第27話 来瑠々と優しさ
「――ちょっと待って古川さん。中村さんがサインするかしないかの前に、お願いがあるんだ」
私は二人の会話を遮るようにそう言い放つ。すると、既にわかっていたかのように古川さんが別の書類を取り出した。
「はい。これでしょ? あなたたちが求めていたもの」
その書類は、二枚の入部届だった。
ここに今、私と雫ちゃんがワンダーフォーゲル部に入る旨を記入をして提出すれば、中村さんが抜けたとしても規定人数を下回らなくなる。
そしてしがらみが無くなった来瑠々ちゃんを取り込んで、ワンダーフォーゲル部は新生軽音楽部としてリスタートすることが見込めるということだ。
おそらく古川さんはここまで見越していたのだろう。恐ろしいほど用意周到で、私は思わず生唾を飲んだ。
「これで中村さんの懸念していた『ワンダーフォーゲル部というマグワイアさんの居場所がなくなる』っていう心配はなくなるわ。だから安心して誓約書にサインして頂戴」
古川さんはそう言って中村さんへサインを迫る。その姿はすべてを自分の手のひらの上で転がしていて、まるで女王のようだった。
中村さんがサインをためらっていたのは、ワンダーフォーゲル部が無くなってしまうことに対する不安があったからだ。来瑠々ちゃんをワンダーフォーゲル部に幽閉するようなことをしたわけだが、既にあの部室は来瑠々ちゃんのひとつの居場所になっていたのだ。
自分のせいで来瑠々ちゃんが不利益を被るというのが、彼女の中でどうしても許せなかったのだろう。
そんな彼女を見かねたのか、古川さんはこの場で私と雫ちゃんが入部届を提出するのを彼女へ見せつけたというわけだ。
「……お前、まさか全部わかってて」
「そんなわけないじゃない。私はただ、効率よく業務を遂行したいだけなの。……面倒なのよね、新規で部活を作られてなおかつ部室の取り合いを仲裁しないといけないっていうの」
「……気に食わねえ。けど、まあ、助かった」
「それはこっちのセリフでもあるんだけどね。あんたのおかげであの半グレ集団を一網打尽にできたわけで……まあ、パパもこれで出世するだろうし」
古川さんは少し声のボリュームを落としてそう呟く。事務的で規則に従順なイメージの彼女だけれども、意外と人間味があるように見えた。
そうこうしているうちに中村さんはペンを取り、誓約書へサインをし始める。それと同時に、私と雫ちゃんはワンダーフォーゲル部への入部届を記入した。
「――はい。書類は全部受理したわ。これで事務手続きは丸く収まったから私は帰るわ。あとは好きにやって頂戴」
書類を回収した古川さんは、まるで風のように生徒会室から立ち去っていった。
取り残された私たちの間には、なにか弛緩した空気が漂っている。ただ単純に、この事件の終わり方が想像よりあっけなかったという、それだけなのかもしれない。
「……葉、話がありマス」
沈黙を破ったのは来瑠々ちゃんだった。一方の中村さんは、あまり乗り気ではないように見える。
「なんだよ」
「葉には感謝をしないといけないと思って。……ありがとうございマス」
「なんで俺が感謝されなきゃいけないんだよ。お前のこと、何も言わずに縛り付けて不自由な思いをさせて、普通だったら恨まれてもおかしくないことをしてるんだ」
「確かに、表面だけ見たらそう見えると思いマス。でも葉は、なんやかんや私のために動いてくれていたんデスよね。だから感謝をしないといけないのは私のほうデス」
不器用な行動と言動、でも中村さんの根底には来瑠々ちゃんを守りたいという気持ちが確かにある。
この事件があって初めて、来瑠々ちゃんは中村さんの内なる想いに気がついたのだ。
「葉が停学になってしまった原因も実は私にあるわけで、正直、私を代わりに停学にしてほしいくらいの気持ちデス」
「いやいや、それはおかしいだろ。どう考えたって俺が悪い」
「葉はそう言うでしょう。だって葉はとっても優しいんデスから」
「……弱ったなあ」
「……だから私は、葉の優しさにどう報いればいいのかわからないんデス」
中村さんは、困ったように後頭部を掻いた。
このまま彼女が「優しさに報いる必要なんてない」と言い放ったところで来瑠々ちゃんは引き下がりはしないだろう。
「わかったわかった、そんじゃあこうしよう。どうせ俺がいなくなった後、こいつらと一緒にバンドかなにかをやるんだろ? 俺に報いる気持ちがあるなら、それで何かしら結果を出してくれりゃいい。それなら俺も、停学食らった甲斐が出てくるってもんだ」
「葉……」
「そんな顔すんな。別にこれから一生会えなくなるわけじゃねえんだ、深く考えすぎなんだよ来瑠々は」
半ばやけっぱちの折衷案みたいな中村さんの提案だったけど、その言葉に来瑠々ちゃんはどこか安心したようだ。
中村さんは来瑠々ちゃんを抱きしめる。友情のような愛情のような二人のそれは、ここに来てやっとはっきりとした形になったような気がした。
「んでもって、お前らもワンダーフォーゲル部に入ったからにはちゃんと来瑠々を支えてもらわねえと困るんだからな。もし来瑠々が泣くような真似してみろ。今度こそぶん殴るぞ?」
「も、もちろんだよ。ちゃんとやるから任せておいて」
「……ったく、頼んだぞ、本当に」
そう言い放つと、中村さんは椅子から立ち上がった。潰して履いていた靴のかかと部分を指で直すと、彼女は生徒会室から立ち去ろうとする。
「じゃあ、俺は停学が決まったわけだしさっさと帰ることにするわ。ライブやる時は呼んでくれよ、観に行くからよ」
去り際の彼女の背中には哀愁のようなものはなく、不思議と上機嫌に見える。
紆余曲折あったけれど、どうやら私たちはまたひとつ前へ進む事ができたようだ。
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