第42話 皇后をかどわかす
「わたしと、わたしのうしろにひかえる者は、兄弟子の行方をさがす方士なのです」
覚醒しきり、お付きの侍女でもさがしているらしい。淳皇后は「兄弟子? 方士?」と繰り言を言いながら、あたりを見まわした。
淳皇后の行動を気にもかけず、万明玉はなおも話つづける。
「十五年前、兄弟子は行方知れずになりました。以来、わたしはずっと、彼をさがしつづけていたのです」
万明玉はそこで言葉をきった。そして、しっかりと淳皇后の瞳を見すえると「その兄弟子を先日、後宮の仮氷室で見つけました」と、低い声で彼女に告げる。
万明玉が見つめるからか、彼女の語る話に驚いてか。淳皇后は動揺をみせ「仮氷室? いったい、なんの話をしているの?」と万明玉に質問した。
万明玉は冷たく笑い「とぼけるのですね」と言って立ちあがり、唐突に淳皇后の腕をひいて言う。
「想定の範囲内です。さあ、いっしょに来てください」
強引にひかれた腕が痛むのだろう。淳皇后は苦痛に顔をゆがめ「どこへ行くの?」と質問を重ねた。
このたびの質問には「仮氷室に決まっています」とまともに答え、万明玉はさらに話をする。
「魂魄をなくし、あなたの傀儡と化した兄弟子のいる場所です。死ぬまえに、兄弟子の亡骸のまえで非道を詫びていただきたいのです」
言いおわるやいなや、淳皇后の腕をまた強くひき「さあ、歩いて!」と、万明玉は彼女に命じた。
淳皇后は「死ぬ?」とつぶやき、顔色の悪い顔をさらに青ざめさせる。身の危険を強く感じたのだろう。彼女は悲鳴じみた声をついにあげた。
「無礼者! だれか、だれかいないか!」
淳皇后が助けを求めるが、侍女や宦官がやってくる様子はない。予想とちがう現状に困惑し、彼女は視線を泳がせた。
すると、なりゆきを黙って見守っていた楊冠英が「大声をだしても無駄ですよ」と冷たく言い、淳皇后に説明する。
「このあたりにいる者は全員、睡眠薬をかがせて眠らせました。しばらく起きてはこないでしょう」
淳皇后の目が恐怖でまるくなった。
なかなかうごきださない淳皇后にじれ、万明玉は手にした鉄棍棒を淳皇后の首に押し当てて命じる。
「ぐずぐずすれば、この場でその首をへし折ります。はやく、仮氷室にむかいなさい」
鉄棍棒で首を圧迫された淳皇后は、こくこくとうなずき歩きだした。
皇后の寝殿をでた万明玉、楊冠英、淳皇后の三人は、仮氷室へむかい内西路をすすむ。
淳皇后は夜着のまま、しかも裸足だ。歩く彼女は、そこここで眠りこむ宦官や侍女のすがたを目にした。自分を助ける者がほんとうにいないと知って、彼女は絶望に顔をゆがめる。震える声の淳皇后が、万明玉に質問した。
「孝王妃……いいえ、方士よ。あなたはなにか勘ちがいをしているのではないの? わたしはあなたに恨まれるおぼえはないわ」
淳皇后の背を鉄棍棒で押しながら、万明玉は冷ややかに答える。
「いいえ、皇后さま。十五年前、あなたは武俊煕に危害をくわえようとしたはずです。そのとき、武俊煕を守るために孝王府へひとりの方士が妖怪退治におもむきました。その方士がわたしの兄弟子。あれ以来、彼は行方知れずになったのです」
万明玉の話を聞いてあせりを感じたのだろう。淳皇后は視線をさまよわせて、言葉をなくした。
淳皇后の変化を見て、万明玉は彼女が犯人だとより確信をふかめる。
その後も三人は黙々と歩きつづけ、ついに仮氷室へ到着した。
「さあ、あなたが柳大師兄の体を安置している場所に着きましたよ」
楊冠英が言いはなつ。
青ざめる淳皇后が仮氷室の建物をじっと見つめた。
仮氷室の門番は今日もふたりだ。しかし、彼らも眠りこんでいて、淳皇后を助けるのはおろか、侵入者をこばめもしない。
そのときだった。
「皇后さま?」
突如、万明玉たちの背後で声がする。ハッとして、彼女たちは声のしたほうを見た。
すると、
深夜に寝宮付きの侍女が内西路にでて来ないだろう。そう判断して、万明玉と楊冠英は寝宮付きの人間にまでは睡眠薬をつかっていなかったのだ。万明玉は計画に甘さがあったと自覚し、内心あせった。
「
噛みつかんばかりの勢いで、淳皇后が李薫児に命じる。
淳皇后の剣幕にだろう。びくりと身を震わせた李薫児は、玥淑妃の寝宮に駆けこんでしまった。
「師姐、追いますか?」
顔にあせりをにじませ、楊冠英が万明玉にたずねる。
しかし、万明玉は「放っておきましょう」と首をふり、弟弟子に答えた。
「予定外の事態にさく時間はないわ。淳皇后を柳師兄のまえにひざまずかせる……それさえできれば、死んでもかまわないのだから」
万明玉の言葉に、楊冠英はしっかりとうなずく。そして、ふたりは淳皇后を強引に仮氷室のなかへつれこんだ。
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