第23話 サンドバッグ女とブラフ

「ほう……、話がわかるやつは嫌いじゃないぜ」

「お、おい、何いってんだよ! お前、わかってんのか!?」


 予想外の私の返答に、中村さんは慌てる。

 もちろん私は闇雲にそんなことを言ったわけじゃない。きちんと考えがある。


「大丈夫。それくらい余裕だって。こう見えて私、結構すごいんだよ?」


 と、虚勢を張ってみる。むしろ全くの逆で、すごいことなど全く無い。外見は胸も尻もない細いだけの身体で、中身はただの干物女。なのですぐにボロが出るそんな嘘だ。それでも全然構わない。

 私は腕につけていたスマートウォッチをちらっと見る。……もうちょっとだ。


「ほほう、見た目によらずってことか。まあいい、とりあえず稼ぐ分稼いでくれりゃなんでもいい」


 男は高笑いする。

 時間を稼ぐ作戦の一環として、もう少し彼の注意力を削いでおくべきだろう。

 全く不慣れではあるけれど、男相手なら多分これが有効なはず。


「その前に練習ってことで、お兄さんちょっと付き合ってくれない?」

「はあ? こんな屋外でヤんのか? ハハハ、思った以上に頭ぶっ飛んでんなお前」

「でしょ? 自分でも結構びっくりしてるんだよね」


 私は必死でブラフをかける。男が私に手を出して来ようが来まいが関係ない。

 あと少しだけ時間を稼げれば、方法なんてなんでもいい。

 

「だが、ちょっとお前とは趣味が合わねえかもな」

「へえ……、お兄さん、案外意気地無しなんだね。外のほうが開放的だと思わない?」

「……ったく、そういう意味じゃねえって言ってんだよ」


 男は私に近づくと、躊躇なく右手の拳で私の腹部を殴った。


 突然の暴力。痛みに思わず息が詰まってしまう。こんなに痛いのは正直勘弁願いたい。

 しかしここで私が引き下がってはダメだ、もう少し粘らねば。


「へ、へえ……女を殴るのが趣味なんだ?」

「そうさ。そういう平気そうな顔がどんどん苦痛で歪んでくのがたまんねえのよ」

「割といい趣味してるねえ……、でも私はこの程度じゃなんともないかな。ははは……」


 ヘラヘラ振る舞っているともう一発拳が飛んできた。

 身体の芯までズンと響く重いパンチだ。さすがに立っていられなくなってしまい、私はうずくまる。


「あんまりナメた真似してると本気で殴るぞ? 病院送りになっても知らねえからな」

「へえ……、病院連れてってくれるんだ。案外優しいんだね」

「……減らず口を」


 再び男は激昂する。

 うずくまっている私の首根っこを掴み、無理矢理引き上げる。お腹に受けた痛みがまだジンジンとしていて、私は抵抗をすることができない。


 ……怖い。逃げたい。こんな危ない目にあう選択肢をどうして選んでしまったのだろう。そんな考えが頭をよぎる。

 しかし、迷ってはいけないと邪念を振り切った。


「……じょ、ジョークだよ。目が怖いってお兄さん」

「ふざけたマネしやがって。やっぱりもう一発殴ってわからせておかないといけねえな」

「こ、これ以上痛いのは、嫌だなー……」

「うるせえ。まあ、顔は勘弁してやる。俺をからかうとどうなるかってこと、味わってもらわねえと」


 追撃を食らうのは避けられないと思った私は、思い切り歯を食いしばった。

 男の右腕が私のお腹目掛けて飛んでくるその瞬間、急に誰かの声がそれを遮った。


「はーいそこまで。それ以上やったら暴行未遂じゃなくなるわよ。……って、もう殴ってるみたいだから未遂じゃないわね。逮捕逮捕」

「……ふ、古川さん!?」


 現れたのは生徒会役員の古川さんだった。その後ろには、警察の人達もいる。

 男はその数を見て抵抗するのが無謀だと分かったのか、私を突き放して両手を上げた。


 警察の人たちは男を確保し、雑居ビルの中にある彼らのアジトへ入っていく。

 男の暴力沙汰という別件で逮捕をきっかけとして、半グレ集団の一斉検挙といったところだろうか。


「深雪さーん! 大丈夫ですかー!」


 ふと遠くを見ると、息を切らして手を振っている雫ちゃんがいた。

 彼女はどうやら助けを呼んできてくれたらしい。


「全く、石渡さんは無茶なことするわね。雫、ものすごくあなたのこと心配してたわよ?」

「ははは……、それは、ごめんなさい。……ところで古川さん、どうしてあなたがここに?」


 私がそう訊くと、古川さんは丁寧に教えてくれた。


「実は私も中村葉を追ってたの。ワンダーフォーゲル部の部費の流れが不審だったからね。反社みたいな人たちと接点があるって噂も聞いていたから。部費が振り込まれるタイミングを狙って、彼女のあとをつけてたの」

「え? じゃあ古川さんも中村さんを尾行していたってこと?」

「そういうことね。そしたらなぜか雫がいたものだから事情をきいたら、あなたも中村葉の尾行をしているらしいじゃない」

「う、うん、こっちはこっちで別の理由があって……」


 私が気まずそうに言うと、古川さんは小さくため息をつく。


「それを聞いてすぐに警察を呼んだわ。あなた、絶対なにかやらかしそうだったもの」

「ははは……、それは否めない……」


 私は苦笑いするしかできなかった。


「でも思っていたより用意周到だったわね。『自分からの定期連絡が途切れたら、雫はすぐに助けを呼びに行くこと』なんて指示、軍隊かスパイにでもいないとなかなかできないわよ?」

「ま、まあ、その昔、絶対に油断できない状況でそんなことをしてたからね……」


 古川さんが言った通り、私は事前に雫ちゃんへ指示をしていた。五分ごとに定期連絡をして、それがもし途切れたらすぐに助けを呼ぶというものだ。

 前世で絶対に寝てはいけない機材の見張り番を任されたとき、同じような方法で寝ているかどうかの確認を仲間内でとっていたのだ。これはそれの応用。


 私からの定期連絡が途切れた時、おそらく雫ちゃんのことだからパニックになっていたかもしれない。運良く近くに古川さんがいてくれたおかげで、思っていたよりも早く助けが来てくれたのだろう。

 時間を稼ぐために殴られたり身体を触られたりするくらいは覚悟をしていた。けれどお腹に二発で済んだあたり、行動した価値はそれなりにあったというわけだ。


「私のパパが警察官でちょうどこの半グレ集団を追ってたというのもあったから、タイミングよく一網打尽にできたってわけ。あなた本当に運がいいわね」

「そ、それほどでも……?」

「それと、中村葉の処遇については、私たち生徒会に一任させてもらうわね。あなたたちからいろいろ聞きたいこともあるでしょうけど、事が事だから先にやらなきゃいけない事が多いし」

「……わかった。でも、ひとつだけお願いをきいてもらえないかな?」

「言ってみなさい。私が叶えられるかは知らないけど」


 そう言われて私は古川さんに耳打ちする。


「……事実関係が明らかにならないとわからないけど、それは難しいと思うわね」

「お願いだよ。頼むから」

「……善処はするわ」


 古川さんは踵を返す。

 とにかく、中村さんが来瑠々ちゃんを理不尽に縛り付けていた理由はわかった。この一件でそれもある程度解消されると思う。


 ただ、この事件のことを聞いた来瑠々ちゃんがどういう受け取り方をするのか、それだけが心配だった。

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