第39話 希空と雫
食後のひととき。雫ちゃんと古川さんは、ようやく一対一のテーブルについた。
少し離れて私が見守っているので、厳密には一対一ではないのだけれども。
「……それで? 何か言いたいことがあるのでしょう? 雫」
おあつらえ向きに対話の準備ができていたので、さすがに古川さんも気づいたらしい。
「希空ちゃん、どうしてワンダーフォーゲル部を潰そうとしているの?」
改めて雫ちゃんが古川さんに問う。
「生徒会の仕事だからに決まっているでしょ。私は生徒会役員だもの、そうするのは当たり前」
「でも、希空ちゃんは私達にこっそり協力してくれていたよね。中村さんの騒動のときも、希空ちゃんのお陰で助かった」
「それは生徒会のルールに反しない範囲でやっただけ。言ったでしょ? 面倒ごとが嫌いだって」
「希空ちゃんはそんな人じゃないです! 私みたいな気の弱い人にでも手を差し伸べてくれる、優しい人のはずです!」
雫ちゃんは大きな声でそう言い放った。
長い付き合いのある古川さんでも、このような振る舞いをする雫ちゃんは珍しいのだろう。目を見開いていた。
「……もう、無理なのよ」
「希空ちゃん……?」
「どれだけ上手に立ち回っても、雫やワンダーフォーゲル部を助けるのはもう無理なの。だからいっそ……、私は……」
古川さんは言葉に詰まる。
ちょうどお皿を洗い終えた私は、沈黙する二人の間に入ることにした。
「いっそのこと、雫ちゃんに嫌われようとしたんだよね」
私がそう言うと、古川さんも雫ちゃんも驚いた様子でこっちを見た。
「……そう。そのほうが楽になれるって思ったわ。嫌われてしまえば、ためらうことなく生徒会の仕事ができるから」
「やっぱりね」
「でも誤算だった。あなたたちは私が突き放せば突き放すほど、嫌うどころかすり寄ってくるんだもの」
古川さんは自嘲する。いままで抱え込んでいたものが、少しだけ漏れ出たような、そんな表情だった。
「古川さんは嫌いになんてなれないんだよ。雫ちゃんも、ワンダーフォーゲル部も、音楽も」
「……どうしてそんなこと言うの」
「色々心当たりはあるんだ。財布にピックが入っていたり、ゲームミュージックでベースラインをずっと聴いていたりしていて、古川さんの根底には『音楽が好き』って気持ちがあるんだなって思ったんだ」
「よく見ているわね。尾行は下手なのに」
「まあね。だからそんな気持ちを古川さんが持ち続けているからこそ、雫ちゃんと喧嘩別れになるのは良くないなって」
古川さんは観念したのか、ため息を一つつく。
手元にあるお茶に口をつけて、もう一度ため息をついた。
「ひとつ私に考えがあるんだ」
「考え……?」「考えですか……?」
唐突に私がそう言うと、二人はこちらを向く。
考えと言っても、ちょっとギャンブルに近いものだ。
「古川さん、やっぱり私たちとバンドをやろうよ。それなら雫ちゃんにわざと嫌われるようなこともしなくていい、好きなことを思いっきりできる」
「……あなた、話を聞いていたの? 私は生徒会役員であるから――」
「そんなもの、投げ捨ててしまえばいいんだよ」
私が言い放った一言に、二人とも驚いていた。
古川さんが背負っている生徒会役員の役職を取っ払って、いっそのこと自由になってもらう。それが今の彼女を重圧や閉塞感から解放する唯一の手段だ。
「投げ捨てられないからこんなことになっているんじゃない! あなた、まともに考える気あるの?」
「あるよ。考えた末の結論だよ。このまま古川さんが抱えたままでいたところで、事態は好転すると思う?」
激昂した古川さんに、私も質問で返すという喧嘩腰。ここで言い負けてはいけない。
「私はそうは思わない。このままだと古川さんも苦しいし、雫ちゃんも苦しい。もちろん、私も来瑠々ちゃんも」
「だからって、生徒会をやめるなんて選択、取れるわけないじゃない」
「もう一度立ち返ってみてよ。古川さんは、どうして生徒会に執着しているのか」
そう言うと、古川さんは少し考え込む。
「それは……、特待を取らないといけないから……。特待がないと、生活ができないから……」
「だよね。古川さんは自分の家族のために頑張っているんだよね」
「そうよ。だから生徒会を辞めるのは無理。どうやっても無理なの」
「無理じゃないんだよ。その方法を、私は考えてきたんだ」
私は制服のポケットからあるものを取り出す。それは、この学校の生徒なら誰でも持っている生徒手帳だ。
レザーケースの表面には自分の名前や顔写真がついた身分証があって、付属する冊子には校歌や校則などが小さな字でびっしり書かれている。
もちろん、大半の生徒は身分証のほうしか使わないだろう。校則の書かれた冊子など、よほど暇でも持て余さない限り読むことはない。
「私の知り合いにちょっとばかり校則に詳しい人がいてね。いろいろ教えてもらったんだよね」
その「校則に詳しい人」というのはもちろん睦月ちゃんだ。
私の考えが正しいかどうか判断するため、彼女にいろいろ教えてもらい確認を取った。
冊子の中の該当するページを開くと、私はその文面を古川さんと雫ちゃんへ見せる。
「ここに書いてあるのは、校則の第四十二条『特待制度について』という条文なんだ」
「ええっと……、『弊学では学業優秀かつ課外活動にて優秀な成績を収めた者に授業料免除等の特別待遇を与える』とありますね……。よくある条文だと思いますけど……?」
「そうね、私も特待を申請するとき、この条文はよく読んだ記憶があるわ。これがどうしたっていうの?」
なんだそんなことかと言わん気に、古川さんは腕組みをする。
「まあまあ、話はここからだよ。要するに古川さんは学業が優秀で、なおかつ生徒会という課外活動でも頑張っているから特待が受けられたってわけなんだよね。それで、もし生徒会を辞めてしまうと、この二つの条件のうち一つを満たせなくなる」
「そんなこと誰だってわかるじゃない。今更説明なんていらないわ」
「でも、別の課外活動で優秀な活動実績をあげれば、生徒会じゃなくても特待を受けられるんじゃないかな?」
課外活動、それはすなわち「学業以外の活動や経験」のことを意味する。一般には部活動のことを指すことが多いだろう。それ以外にも古川さんのような生徒会活動はもちろん、校外でボランティア活動をすることなんかも含まれる。
……言葉の意味を確認するために、天才少女の睦月ちゃんを頼ったのは内緒。
要するに私が言いたいのは、「別に生徒会じゃなくても特待は受けられる」ということだ。
「深雪さんまさか……、希空ちゃんをバンドに誘って、それで成果を上げて特待を取ろうって言うんじゃ……」
「そのまさかだよ。他に部活で特待を受けている人を調べたんだけど、運動部や文化部問わず、全国大会出場クラスなら文句なく採用されている感じだった。だからいけると思う」
「そんなそんな、うちのバンドじゃ全国なんてとても……」
「そんなことないと思うよ? 雫ちゃんの曲と歌は一級品だと思うし、来瑠々ちゃんのドラムは高校生離れしてる。ウィークポイントのベースに古川さんが加わってくれれば、余裕で全国レベルだよ」
もちろん私の主観だけではない。睦月ちゃんにも念の為訊いてみたけれど、このメンバーなら間違いないと太鼓判を押してくれた。
こんなことを言ったものだから、雫ちゃんは「はわわわわ」と声にならない声を出して慌てている様子だった。
一方の古川さんは、何も言わず黙っている。再び口を開いたのは、十数秒経ってからだった。
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