第40話 希空とワンダーフォーゲル部

「……言いたいことはわかったわ。でも、仮に今から私がワンダーフォーゲル部に入ってバンドをやったとして、廃部が覆されるわけではないわ」

「そこは『生徒会のテコ入れとして、私がワンダーフォーゲル部を再建します!』って感じでなんとかならないかな?」


 私は冗談っぽく、それでいて本気の声色でそう言った。

 古川さんはその一押しで何かが崩れたのか、呆れたという表情を浮かべる。


「……はあ、そんなことしたら、生徒会に戻れないじゃない。生徒会長に喧嘩でも売るつもり?」

「戻る必要なんてある? それに、ちゃんと実績出せば生徒会長も納得してくれると思うんだよね」

「まあ……、確かにあの人はそういう人ね……」

 

 古川さんは、「まったく、どこまで下調べしているんだか……」と、今日何度目かわからないため息をついた。

 彼女の中に抱え込まれていた鬱屈したものが、やっと吐き出されたかのようなため息だった。


 難攻不落の生徒会役員アイアンメイデンも、だいぶこちらに心を開いてくれたみたいだ。


 しかし、問題解決まであと少しというところで、雫ちゃんがあることに気づく。


「あっ、でも深雪さん、希空ちゃんがもしバンドをやるなら、妹さんたちはどうなっちゃうんですか……? 面倒を見る人がいなくなっちゃうのはさすがにまずいんじゃ……」

「大丈夫、それも考えてある」


 私は再び制服のポケットに手を入れ、中に入っていた一枚の紙を取り出す。

 先程の生徒手帳と同じように、それを二人の前へ突き出した。


「『いしわたり音楽教室 生徒募集中!』ですか……?」

「そう、実はこれ、私のお母さんが音楽教室を始めようとしているんだけど、これはそのチラシなんだ」


 うちの母親は以前から子供向けの音楽教室をやろうとしていた。

 しかし、体調が優れない時期があって、その夢はなかなか叶わないままだった。


「うちのお母さんね、私を産んだあと病気になっちゃってさ、子供ができない身体になっちゃったんだ」

「そ、そうだったんですか!? それは大変でしたね……」

「でも子供は好きだからどうにかして音楽教室を開こうと頑張ってて、それでついに始めようって」


 つい先日、自宅の防音室を使ったときにピンときて母親に提案してみた。そうしらた、今ならできるかもしれないと言ってやる気になったのだ。

 

「だから古川さんがバンドで忙しくなるなら、妹さんたちをうちに預けてもらってもいいかなって」

「言っておくけど、そんなお金ないわよ。確かに妹たちも興味はあると思うけど、うちは特待もらってギリギリで生活しているんだもの」

「それは重々承知。古川さんからお金を取る気はないよ」

「それじゃあ、商売にならないじゃない」

「まあね。でも、『全国大会出場レベルのバンドを組んでいて、桜花崎女子で特待までもらっている古川希空さんの妹たちが通っている音楽教室』って箔がつけば、二人分くらいの月謝を無料にしてもお釣りが来ると思うんだ」


 あまりに長ったらしくてわざとらしい触れ込みを口にすると、鉄仮面だった古川さんがついに吹き出す。


「ぷっ……、さすがにその宣伝文句は長すぎよ。ネット小説のタイトルじゃないんだし」

「そうかなあ……」

「そうね。せめて『古川希空の妹たちが通う音楽教室』くらいシンプルになってもらわないと」


 それはつまり、古川希空という存在が、皆に説明がいらないレベルのすごい人になるということ。

 イコール、ワンダーフォーゲル部バンドへ加入をするという、古川さんなりの宣言でもある。

 

「ずっと雫と音楽をやりたかった。でも、周りの人とか環境のせいにして、音楽をやるのは正しいことではないってどこかで思い込むようになっていたのよね」

「……希空ちゃん」

「ごめんね雫。一緒に音楽ができないならせめて応援くらいしてあげようって、ずいぶん偉そうなことをずっと思ってた」

「そんなことない。中村さんや来瑠々さんの一件で助けてくれたり、部員を集められなかった私に猶予期間ををくれたり、希空ちゃんにはすっごく助けられた。希空ちゃんと一緒に音楽ができない分、なんとか頑張ろうって思えた。だから今、私は本当に嬉しいよ」

「雫……」


 古川さんは笑みを浮かべる。つられて雫ちゃんも笑う。

 多分これが本来の二人の姿なのだ。あるべきところにやっと戻ってきた、そんな感じ。


 一人だった雫ちゃんが私と出会い二人になった。

 来瑠々ちゃんが加わって三人になり、ようやく古川さん――いや、希空ちゃんという最後のピースが埋まった。

 この四人なら間違いない。どんな困難でも乗り越えられるような、そんな気がするのだ。


 私は感慨深くなって、まるで育ての親にでもなった気分で腕組みをして頷いていた。

 すると、浴室の方から誰かが歩いてくる。


「希空ー? シャンプーが切れてしまったのデスがどこにありマスか?」

「ええっと、洗面台の上の棚に……って、あなた、その格好でここまで来たの!?」


 浴室からやってきた来瑠々ちゃんは一糸まとわぬ姿だった。希空ちゃんが驚くのも無理はない。

 知ってはいたけど、来瑠々ちゃんはなかなかのダイナマイトボディである。上から下までボン・キュッ・ボンだ。

 ……ワードセンスが古いのは私の中身がおばさんだからなので許してほしい。


「そりゃそうデス。お風呂に入っている真っ最中だったんデスから」

「せめてタオルを巻くとかしなさいよ。恥ずかしくないの?」

「恥ずかしがる要素が無いのデスが。女同士デスし?」

「……だからこそ余計に気を使うんじゃない!」

「……? まあいいデス、希空はとってもシャイということデスね」

「いいから早く戻りなさい! シャンプーは洗面台の棚の上だから!」


 まるでお母さんみたいな口調で、希空ちゃんは来瑠々ちゃんを浴室へ帰す。

 やんちゃな娘を上手に手懐けるその手腕は、さすが二人の妹の面倒を毎日見ているだけある。

 パワーあふれるじゃじゃ馬ドラマーの来瑠々ちゃんの手綱を握られるベーシストは、確かに希空ちゃんくらいかもしれない。


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