第51話 『東京ワンダーフォーゲル』

 合宿は曲作りをしているうちにあっという間に終わっていた。

 まるで呪縛から解き放たれたように生み出された雫ちゃんのメロディは、瞬く間に私たちワンダーフォーゲル部バンドのキラーチューンとなった。


 いままで雫ちゃんが作ってきた曲も十分なクオリティがあると思う。でもこれは、それらの更に上を行く、すごい曲になった。

 

 合宿の帰り、来瑠々ちゃんのお父さんが運転する車の中で、こんな話題になる。


「そういえば雫ちゃん、あの曲のタイトルってどうするの?」

「ええっと、歌詞が完成していないので決めておくのはまだ早いかなと思ったんですけど、実はもうこれだなっていうのがあったりなかったり……」


 雫ちゃんは自信無さげにそう言う。

 もとはと言えば雫ちゃんが生み出した曲だ。よっぽど変なものではない限り、タイトルなんて雫ちゃんが勝手につけてたところで誰も文句は言わない。

 あんまり雫ちゃんがもじもじしているものだから、前列の席から来瑠々ちゃんがひょっこりと後列のこちらを向いてきた。

 

「どんなタイトルなんデスか? 教えてほしいデス」

「いやっ……、で、でも、ちょっと……」

「そんなに恥ずかしいタイトルをつけたんデスかっ……!? 雫ったら、案外ハレンチなんデスね……!」

「こら、そんなに茶化さないの。あんただって中学くらいのときに人には言いにくいタイトルをつけた小説とか書いたことあるでしょ?」

「えっ……、希空ったらそんなことをしていたんデスか……。邪気眼とか呪われし血とか、高校生にもなってやめてくださいネ……」

「ちょっと! まるで私が中二病だったみたいな言い方しないでよ! 全然そんなタイトルじゃないから!」


 来瑠々ちゃんと希空ちゃんのいつもの掛け合いが始まると収拾がつかなくなるので、ここらで私が水を差しておく。

 雫ちゃんはどうやら、中二病っぽいとか、ハレンチだとか、そういう感じのタイトルを思いついたわけではないらしい。


「ええっと……、あまりにもそのまま過ぎて駄目かなーって思っちゃったりして……」

「そのままなら逆にいいんじゃないかな? ストレートな方が聴いてくれる人に伝わると思うよ」


 私がフォローをいれると、雫ちゃんは「そ、そうですかね……?」と困惑したような、フォローを入れられて嬉しいような、そんな表情を浮かべる。

 もったいぶらずに発表してよと来瑠々ちゃんと希空ちゃんが言うと、雫ちゃんはすうっと息を吸い込んで呼吸を整わせた。


「た、タイトルは……、『ワンダーフォーゲル』ですっ……!」

 

「確かにそのまんまだ」

「そのまんまね」

「そのまんまデスね」

「だ、だから言いたくなかったんですよ! もう、皆さんの意地悪!」


 雫ちゃんが拗ねてしまったところをみんなでなだめる。

 

 私たちをそのまま体現した『ワンダーフォーゲル』というタイトル。だからこそこの曲には、他の曲とはなんだか違った思い入れができていた。

 

 色々な困難を抱えた私たちが、まるでこの曲を奏でるために集まったかのような、そんな絆のような曲。

 雫ちゃんは恥ずかしがっていたけれど、私を含めた他の三人はこのタイトルを否定する気など毛頭ない。


「それじゃあキラーチューンのタイトルも決まったことデスし、早いことAMEのコンテストにエントリーしマスね」

「エントリーって、ここでできるものなの?」

「深雪はアナログ人間デスねー。今どきスマホがあれば大概のことはできてしまうんデスよ?」

「そ、それくらい、私だって知っているし」


 などと強がるが、中身はおばさんなので正直図星である。


 エントリーができるのであれば、早くするに越したことはない。ましてやここでできるのならば、やっておいたほうがいい。

 

 すると来瑠々ちゃんは凄まじい速さのフリック入力で、コンテストの応募フォームを埋めていく。

 しかし、快調に打ち込んでいた彼女の指が、とあるところでピタッと止まってしまった。


「そういえば……、私たちのバンド名って決めてませんでしたネ」

「確かにそうね……、私は生徒会にいた頃から勝手に『ワンダーフォーゲル部バンド』とは呼んでいたけど、さすがにそれはちょっと雑よね。深雪、何か案はある?」

「うーん……。それじゃあいっそ、バンド名も新曲と同じ『ワンダーフォーゲル』にしちゃう?」

「曲名とバンド名が同じというパターンも確かにありマスが……」

「ちょっとシンプル過ぎてしっくりこないわね。ネットで検索したときに引っかかりにくそう」


 我ながら妙案だと思ったのだけれども、リズム隊の二人にはいまいちだったらしい。

 やはりここは若い人の感性に任せたほうがいいと思い、私は雫ちゃんへパスを出す。


「ええっと、これもベタなんですが、『ワンダーフォーゲル』に加えて、好きなバンドからワードをひとつ拝借して付け足すのはどうでしょうか……?」

「それはいいかもデスね。その好きなバンドから影響を受けてマスよって、聴く人に親近感を与えられマスから」

「確かにそうね。二つのワードが重なることで検索性も上がりそう。――それで、雫はどのバンドから何のワードを拝借するの?」


 すると、雫ちゃんはスマホを取り出して音楽のサブスクアプリを立ち上げた。

 とあるアーティストのページを開くと、その画面をみんなの方へ向ける。


「これ、雫が昔からよく聴いてるバンドじゃない。ギターがかっこいいわよね」

「私もこのバンドは聴いたことがありマス。……知ったのは割と最近なのデスが」

「どれどれ……? ……ん? これって……」


「はい、私の好きなバンド、『東京ファンデリア』から『東京』を拝借して、『東京ワンダーフォーゲル』っていうのはどうでしょう?」


 雫ちゃんが見せてきたのは、前世で私が所属していたバンド、『東京ファンデリア』だった。

 久しぶりに見る前世のアーティスト写真を目にして、心臓がドキッと高鳴った。

 

 このバンド名は田舎から出てきた私たちが負けないように『東京』という冠名を選んだことに始まる。

 そこからさらに、たまたま学生時代に乗っていたローカル線列車の車内にある換気装置が目につき、調べたところ『ファンデリア』という名称だったので、その二つをくっつけたという成り立ちだ。


 雫ちゃんは東京ファンデリアの大ファンだと言っていた。だから、こういう形で選ばれるのは嬉しいこと。

 でも私は、また前世と同じてつを踏んでしまうような気がして、手放しに喜べなかった。


「で、でも、雫ちゃん、他にも好きなバンドあるんじゃない? わざわざこのバンドにしなくても……」

「いいえ深雪さん、こればっかりは譲れないんです」

「それは……、どうして?」

 

「このバンドがなかったら、いまの私はいないかもしれないので」


 いつもより声のトーンを二段階くらい落として、雫ちゃんは一言そうこぼした。

 その深刻そうな表情を見て、私はこれ以上言及するつもりにはなれなかった。


 東京ファンデリアの曲が、雫ちゃんを救っていた。

 その事実自体はとても喜ばしいことだ。でもなぜか私は、すがるような思いで東京ファンデリアの曲を聴いている昔の雫ちゃんを想像して、胸が痛んだ。


 詳しくは聞かないけれど、我慢しがちな雫ちゃんのことだ。その頃というのはとても苦しかったに違いない。


 だからこそ、今度はシズカと同じ目に遭わないよう、私が雫ちゃんを支えなきゃいけない。

 雫ちゃんを悲しませるようなことは、二度とあってはいけない。


 そう決意が固まったとき、自然と私の口から「わかった、それにしよう」という言葉が出ていた。


 四人を乗せたバンドワゴンは、未だ見ぬ明日へと走り続けていく。

 

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