第24話 皇后とひざまずく侍女

「この国で学んだ知識を同胞たちがもちかえり、わたしどもの国にあった形でとりいれているのです」


 辛都護の話しぶりに気になる部分があり、万明玉はさらに質問をかさねる。


「国にあった形? そのままではダメなの?」


 辛都護は万明玉の話にうなずく。そして、おだやかな口ぶりで情報をたした。


「一概にダメだとは言いません。ただ、気候や地形、外界との交流具合や紛争など、その土地その土地で状況も人々の考え方もちがうでしょう。ですから、わたしたちの国の人々がうけいれやすい形にかえたうえで、新しい知識を取りいれているのです」


 万明玉は納得顔で「入郷随俗にゅうきょうずいぞく。人だけでなく、知識にも言えるのですね」と神妙に答えた。

 万明玉の答えに、辛都護はほほ笑みをふかくする。それから、武俊煕にむきなおると、あらためて暇乞いをした。


「長々と話してしまい、失礼しました。では、いずれまた」


 武俊煕が「お元気で」と応じ、辛都護との会話に感じいった万明玉はお辞儀して見送った。


 ◆


 辛都護とわかれてすぐ、万明玉と武俊煕は後宮である内廷へと足をふみいれた。

 玥淑妃の居宅である寝宮は、数ある寝宮のなかでも一番奥まった人気のすくない場所にあるそうだ。第一皇子の生母なら、もっとにぎやかな場所もえらべただろう。しかし、玥淑妃はその名のとおり、つつましやかに暮らしているらしい。

 皇帝の寝殿のわきをとおり、妃たちの寝宮がつらなる内廷西側の内西路にはいる。道の両脇には妃たちの寝宮と皇帝の寝殿をそれぞれ囲う高い塀があり、その塀は赤く塗ってある。そんな赤くまっすぐな道を最奥まですすめば、めざす玥淑妃の寝宮だ。

 内西路を歩いていると、宦官や侍女たちと何度もすれちがった。すれちがうたび、彼らは道のわきによって万明玉たちに頭をさげる。すこし離れると彼らは顔をあげるのだが、侍女たちは頬を赤らめ、うっとりと武俊煕をながめるのだった。


 ――孝王殿下は侍女たちに人気があるみたい。


 通りすぎる人々をながめ、万明玉は思う。

 そうこうするうちに、武俊煕が庭園を見ていこうと万明玉に提案した。後宮の庭園に興味がわいた彼女は、武俊煕のさそいにのり、庭園へと足をむける。


 庭園には季節の花が咲きみだれていた。

 孝王府にもあった白木蓮、紫色の花びらをもつ紫木蓮は満開。よせ植えされた黄色い連翹れんぎょうが鈴なりに咲く様子もうつくしい。花海棠はなかいどうはまだ咲いていないが、つぼみは赤く色づいていた。咲きほこる花々のなかに、石灰岩の巨石がいくつもおかれているのだが、水食だろうか。岩は大小の穴があいた奇石ばかりだ。


 ――なんだか、師父の屋敷のまわりの風景に似てるわね。


 岩がまるで峰のつらなりに見え、万明玉はめずらしさやうつくしさより、なつかしさを感じる。


「母上の宮は、庭をぬけてすぐだ」


 言いながら、武俊煕がすすむ方向をゆびさしたときだった。庭の低木が、がさがさと音をさせてゆれる。驚いて音のしたほうを見た万明玉は一瞬、黒い小さな影を見た。


「今のは?」と万明玉。


 しかし、首をひねるばかりで、武俊煕は答えられない。

 返事をしたのは楊冠英だった。彼は言う。


「わかりません。でも、妖気や方術の気配は感じませんでした。鳥でしょうか?」


 ――そうかも。


 楊冠英の言うとおりで、万明玉も悪い気配は感じなかった。あやしむにあたいしないと考え、彼女たちは歩みを再開する。


 歩きだしてすぐだ。万明玉たちは、はいってきたのとはべつの庭園の出入り口に到着した。

 すると、こほこほと咳こむ声がし、咳が聞こえるのは出入り口のほうだとわかった。

 弓なりの石づくりの出入り口から庭園のそとが見える。同時にふたりの女性が目にはいり、万明玉たちは思わず足をとめた。彼女たちがいるのは、もともと万明玉たちが歩いていた内西路だろうとわかる。その石づくりの道に侍女がひとり、ひざまずいていた。あとのひとりは、豪華な黄色の着物をまとい、髪の毛もうつくしく結いあげている。彼女は、自分のまえでひざまずく侍女を見おろしていた。


「淳皇后」


 ふたりの女性を見た武俊煕がつぶやく。


 ――あのひとが皇后さま。


 一度会ったはずだが、ご多分にもれず花嫁の蓋頭がいとうのせいで、万明玉は皇后の顔を知らなかった。しかし、ふたりのどちらが皇后かは明らかだ。彼女は武俊煕の出かたをうかがう。

 武俊煕は「皇后さま」と呼びかけ、足早に淳皇后にちかづいた。彼は拱手の礼をつくし、彼女にたずねる。


「その者は母上の侍女です。もしや、彼女が皇后さまに粗相そそうをしましたか?」


 淳皇后は武俊煕をふりむき「あら、孝王。どうして……」と口にしかけたが、彼の肩ごしに万明玉を見るとにこりとほほ笑んで訂正した。


「夫婦で玥淑妃に会いにきたのね」


 万明玉は侍女すがたの楊冠英をひきつれ、淳皇后のまえにすすみでる。そして、深々と頭をさげた彼女たちは、正式な礼をつくしてあいさつする。


「皇后さま。千歳せんさい千歳せんさい千々歳せんせんさい


「顔をあげなさい」と皇后。


「ありがとうございます。皇后さま」


 万明玉は感謝の言葉をのべ、楊冠英とともに顔をあげた。

 ひざまずく侍女をあらためて見て、淳皇后に視線をもどすと「なにがあったのですか?」と、武俊煕がたずねる。

 すると、淳皇后はほほ笑んで「たいした話ではないのだけど」と言い、言葉をつづけた。

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