第40話 後悔しない選択
われ知らず胸がずきりと痛み、万明玉は動揺してしまう。それでも、彼女は痛みに気づかぬふりをし、姪に笑顔をむけた。
ところが予想に反して、万楽瑶は万明玉に笑いかえさない。それどころか、ますます暗い表情になるとだまりこんだ。
「うれしくないの?」
伯母のふいの質問に、万楽瑶は目を見ひらく。そして、彼女は目をふせると、ためらいがちに話しだした。
「皇族に嫁げるなんて身にあまる幸運だと、わかっています。でも、ほかに気になる人がいるのです」
万明玉は驚きはしなかった。ただ、万家の屋敷に滞在していたときのできごとを思いだす。彼女が思いだしたのは、万楽瑶と若い男が楽しそうに話しこんでいる場面だ。
――相手は、あのときの若者かしら。でも、困ったわね。小瑶の幸せを考えるなら、王妃になるよう説得すべきなのだけど……
『妻殿が愛する人にめぐりあった結果を、わたしはうらやましいと感じた』
姪にかける言葉に悩む万明玉の脳裏に、また武俊煕の言葉がよぎった。その途端、かけるべき言葉に思いいたり、彼女は口をひらく。
「孝王殿下はすばらしい方よ。あの方の妻になれば、あなたはきっと幸せになれる」
予想どおりだったのかもしれない。伯母の言葉に、万楽瑶はますます顔をうつむかせた。
暗くしずむ姪に、万明玉は「でもね」と、さらに語りかける。
「愛する人をあきらめてまで良縁をもとめるかは、慎重に考えたほうがいい」
『婚姻するだけが縁ではないわ。
姪に助言しただけのつもりだった。しかし、万明玉は過去の自分の言葉も思いだしてしまう。
――師兄に好きだとすら伝えず、しかも失った。わたしなんかに言えた義理じゃない。でも……
一瞬、話す資格があるかと自分自信を疑ったが、姪のうるんだ目を見た彼女は意を決し、自分がすべきだった言葉を贈る。
「一度きりの人生だから。あなたには後悔のない選択をしてほしい」
ありきたりな言葉だったかもしれないが、それは万明玉の心からの言葉だった。
万楽瑶が涙をためた目をまるくする。
姪にほほ笑みをむけ、万明玉はやさしく言い聞かせた。
「よく考えてみて。この婚姻があなたの望みにかなわないなら、父上に相談してみなさい。きっとあなたの力になってくれるわ」
万明玉の助言に、万楽瑶が泣きだしそうな顔で「はい」とうなずく。それから彼女は「伯母さまに話してみて、よかったです」と、万明玉に明るい笑みをみせた。
万明玉は「役にたてたなら、わたしもうれしいわ」と、おだやかに返事する。
すると、なにか思うところがあったらしい。万楽瑶がじっと伯母を見つめて「お話を聞いていて感じたのですが」とつづけると、万明玉にたずねた。
「もしかして、伯母さまはなにか後悔をした経験が?」
姪に気もちを言い当てられ、今度は万明玉が驚いて目をまるくする。すこし答えに迷ったが、隠す必要もないと感じた彼女は「そうね。やりなおせるのなら、やりなおしたい過去があるわ」と、ごまかさずにきっぱりと答えた。そして、真剣な表情をすると、断言する。
「だから、もう後悔する選択はしないと決めたのよ」
――そう。もう、ためらって機会をなくしたりしない。かならず、柳師兄の仇を打ってみせるわ。
万楽瑶と話ながら、万明玉はすすむ道をあらためて決意した。
あだ討ちの誓いが表情にでたのだろうか。あやしむ目を万明玉にむけ、万楽瑶が「伯母さま?」と眉をよせる。
不安を隠さない姪に、万明玉は今日一番の明るい笑顔でほほ笑みかけると言った。
「今日は来てくれてありがとう。だけど、すこし疲れてしまったみたい」
体調を理由に、万明玉は面会のおわりを告げる。
万楽瑶は気を悪くするでもなく「わかりました」とうなずいた。しかし、不安はぬぐえないのだろう。彼女は万明玉に念押しする。
「伯母さま、くれぐれも無茶はなさらないでね」
笑顔をくずさず、万明玉は姪の言葉にうなずきでこたえた。
伯母の笑顔からは、承諾とも不承諾とも判断できなかったらしい。万楽瑶は、よせていた眉をさらによせる。しかし、体調がすぐれないと主張する人間には食いさがれず、彼女は心ならずも孝王府を去っていった。
◆
「楊師弟」
自室にさがった万明玉は、部屋の扉を閉める楊冠英に呼びかけた。
万明玉と万楽瑶のやりとりをだまって聞き、万明玉に付きしたがっていた楊冠英が「はい」と、うやうやしく返事する。
しっかりとした口ぶりで、万明玉は弟弟子に告げた。
「わたし、師兄のあだ討ちをするわ」
すると、楊冠英は驚くでもなく拱手の礼をし「ご一緒します」と、姉弟子に頭をさげる。
驚いたのは万明玉だ。彼女は「だめよ!」と弟弟子に声をあげた。万明玉は重々しく主張する。
「あだ討ち相手は淳皇后なのよ。成功したとしても、生きては帰れない」
姉弟子の言葉に楊冠英は「わかっています」と深くうなずいた。彼は「ですが」と口にすると、強く主張する。
「柳大師兄は、わたしにとっても兄弟子なのです。なのに、あだ討ちを姉弟子ひとりに押しつけるなんて恥知らずで義侠心のないおこない、わたしにはできません!」
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