第53話 Shizとブラックアウト
私たち、『東京ワンダーフォーゲル』の出番になった。
大きな街の小さなライブハウス。そこが今日の予選の会場。
地下独特の湿った感じ。
ギターのセッティングは考えるまでもない。
熱にうなされてまともな思考ができないのであれば、振り切ってしまえばいい。
幸いなことに、暴れ馬になった私をどうにかしてくれる優秀なメンバーがここには揃っているから。
入場無料ということで、フロアにはまあまあお客さんがいる。もちろん、私たちを審査する人たちも、この中にいる。
会場の雰囲気とか、ライバルバンドの状況とか、そんなことを考える余裕はなかった。
立っているのがギリギリの体調。もう、行けるところまで行くしかないというところまで来た。
来瑠々ちゃんが音響スタッフに合図を送る。
場内のBGMはフェードアウトし、照明の灯もじわっと落ちる。
「こんにちは、東京ワンダーフォーゲルです」
雫ちゃんがシンプルにそう名乗ると、呼吸を合わせて私たちは音の塊を放つ。
最初のAメジャーコード。これさえ上手く響いてくれれば、あとはこっちのもの。
来瑠々ちゃんのエイトビートが着実に前へと進む。その両脇に、私と希空ちゃん。
最後に雫ちゃんの音が重なって、いよいよバンドイン。
「『ワンダーフォーゲル』」
タイトルコールとともに爆音が鳴る。
意識を保つのが精一杯だった私は、自分が使っているマーシャルアンプの音で意識が飛んだ。
倒れてしまったというわけではない。なにかに取り憑かれたかのように、ただ無心でギターを鳴らすゾーンに入ったのだ。
客席の様子とか、メンバーみんなの表情とか、私がいまちゃんとギターを弾けているのかとか、そんなことも全部わからなくなる。
視界はゆらゆらとしていて、焦点は定まらない。ぼんやりと熱に浮かされて、まるで意志のないゾンビのよう。
ステージにギリギリ立っている、それだけが私に残っていた感覚だった。
ライブは進む。
キラーチューンの『ワンダーフォーゲル』が終わり、『FIND OUT』、そしてラストナンバーの『テレキャスター』へ続いていく。
生命力の限りを尽くして、私は亡霊のようにギターを鳴らす。
あの日、前世で快速列車にはねられた日。
死ぬ前にぼんやりと考えていたことが蘇る。
――このままここで全力を尽くせたら、死んでもいいかな。
そう考えてしまった瞬間、私はその思考を全力で払い落とす。
死んだら駄目だ。倒れたら駄目だ。
このバンドの行く末も、みんなの未来も、私の行動にかかっている。
いなくなってしまっては、すべてが水の泡。
気力を振り絞る。
雫ちゃんが最後のサビを歌い上げると、食い気味にアウトロのギターソロがやってくる。
泣きのギターフレーズ。
ファジーに
オシロスコープで波形に起こしたら、振り切れてしまいそうなそんな音。
絶対に倒れるもんか。
意地でもこのギターフレーズを弾ききって、完奏するまで立ち続けてやある。
おそらく体温は四十度近い。息も苦しい。感覚は鈍くなる一方。
それでも私はギターを弾く。
それだけが私のやるべきことであり、皆が望んでいることだから。
最後のDメジャーコードを鳴らし終えた私の視界は、百八十度ひっくり返ったあと意識が遠のいてブラックアウトした。
※※※
身体がふわふわ浮いているような感覚があった。
あたりは真っ暗。私の周りには誰もいない、宇宙のような不完全な空間。
一瞬私は思った。
もしかすると、また死んでしまったのかと。
その可能性は否定できない。なんせ四十度くらいの熱を出しておいて、無理やり薬で抑え込んでやり過ごしたのだ。
きっといまの私の肉体は病院のとある部屋にあって、希空ちゃんと来瑠々ちゃん、そして雫ちゃんに悲しまれながら澄んだ顔をしているに違いない。
ごめんね、みんな。
私、こんな身勝手なことして散っちゃった。まだまだ道の途中なのに、何をやっているんだろうね。ハハハ……。
自嘲するしかなかった。
自業自得だ。自分で勝手に背負い込んで、自分で爆発して。
雫ちゃんにあれほど「君は一人じゃない」なんて言ったくせに、私は一人で戦ってしまった。
情けなさ過ぎてみんなに会わせる顔がない。……いや、もう会うこともないのか。
「……もう、本当にミユキは無理をするんだから」
ふと声をかけられた。その声には聞き覚えがある。
いや、忘れるわけもない。この声の主は、私が今一番追い求めている人の声だから。
「シズカっ!? ……いや、Shiz! どこにいるの!?」
「ここにいるよ。ミユキったら、昔から何も変わってないね」
暗闇からふわっと現れたのは、とある一人の少女。
雫ちゃんによく似ているけれど、少し血色が良くなくて痩せている。
見ただけでわかった。彼女はShizであると。
ついに私は、Shizに会うことができたのだと。
「ねえShiz、会いたかった。私、ずっと会いたかったんだよ!」
「うん。私もミユキに会いたかった。あ、今は「深い雪」って書いてミユキっていうんだっけ。ずいぶん凛々しい美人さんになったね」
「それは……、たまたま転生した先がよかっただけで……。それより私、Shizといろいろ話したいことがあって、それで……」
「駄目だよ、深雪。こんなところで私とくっちゃべってちゃ、駄目だよ」
「どうして……? せっかく会えたのに?」
再会できて喜んでいた私を、Shizはその透き通った声で叱る。
ここにいてはいけないというのは、どういうことなのか。
「ここは深雪の意識の深い部分。だからまだ、私と深雪は再会していない。今の私は、深雪が見ている幻とか夢みたいなもの」
「そん……な……。じゃあいまここにいるShizは……」
「本物じゃないよ。でも大丈夫。私はちゃんと、この世界で生きているから。深雪が会いに来るの、ずっと待ってるから」
「待ってよ! じゃあ、居場所くらい教えてよ! それなら、すぐに会いに行くのに!」
「言ったでしょ、私は深雪が見ている幻みたいなものだって。だから居場所を教えることは無理」
少し呆れたような、やれやれとした表情。しかしその後すぐ、Shizはうっすら笑みを浮かべる。
「ほら、早く戻りなよ。深雪の仲間たちが心配して待ってるよ?」
「でもでも、私はShizに会うために頑張ってきて……、それで……」
「それで独りよがりになっちゃって、こんな意識の深いところまで堕ちてきたんでしょ? だからそうならないようにちゃんとバンドのみんなを頼りなよ。私が深雪に対してそうだったようにね」
「Shiz……」
「大丈夫。みんなで力をあわせて、私のところに会いに来てよ。その日が来るのを、私はいつまでも待っているから」
そうShizが言うと、途端に彼女の存在が薄くなり、透き通っていく。
このまま黙っていたら消えてしまう。せっかく会えたのに、またいなくなってしまう。
「やだよ! もっとShizと一緒にいたい! まだまだ話したいこととか、やり残したことがたくさんあるんだから!」
「そうだよね。じゃあなおさら、早く目覚めてもらわないとね」
「待ってよシズカ! 消えないでよ!」
私がいくら叫んでも、Shizの消滅は止まらなかった。
彼女が暗闇に溶けていったあと、私は一人でむせび泣く。
泣き疲れて眠たくなって意識が薄れると、今度はブラックアウトの逆――視界がホワイトアウトして、変に温かい感触に包まれた。
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