第29話 田澤睦月とワンダーフォーゲル部

「……残念な演奏だな」


 その声の主は、いつの間にか部室の中にあるソファに座っていた。


「おお、睦月むつきじゃないデスか! いつの間に来たんデスか?」


 あくびをして、今にも睡眠に入る体勢を取っていた一人の女子生徒。

 全体的に色素が薄い風貌で、雫ちゃんより小柄。例えるならば、妖精のような少女。


「おっと、みんなに紹介しておかないといけないデスね。この子はうちのもう一人の幽霊部員、田澤たざわ睦月むつきデス」

「……ごきげんよう」

「よ、よろしく……」「よろしくお願いします……!」


 睦月ちゃんはペコリと頭を下げる。表情の変化はあまりなく、ちょっと不思議な感じの子だ。いわゆる「不思議ちゃん」ってやつだろう。

 ワンダーフォーゲル部のもう一人の幽霊部員ということで、何らかの理由があって所属している。


「睦月は部活の規定人数を満たすため名前だけ貸してくれていたんデス」

「……そう。そのかわり、昼寝をさせてもらっている」


 睦月ちゃんが名義を貸している幽霊部員だというのはなんとなく想像がついた。けれども、その交換条件が「昼寝する場所の提供」というのが、あまりにも予想外で驚いてしまった。


「ひ、昼寝……?」

「そうなんデス。睦月はとにかく寝ないと身体が保たないようで、授業中も教室を抜け出してよくここで寝ていマス」

「で、でも、それじゃあ出席とかまずいんじゃ……」

「大丈夫デス。睦月は授業なんか出なくても学年トップの成績デスから問題ナッシングデス」

「お、おお……、特別待遇ってやつだ……」


 不思議ちゃんあるある。めちゃくちゃ頭が良い。

 睦月ちゃんもこの例に漏れないようで、聞けば全国模試の順位でも一桁が当たり前なのだとか。

 なぜうちの高校に入ったのか疑問だけど、おそらく家が近くてギリギリまで寝ていられるからとかそんな理由だろう。


「あっ、でも、私たちがこの部屋で演奏していたら、睦月ちゃん眠れないんじゃない?」

「……それは問題ない。私はうるさいところでも平気で眠れる。寝床も、このソファーがあればそれでいい」

「そ、そうなんだ。なら良かった……」


 彼女に無断で部室を使うような真似をしてしまっていたので、それでも何も問題がないのであれば安心だ。私は胸をなでおろす。


 しかし、そんな安心感を打ち破るかのように、睦月ちゃんは容赦ない言葉を私へと向けてきた。


「……それよりも、さっきの演奏」

「演奏が……、どうかした?」

「……ベースがひどい。まるで素人」

「……ぐう」


「ぐうの音、ギリギリ出るんデスね……」「ぐうの音が出るの初めて見ました……」


 そんなジョークで場をごまかすしかできないくらい、睦月ちゃんの言葉は正論のパンチだった。

 いくら前世でメジャーデビュー経験のある私でも、楽器が変われば雑魚同然なのだ。


「やっぱりもっとベースを練習しないとダメかぁ……」

「だ、大丈夫ですよ! 深雪さんはギターが上手いんですから、すぐにベースだって上達しますって」

「そうデス! 世の中の大半のベーシストはだいたいギター経験者デスから、深雪は伸びしろバッチリデス!」


 雫ちゃんと来瑠々ちゃんは必死でフォローを入れてくる。「全然ダメだ」と言わない優しさが見えてしまうのが、なんとも辛いところ。


「……上手いベーシストなら、適任者がいるだろ」


 ガヤガヤした空気をを劈くような透き通った声で、睦月ちゃんがそう言う。


「適任者? 近くにベース経験者がいるの?」

「……いる。というより、なぜそいつを呼び込んでいないのか疑問なくらいだ」

「そんなに有名な人、いたっけ……?」


 私は自分の交友関係を思い浮かべる。

 情報通の向井さんは楽器ができないと自分で言っていたし、中村さんは見ての通り超がつく武闘派。楽器を弾いているイメージはまったくない。それ以前に停学中だ。


 予想斜め上をいって、目の前にいる睦月ちゃんがベーシストなのかという結論に達したが、それも本人から否定されてしまった。


 そんな感じでうんうん悩む私をよそに、雫ちゃんが小さく呟く。


「……もしかして、希空ちゃんのことですか?」

「そうだ。あの子なら間違いなく戦力だと思うが。……いかん、眠すぎるから寝る」


 意味有りげに言葉を残して睦月ちゃんは夢の中へ旅立っていった。

 雑な寝床でもすぐに寝付けるのは、なんだかツアー中のバンドマンみたいでちょっと共感してしまったのは内緒。


 それにしても、古川さんがベーシストというのは初耳だ。

 お互いに知らない仲ではないし、雫ちゃんとは昔からの知り合いであるようなので、バンドに誘うのは簡単そうである。


「雫ちゃん、古川さんって……」

「無理です。希空ちゃんはバンドに入ってくれません」


 私がそう訊こうとした瞬間、食い気味に雫ちゃんは質問を遮った。

 

 いや、そもそもの質問が野暮だった。


 古川さんがバンドに入るという意志をもっているのてあれば、既に雫ちゃんから誘われていて、この部室でベースを担いで鳴らしているはずだ。二人の仲はそれくらい深い。

 だから雫ちゃんが古川さんを誘わないのには、何か明確な理由があるということになる。


「そう言い切るってことは、やっぱり古川さんには何かあるってことだよね?」

「……はい。希空ちゃんは、家庭の事情で部活動ができません」


 雫ちゃんは苦しげにそう答える。自分の事ではないはずなのに、なぜか自分が悪いかのような声色で話す。その言葉の中身には、やむにやまれぬ事情が内包されているのだろう。


「差し支えなければ、家庭の事情っていうのを教えてもらえないかな?」

「……それは、私の口から言っていいものかわからないので」

「そう言われれば確かにそうだね。……じゃあ、そういう事情があるってことだけ理解しておくよ」


 個人的なことなので、本人の承諾なくベラベラと喋るのは確かにマナー違反というものだ。そういうことをちゃんと守るあたり、雫ちゃんはやっぱり人間が良くできているなと思う。


 しかしその家庭の事情というのが気になって仕方がないというのもまた事実。雫ちゃんが教えてくれないのであれば、直接古川さんにアタックしてみるのが間違いない。

 

 睦月ちゃんが「間違いなく戦力だ」と言い切るのだ。一度一緒に演奏してその腕前を見せてもらいたい。

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