第54話 未来と光

「……きさん、深雪さん!」


 私の名前を呼ぶ声がする。

 先程まで聞いていたShizの声にそっくりだった。でも、はっきり別人のものであるとわかる。

 これは間違いなく、雫ちゃんの声だ。

 

 意識がだんだんと戻ってきた。

 死んだかと思っていたが、なんとか生きていたみたいだった。


 まぶたが開けそうになってきて、ゆっくりと力をいれて瞳に光を取り込もうとする。

 最初はとても眩しくて、思わず顔をしかめてしまいそうだった。


「深雪さん! 気がついたんですね!」

「……雫ちゃん? あれ? ここは……?」


 見慣れない光景だった。なんだか清潔感のある無機質な消毒液の香りもする。


「病院よ。……まったく、無茶しすぎよ深雪は」

「そうデスよ。熱があるなら、最初からそうみんなに言ってくれれば良かったんデス」


 心配そうな顔で私を見つめる雫ちゃん。その隣には、希空ちゃんと来瑠々ちゃん。

 私はと言えば、柔らかいような硬いような、なんとも言えない弾力のベッドに横たわっていた。


「その様子だと、何も覚えていなさそうデスね」

「深雪、ライブが終わってステージ横にはけたあと、いきなり倒れたの。……私は事情を知っていたから、すぐ救急車を呼んで病院に連れ込んだわ」

「そう……、だったんだ。ごめん、迷惑かけちゃって」

「まあでも、点滴打ったから大丈夫よ。風邪が悪化したのかと思ったら、単に脱水症状だったみたいだし」

「……えっ?」


 死ぬほどつらい思いをしたような気がしたけれど、どうやらそれは高熱にうなされていたわけではないらしい。

 思えば、朝熱が出てからまともにとった水分は栄養ドリンク一本くらいだ。寝起きの時点でかなり私の身体は渇いていたはず。

 ライブハウスは空調が効いていて乾燥気味だったし、ステージ上で全力を振り絞ったアクトをすれば汗だってかく。


 だからあのフラフラした感じは、脱水症状だといわれても合点がいく。

 そういえば前世ではライブのときに合間合間で水分をとっていたし、汗っかきな身体だったから脱水には気をつけていた。

 でも、この身体になってからそんなことに全く気を使わなくなっていた。どんな人間でも、脱水症状は起こり得るのに気にしてすらいなかった、私の自己管理のできなさが露わになったそれだけのこと。


 余計に皆へ迷惑をかけてしまった罪悪感が湧いてくる。なんて言ったらいいのかわからない。


 すると、雫ちゃんが私の袖を掴みながら、小さく震え始めた。


「ほ……、本当にっ……、心配したんですからっ……!」


 泣き虫な雫ちゃんだが、今までで一番大きな涙粒を瞳からこぼしていた。


 雫ちゃんはひとりじゃない。ひとりで戦う必要なんてない、仲間がいる。

 そんな立派な事を言っておいて、肝心の私はどうだ?

 勝手に無茶をして、一人相撲をして、最終的に迷惑をかけ、雫ちゃんを悲しませてしまった。

 なんとも情けない。


 私は、泣いている雫ちゃんを抱きしめることしかできなかった。

 これが精一杯だった。

 

「……ごめん、本当にごめん。あんなこと言ったくせに、私が一番一人で戦ってたよ。ごめん」

「深雪さんは……、一人じゃありません。私も、希空ちゃんも、来瑠々さんもいます。……お願いだから、一人で強くなんてならないでください」


 まったくもってその通りだ。雫ちゃんは正しい。

 ちゃんと皆に上手に頼ることができていれば、こんなことにはならなくて済んだのだ。


「……わかった。今度はもっとみんなのことを頼っていくことにするよ。今回は本当にごめんね、私のせいで、ライブもコンテストも……」


 気持ちを改める。

 なんせ私のせいでライブが台無しになってしまったのだ。それはつまり、AMEのコンテストも駄目であったということにほかならない。


 また一からのスタートだ。コンテストとか、イベントとかを見つけて、片っ端から参加してみる。

 時間は足りない。こんな泥臭い方法しかない。けど、諦めてはいけない。

 とにかく今は早く身体を治して復帰しよう。そう決意したとき、来瑠々ちゃんが不思議そうに口を開いた。


「……ん? もしかしてその言い草だと深雪は、コンテストに落ちたと思っていマスね?」

「え? だって私が倒れちゃったんだし、ライブが上手くいったはずが……」


 まともにギターを弾けたかどうかもあやふやなのだ。あんなライブで予選突破など無理に決まっている。

 と、私は思い込んでいたが、なにやら違うらしい。

 

 ふと、希空ちゃんが何かを取り出す。

 それは、やけに小さなサイズの賞状みたいなものだった。


「私たちは無事、全国大会出場を決めたわ」

「嘘でしょ? いや、絶対に嘘嘘、そんなはずないって」

「嘘じゃないわ。深雪ったら、すごい演奏していたのに全然覚えていないのね」

「……うん、フラフラで全く」

「正直過去一エグかったわよ。『鬼』が憑依したんじゃないかってくらい、文字通り鬼気迫る演奏だった」


 雫ちゃんと来瑠々ちゃんも、賛同するようにコクリコクリと首を縦にふる。


 ライブ後に私が倒れてはしまったものの、なんとか『東京ワンダーフォーゲル』は全国大会へコマを進めることができた。

 聞けば、グロッキー状態の私をみていたせいで、みんな逆に緊張していなかったとのこと。

 自分よりも緊張している人を見つけると、自身の緊張が収まる。というおまじないのような対処法をその昔教えてもらったことを思い出した。


 図らずも私は、皆の緊張を解いていたらしい。

 コンテストの予選を突破したことに加え、皆の背中を後押ししていた。

 なのに、無自覚だから達成感がない。なんだか勿体ない。


 そんな困惑した私を見て、泣いていたはずの雫ちゃんに笑みが戻る。


「深雪さんが生きていてくれて、本当に良かったです」

「お、大げさだなあ。……大丈夫、私はそう簡単に死なないから」

「……はい。信じています」

「やっぱり大げさだなあ」

「だって、そうでも言っておかないと、深雪さんは本当に無理をしそうなので……」

「確かに」「間違いないデスね」


 皆から無理をしがちな女だと思われてしまっている。

 私はぐうの音も出なくなって、苦笑いするしかなくなった。


「とにかくこれで、目標に一歩近づきました。Shiz――お姉ちゃんに会えるかはわからないですけど、あの日深雪さんが言っていたことは無理じゃないなって思えるようになりました」


 雫ちゃんと初めて会った、旧軽音楽部消滅前の最後の日。

 あの出会いがなかったら、私も雫ちゃんも、希空ちゃんも来瑠々ちゃんも、全然違う人生を送っていた。

 その違う人生がどういうものになっていたかなんて、想像できるわけがない。

 でも、確実にこれだけは言える。


 君に出会えて、本当に良かったと。


 Shizと再会すること。Shizの無茶な復讐を止めること。このバンドで上を目指していくこと。

 まだまだやることはたくさんある。

 負けられない戦いだって、これからいくつも経験するだろう。

 でも大丈夫。君がいれば、みんながいれば、乗り越えられる。


 未来の向こうで眩しく輝いている光に、私たちはやっと手を伸ばすことができたのだから。


 〈第一部 了〉

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