてくれる、そういう距離感。

 前世では得られなかったバンドの中の絆みたいなものに、ちょっとだけ手が届いたような、そんな気がした。

  

「おやすみ。じゃあ、豆電球消すね」


 私がいつもの癖で豆電球のぼんやりとした明かりを消そうとすると、雫ちゃんから全力でストップがかかる。


「ま、待ってください深雪さん。……豆電球は、消さないでおいてもらえると……」

「あれ? もしかして雫ちゃん、暗いの苦手?」

「い、いえ、そういうわけじゃなくて……、消してしまうと不安になってしまうというか、眠れないというか……」

「それを苦手っていうんだよ。――わかった、消さないでおく」


 私は豆電球をつけたままにした。

 

 シズカと雫ちゃんを重ねることが最近増えてきたけれども、やっぱり二人は別人であるなと、私はこのとき感じた。

 暗いのが怖い雫ちゃんと違い、シズカはむしろ真っ暗にしてくれという派だったから。

 二人の存在を重ねて、自分を突き動かす原動力にするのも大切ではあるけれど、岸田雫という女の子を一人の存在として認めてあげなければいけないと、私は強く思ったのであった。


 いつの間にか他の三人が寝息を立ててしまっていたので、私も追いかけるようにまどろみの中へ落ちていった。

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