第41話 ゆらぐ決意

 きっぱりと言いきり、あらためて拱手の礼をした楊冠英は、決意を口にした。


「むかうさきがたとえ死地だとしても、ご一緒いたします!」


 大倫国では、家族のつながりのふかさを重要視する傾向がある。それは、疑似的な家族である師弟の間柄でもおなじだ。師匠を父とあおぎ、兄弟子や姉弟子には実の兄や姉、弟弟子や妹弟子には実の弟や妹とおなじに接する。

 兄も同然の兄弟子のあだ討ちなら、命もおしまないと考える義侠心に厚い者は多いのだ。


 もちろん、楊冠英の姉弟子で大倫国の貴族である万明玉にも、弟弟子の気もちがわかった。楊冠英の決意を聞いた彼女は「師弟、わかったわ」と応じ、彼に提案した。


「では今夜、いっしょに後宮へ行きましょう」


 楊冠英はふかくうなずく。

 弟弟子にうなずきかえしはした。しかし、年若い楊冠英を道づれにする現実に、万明玉の心は暗くしずみもする。

 その直後だ。

 足音がちかづいてきて、万明玉の部屋のまえで男の声がした。扉のすりガラスに人影がうつる。


「妻殿。はいってもいいだろうか?」


 ――孝王殿下!


 死地へおもむくと覚悟したばかりなのに、武俊煕の声を聞いた万明玉の心がわれ知らず、明るくざわめいた。


 ――死ぬまえにもういちど、孝王殿下の顔を見ておきたい。


 万明玉は武俊煕に会いたくてしかたなくなる。扉のまえに走りよると、彼女は返事をしようと口をひらきかけた。


「どう……」


 万明玉は『どうぞ』と言いかけてやめる。なぜなら武俊煕のすがたを目にしたが最後、彼と別れる決心がつかず、あだ討ちの覚悟がゆらぎかねないと感じたからだ。

 万明玉は部屋の扉をとざしたまま、武俊煕にあらためて返事をした。


「ごめんなさい。すこし体調が悪くて、今はだれにも会いたくないの」


 手でそっと扉にふれ、万明玉はうそをつく。

 すこし間があったが文句も言わず、扉のむこうで武俊煕が「そうか」と返事した。

 その時だ。とととと軽い足音が新たにちかづいてくる。そして、足音の主はすぐに知れた。


「お従兄にいさま、こんなところにいらしたのね! 囲碁の相手をしてくださらない?」


 武俊煕を『お従兄さま』と呼ぶのは曲春華しかいない。すりガラスにうつる影がふたつになり、明るさをとりもどしかけていた万明玉の心は、また暗くしずんだ。


「小華、そんなにひっぱらないでくれ。わかったから」


 曲春華が武俊煕の着物の袖をひいているらしい。武俊煕の困惑してはいるがおだやかな声がする。

 声の調子から従妹への武俊煕の気づかいを感じ、彼女の気持ちはさらにしずむ。そして、唐突に気づいた。


 ――わたし、小瑶や曲春華に嫉妬しているのね。わたしは、孝王殿下が好きなんだわ。


 万明玉の心もちなど知るよしもない武俊煕は、扉のむこうから「妻殿」と万明玉を呼んだ。

 同時に、万明玉の目のまえにあるすりガラスに、武俊煕の手の影がうつる。

 すりガラスに手をあてた武俊煕は、万明玉に声をかけた。


「すこし時間をおいて、また様子を見に来るよ」


 気づかわし気な声色で、扉ごしに武俊煕が言う。

 万明玉は気づかれぬよう、そっと武俊煕の手の影に自分の手をちかづけた。


 ――いいえ、もう会えないわ。恋心に気づいたのが今でよかった。もっとまえなら、きっともっと決心がにぶったから。


 ガラスごしに、万明玉と武俊煕の手がかさなる。しかし、手がかさなったのは一瞬だ。万明玉はすぐに、すりガラスから手をはなした。

 武俊煕もすりガラスから手をはなし、従妹に「一局つきあおう。それが終わったら帰りなさい」と声をかける。彼らはふたりして万明玉の部屋のまえから立ち去った。

 武俊煕と曲春華が立ち去る足音に、万明玉は耳をかたむけつづける。


「師姐。会わなくてよかったのですか?」


 扉のまえでうごけずにいる姉弟子に、楊冠英が気づかわしげにたずねた。


 ――会えるわけがない。柳師兄と孝王殿下、どちらをより好きか。自分でもわからないのに。


 扉に目をむけたまま、万明玉は自嘲の笑みをもらす。それから、彼女は「ええ。これでいいの」と、弟弟子に返事した。


 ◆


「皇后さま。淳皇后さま」


 寝台で眠る淳皇后に、万明玉がささやきかける。

 耳もとで名を呼ばれた淳皇后は、ゆっくりとまぶたをあげた。彼女はあたりを見まわし、万明玉を見つけると「だれ?」とたずねる。


 淳皇后が万明玉だと気づかないのも無理はなかった。万明玉は黒い男性用装束に身をつつみ、顔も黒い手巾で隠している。それは仮氷室を調査したときとおなじ格好だ。


 万明玉は「皇后さま。わたしです」と口にし、顔の手巾をはずした。うす暗くはあるが、常夜灯じょうやとうの蝋燭の明かりに万明玉の顔が照らしだされる。万明玉のほうでも、淳皇后の顔がよく見えた。化粧を落としているからか、暗がりだからか。淳皇后の頬はこけてみえ、顔色も悪いと万明玉は感じる。

 ようやく目のまえの人物がだれかわかったらしい。淳皇后は「孝王妃なの?」とたずねた。しかし、夢見ごこちなのだろう。彼女の万明玉を見る目はぼんやりとしている。

 万明玉は「はい」とうなずき、答えた。


「ですが、ほんとうは王妃ではありません」


 万明玉の言葉の意味がのみこめないのだろう。淳皇后はそっと眉をよせ、ゆっくりと寝台のうえでおきあがる。

 万明玉の話はつづいた。

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