第16話 偽夫婦の奇縁

 ◆


 宮廷での婚礼の儀をおえた万明玉は、孝王府と呼ばれる孝王の屋敷に足をふみいれた。

 今は夫婦の寝室でひとり、豪華な花嫁衣装のまま寝台に腰をかけている。


 ――ようやく、念願の孝王府にやってきた。


 人の目のある儀式はおわり、万明玉はほっと安堵の息をついた。来たくとも来れなかった場所に居るのだと思いながら、彼女は寝室をみまわす。すると、高揚した気分になった。


 ――これで柳師兄のゆくえの手がかりを探せる。でも、王府じゅうを調べてまわりたいなんて、許してもらえるかしら?


 万明玉が悩むのも無理はない。なぜなら、今までの怪異は、花嫁が嫁ぐまえにおこっていたからだ。怪異を撃退して嫁入りにこぎつけたのは、万明玉が初めて。よって、怪異はおきていない孝王府内を調べてまわる必要があると主張するのは、すこし無理があった。

 悩んだ万明玉は、何気なく部屋の扉に視線をむけた。蓋頭ごしではあるが、すりガラスごしにぼんやりと人影が見える。おそらく、護衛の従者だろう。


 ――どうすべきか楊師弟に相談したいけど、まだ婚儀がすべておわったわけじゃない。行動をおこすのは、明日からになりそうね。


 万明玉が偽の花嫁だと知るのは、王府でも一握りの人間だ。下働きや護衛の従者、侍女長の桑児そうじでさえ万明玉を本物の花嫁だと思っている。

 まだ花嫁の役割を演じつづけるべきだと感じ、うんざりした万明玉は目をふせた。


 偽とはいえ、花婿のおとずれを待っているからだろうか。万家で令嬢として再教育をうけた際に手にいれた、花婿の人となりの情報に思いをめぐらせる。


 花婿の孝王は、名前を俊煕しゅんきと言い、年齢は二十三歳。大倫国皇帝の第一皇子で、皇帝の皇子時代の名と王府をついだ。

 武俊煕は、義侠心に富んだ人物で、剣術や柔術も得意らしい。こまった人がいれば貴賤にこだわらず、得意の武術で手をさしのべるのだそうだ。しかも、評判の美男子らしく、彼をしたう市井の人々は『煦煦くくたる皇子殿下』と、彼に呼び名をつけている。


 ――人々をやさしく照らす日の光のように、民をいつくしむ皇子か。


 目をとじて花婿の情報を整理していると、ぎいと木がきしむ音が万明玉の耳にとどいた。


 ――来たわね。


 部屋の扉がひらいたのをさっし、万明玉は目をとじたまま姿勢よく座りなおす。そして、扇を顔のまえにもちあげると、目をひらいた。

 豪華な花婿衣装をまとった人物が彼女のまえに立つ。飾りだろうか。腰にさげる剣はきらびやかで、金細工や宝石が燭台の明かりに照らされ、きらきらと輝いていた。


 ――この人が孝王、武俊煕。彼は、わたしが偽の花嫁だと知っているのよね。でも部屋のそとには護衛もいるし、まだ花嫁のふりをつづけるべきね。


 慣習どおりならば花婿が花嫁の蓋頭をはずし、初夜をむかえる。芝居をつづけるべきと感じた万明玉は、孝王が彼女の蓋頭をはずすのを静かにまった。

 花婿は無言のまま万明玉にちかづくと、寝台に座る彼女のとなりに腰をかける。彼は丁寧な手つきで万明玉の蓋頭をはずした。

 蓋頭から解放され、万明玉の視界が久々に赤以外の色をとりもどす。そして、花婿のすがたを初めてはっきりと目にし、彼女は「え?」と驚いた。

 しかし、驚いたのは万明玉だけではない。丸みをおびた目を大きく見ひらいて、花婿も声をあげた。


「神仙のお嬢さん!」


 驚く花婿の表情にはかわいらしさがあり、彼の若さをきわだたせる。それは、見おぼえのある既視感だった。

 花婿にむかい、思わず万明玉はたずねる。


「あなた……どうして、ここにいるの?」


 たずねながら、万明玉はまじまじと目のまえの花婿を見た。

 ほっそりとした輪郭をもつ整った顔は、象牙を思わせる白さ。以前はひとまとめにして背中にたらしていた長い髪は、今は団子型にまとめていた。まとめた髪を飾る金の髪冠も豪華でうつくしい。

 髪形や衣装こそちがうが、花婿は妖怪出没のうわさを調べに行くたびに顔をあわせていた若公子だった。


「どうしてって、ここはわたしの屋敷だ」


 若公子こと花婿が万明玉に答える。


 ――そんな馬鹿な。いや、ありえなくもないか。


 考えてみれば、以前に会ったときも良家の公子らしいと思っていた。しかも、危険な妖怪退治をすすんで引きうけるすがたは『煦々くくたる皇子殿下』のいわれどおり。つまり義侠心にあつい若公子は、予想どおり身分の高い皇族で、その義侠心はまわりが通称をつけたくなるほどだっただけなのだ。

 よって、万明玉はひとりで納得し、冷静さをとりもどすと「では、あなたが孝王殿下、武俊煕さまなのですね?」と、丁寧な口ぶりで念押しする。


 万明玉の問いにうなずき、今度は武俊煕が彼女に話かけた。


「神仙のお嬢さんは、万家の血縁の方士だと聞いているが……」


 言いよどみ考えこんだ武俊煕だったが、ぱっと表情を明るくすると「ならば、神仙のお嬢さんではなく、方士のお嬢さんか!」」と声をあげる。

 武俊煕が大きな声で話すので、万明玉はぎくりとした。


 ――方士が皇子の花嫁だなんて、ありえない。護衛に聞かれたら……


 万明玉は、こわごわ部屋の扉を見る。しかし、すこし前まで確認できた護衛の人影はなかった。不思議に思っていると、武俊煕は彼女の気もちをさっしたらしく、口をひらく。


「護衛はさがらせた。好きに話して問題ない」


 武俊煕に教えられ、万明玉はホッと安堵あんどの息をついた。そして、すっくと立ちあがると、武俊煕にむかって拱手の礼であいさつする。


「わたしは姓は万、名は明玉。万家の家長、万正風の姉です」


 しかし、礼儀をつくしたのはここまでだ。万明玉は苦笑いし、あらためて武俊煕に話しかけた。

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