第22話 お金と暴力

「なんだよ中村、こんなところで油売ってたのか?」

「す、すいません。邪魔が入ったもんで……」

「そいつはいけねえなあ、ウチは部外者厳禁なんだ」

 

 男が腕を振り上げたその一瞬の出来事だった。

 あの武闘派な中村さんが、右腕一振りでふっ飛ばされてしまったのだ。


「中村さんっ!」

「来るな! お前は早く立ち去れ!」

「で、でも……」


 突然の出来事に私はオロオロとしてしまう。

 来瑠々ちゃんを支配していると思っていた中村さんが、実はもっと強大な暴力に支配されていた。

 私は今まさに、その力関係を思い知らされたのだ。


「いけねえなあ中村。ここに来ちまったからには、この女も同罪だろうが!」

「……こいつは関係ない。見逃せ」

「誰に口聞いてんのかわかってんのか? ああ!?」


 男がさらに中村さんの腹部へ蹴りを一発入れる。


「……っ!」

「な、中村さん……!」

「い、いいから帰れって言ってんだろ……。おめーもこんな風になりたいのかよ」

「帰れるわけ無いじゃん! ここで帰ったら、中村さんはどうなっちゃうわけ?」

「知るかよそんなこと……。これでわかっただろ? そういうとこなんだ、ここは」


 中村さんは痛みを堪えて私へそう言う。でも、ここまで来て逃げてしまったら、なんの解決にもならない。

 男から次の一撃が来そうになったとき、私は反射的に身体が動いて中村さんを守ろうとした。


「おいおい友達ごっこかぁ? そういうのは漫画とかならアツいんだけどよ、実際にやられるとめんどくせえんだよな」


 彼の興が削がれたのか、運良くその一撃が私へ飛んでくることはなかった。


「まあでも、今日は時間もあまりねえしな。さっさと貰うもの貰ってずらかるかな」

「も、貰うもの……?」


 私は中村さんの方を見る。彼女は気まずくなったのか、視線を逸した。

 

「おい早く出せよ中村、カバンに入ってんだろ?」


 そう男が脅すと、中村さんはさっきATMでおろしてきたであろう現金が入った封筒を取り出した。

 それを中村さんは差し出すと、奪い取るように彼はかすめ取っていった。

 すぐさま男は中身を確認する。一万円札の数を数えていくうちに、彼の指が止まった。


「……おいおい中村ぁ! てめぇは金勘定すらできねえのか! 足りねえじゃなねえか!」

「それは……」

「そういやお前、先月も猶予してくれとかほざいてたよなあ! 俺は約束の守れねえやつが死ぬほど嫌いなのよく知ってるだろ? どう落とし前つける気だぁ!?」


 あたり一帯に怒号が響き渡る。男は再び中村さんを蹴り飛ばした。


 どうやら中村さんは、この男に毎月のようにお金を納めているようだ。それが何のお金なのかは定かではないが、真っ当な金銭でないことは確かだ。


「足りねえ分はどうすんだ? このクソッタレ。やっぱりオメーのツレを売るしかねえんじゃねえか? あんな金髪碧眼の美人なら、釣りが出るくらい稼ぎ出すぜ?」

「……そんなの、するわけねえだろ。来瑠々を売ることなんて絶対にしねえ……」

「そんなこと言ってもよお、足りねえもんはちゃんと納めてもらわねえと困るんだわ。なあ?」

「くっ……」


 先程の蹴りの威力が凄かったのか、中村さんは地面にうずくまったままだ。


 来瑠々ちゃんを売る。という、にわかには信じられない言葉が飛び交う。

 その言葉を受けてますます、私はこの状況がどういうことなのか想像がついてきた。


「ちょ、ちょっと待ってよ、来瑠々ちゃんを売るとか売らないとか、一体どうなってるのさ!」

「ああ? 部外者がうるせえんだよ……と、思ったが、こいつもよく見たら上玉じゃねえか。ちょっとタイプは違うが、これはこれで需要あるな」


 先程まで横暴な態度を取っていた男は、改めて私の顔を見るなり表情を変える。

 その顔は、完全に私を『商品としての女』と見るような顔だった。


「どうだ? 中村の上納金の不足分、お前が稼ぐってことで手打ちにしてやってもいいぞ? どうやらお前ら二人、アツーい友情があるようだからな、それくらい余裕だろ?」

「おいふざけんなよ! こいつは関係ねえって何度も言ってんだろ!」

「お前は黙ってろ! 俺は今この女に訊いてるんだよ」

 

 さらに男は中村さんを蹴る。さすがの彼女でも立ち上がることができない。


 どう考えてもこんなのはおかしい。

 私は最初、中村さんが理不尽に来瑠々ちゃんを縛り付けていた事だけが問題だと思っていた。でも、蓋を開けてみればもっと根が深い問題がそこにはあったんだ。

 

 実は中村さんは、来瑠々ちゃんを守ろうとしていたのではないか。

 どうみても悪党なこの男と中村さんの間に何らかのトラブルがあって、来瑠々ちゃんはそれに巻き込まれかけている。おそらくさっきのお金は、男が来瑠々ちゃんへ手を出さないよう約束させるためのもの。『上納金』と言っていたあたり、良くない使い方をされるであろうお金だ。

 

 この男、いや、その後ろにいるであろう連中と来瑠々ちゃんを絶対に接触させたくない。そういう強い意志があったから、中村さんはあえてこんなやり方で来瑠々ちゃんをワンダーフォーゲル部に縛り付け、自分の手でこの問題をなんとかしようと思った。


 あまりにも中村さんは不器用すぎる。不器用なりにどうしようか考えた末の結果がこれなのだろう。

 もし本当にここまでのことが事実なのだとしたら、真っ当ではないのは中村さんではなく、この男のほう。中村さんを責めるのは違う。

 

「おいおい急に黙るなよー。友達が困ってんだからさあ、ちょっとくらい助けてやったほうがいいんじゃねえの? なーに、稼ぐったってそんなに難しい仕事じゃねえよ? マグロでもできる簡単なことだ」


 憎たらしい男の口ぶりに、私は腹が立ってきた。

 こんな金のために動くような人間のエゴで、来瑠々ちゃんと中村さんの自由が脅かされているのだ。あまりにも理不尽すぎる。

 

 真っ当ではないやり口など許せるわけがない。


 ここで私が尻尾を巻いて逃げても、誰もそれを咎める人はいないだろう。しかし、それではこの状況はより悪化する。これ以上悪化したら、それこそ取り返しのつかないことになってしまってもおかしくない。


 じゃあ私はどうする? そんなの決まっている。行動を起こすしかない。


「……わかった。私が不足分を稼げばいいんでしょ」


 この場の空気が少し変わった。

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