第17話 縁がための杯

「おかしな縁ができたのかしら? 初めて娶るのが、こんな胡散臭い女だなんて。あなたも災難ね」


 皇族を敬えと言われれば意向にあわせなくもないが、武俊煕は何度も顔をあわせてきた人物だ。今さら態度をかえるのも妙だろう。これまでどおりに接すればいいと考えたばん明玉めいぎょくは、軽口を言って笑う。

 万明玉の冗談に、俊煕しゅんきは笑顔をひっこめた。彼は「わたしの考えは以前に会ったときとかわらない」と首をふり、さらに語る。


「方士のお嬢さん、あなたは神仙かと見まがうほどにうつくしい。あなたを王妃にむかえたわたしは幸運な男だ」


 告げる武俊煕は、まじめな顔をして万明玉を見つめた。

 思いがけない武俊煕のきりかえしに、われ知らず万明玉の胸はどきりとする。

 しかし、武俊煕の倍ちかく生きている万明玉は、年上の余裕をみせるべきと考えた。動揺を隠し、彼女は満面の笑みで武俊煕に返事する。


「あなたもなかなかの男ぶりよ。きっと神仙もあなたを見たら、たちまち恋に落ちるでしょうね」


 冗談めかし、万明玉はわざとらしくほめたたえた。

 万明玉の返答に、武俊煕は面くらった顔をする。そして、ぷっとふきだすと笑いをこらえながら立ちあがり、部屋の中央にある丸机にちかづいた。

 冗談を言った自覚はあるが、ふきだすほどでもないだろう。不思議に思った万明玉は「どうして笑うの?」と、首をかしげる。

 すると、武俊煕は「すまない」と謝罪をし、いいわけした。


「わたしの知る女性たちとは、あまりにも反応がちがうから」


 万明玉は「ああ」と納得の声をあげ、武俊煕の話を自分なりに補足する。


「その見た目で、しかも皇族。女の子たちは、本気であなたをほめそやすのね」


 武俊煕は肯定も否定もしなかった。ただ「方士のお嬢さんは、わたしが皇族とわかっても、以前と態度をかえないのだね」と、ほほ笑んだ。

 腕をくんで胸をそらすと、万明玉は「ふふ」と笑って答える。


「この世には本来、貴賤のわけへだてはないと師父から教わってるの。だから、あなたの身分が高いからと言って過度にあがめたりしない」


 万明玉はきっぱりと言いきった。

 すると、丸机に両手をついた武俊煕が「色即是空しきそくぜくう空即是色くうそくぜしき」とつぶやき、万明玉に「世の中はくうだと?」と問う。

 問答をするつもりのない万明玉は、適当に「似た意味なのかもね」と応じ、すこし冷たい口ぶりで言いはなった。


「あなたみたいに身分のある人には不都合でしょうけど」


 意地の悪い言い方をした自覚が、万明玉にはある。しかし、武俊煕は気にせずに言った。


「そうでもないよ。むしろ面白く感じている」


 言って、武俊煕は「あはは」と楽しそうに笑う。

 皮肉ったつもりが軽く笑いとばされ、万明玉のほうはまったく面白くなかった。いらだった彼女は、武俊煕の余裕のある態度をくずしたくてしかたなくなる。よって、彼女は「それに」とつづけ、必要のない話を口ばしってしまった。


「わたしは、あなたよりすてきな人を知ってる。だから、師父の言葉がどうあれ、あなたを特別だなんて思わない」


 万明玉の言葉に、武俊煕はようやく笑いをひっこめ、目をほそめると「へえ。どんな人?」とたずねる。


 ――まずい。勢いにまかせて言ってしまったけど、師兄の話はすべきではなかった。


 もちろん万明玉の言う『すてきな人』とはりゅうだ。しかし、柳毅の手がかりを探す件は万明玉の独断。武俊煕に話すつもりはなかった。

 よって、万明玉は武俊煕をはぐらかすと決める。


「聞いたって、しかたないでしょう。本物の夫婦になるわけでもないし」


 あせりを隠して言った万明玉は、武俊煕から顔をそらした。

 武俊煕は「しかたなくないさ」と応じ、丸机のうえに視線を落とす。

 机のうえには酒のはいったつぼと、ふたつにわった瓢箪を赤いひもでむすんださかずきがおかれていた。

 ふたつの杯に、武俊煕はそれぞれ酒をそそいだ。そして、酒のはいった杯を両手に、万明玉のとなりに座りなおす。彼は、片方の杯を彼女にさしだして話をつづけた。


「どうせ、今夜はここから出られない。時間をもてあましてるんだ。そのすてきな人の話を酒の肴にして、やりすごそうじゃないか。ほら、喉がかわいてないか?」


 ――これ、縁がための杯なのに……


 武俊煕は、飲み物をすすめているだけだ。しかし、彼がさしだしたのは夫婦のちぎりをかわす杯。万明玉は受けとるのをためらってしまう。そうはいっても、彼の言うとおりで喉はかわいていて、彼女の口は酒をほしがっていた。迷う万明玉だったが、ふと昼間に皇帝が言った言葉が頭をよぎる。


『婚儀など、ただの通過儀礼だ』


 ――そうよね。それに婚儀も終えたのに気にするなんて、今さらすぎる。


 ふかく考える必要もないと、万明玉はわりきった。彼女は武俊煕から酒のはいった杯をうけとると口をつける。武俊煕も万明玉にあわせ、もう片ほうの杯に口をつけた。

 ふたりが酒をくみかわした直後だ。

 酒のせいではなく、万明玉の背をぞくりと悪寒がはしる。彼女はすばやく立ちあがり、懐から隠しもっていた方位磁石をとりだした。見ると、方位針があらぬ方向をむいている。

 万明玉の変化に驚いた武俊煕も「どうした?」とたずね、腰をうかした。


 ――この感覚、おぼえがある。


「なにか来る。孝王殿下、物陰に隠れて」


 不穏な既視感から、万明玉は武俊煕に注意をうながす。

 部屋の扉に意識をむけながら、万明玉は武俊煕のまえにすすみでた。

 武俊煕は「隠れる?」と不審がったが、すぐに気づいたのだろう。彼は「もしかして、例の妖怪が」とつぶやいて、扉に注意をむける。

 妖怪とはかぎらないと思ったが、今は意見を戦わせる場面ではなかった。万明玉はあえて聞こえないふりをする。

 そうこうするうち、扉にはめこまれた曇りガラスに、すっと影がさした。

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