第20話 もうひとりの婚約者

 ――高い場所から見わたせば、ちがう視点がみつかるかも。


 いらだっていた万明玉は、腕まくりすると感情のまま白木蓮の幹に足をかけた。うつくしい王妃の着物に、目につく大きなしわがよる。


「し、師姐。のぼるつもりですか?」


 姉弟子の行動に驚き、楊冠英がたずねた。

 仙道士の修行には武術の修練もふくまれる。よって、姉弟子はこの程度の木ならかんたんに登ってしまえると、楊冠英は知っていた。しかし今、木登りをするのは不適切だとも弟弟子は感じたらしい。

 楊冠英が考えをめぐらす間に、着物をたくりあげた万明玉は、するすると白木蓮の木をのぼる。


「かなり見晴らしがいいわ! でも……だからと言って、見るべきところもないわね」


 木のてっぺんまでのぼりきり、万明玉は残念がって言った。

 あたりをきょろきょろと見まわし、楊冠英は声量に気をつけながら姉弟子を注意する。


「師姐は偽とは言っても王妃です。木にのぼるなんて、だれかにみつかったら……」


 しかし、おそかった。よう冠英かんえいの懸念は現実になる。


「あなた。そんなところで、なにをしているの? 恥を知りなさい!」


 非難がましい女の声が、ばん明玉めいぎょくたちの背後でした。びくりとした彼女たちは、おそるおそる声のしたほうを見る。すると、見知らぬ若い娘と侍女長の桑児そうじが木のうえの万明玉を見あげていた。


「お、王妃さま! 危険ですわ!」


 若い娘の背後で、李桑児が青くなって叫んだ。


「ああ。言わんこっちゃない」


 楊冠英は頭をかかえる。


 ――感情的になりすぎた。


 いまさらだが、万明玉も失態に気づいた。ただ、まずいとは思ったが今の彼女は花嫁候補ではなく孝王妃だ。孝王が離縁をのぞまぬかぎり、彼女を王妃の座からひきずりおろせるのは皇帝だけだろう。


 ――怪異事件が解決するまで、孝王はわたしを離縁しないはず。ここは強気にいこう!


 万明玉は白木蓮のてっぺんで、見知らぬ若い娘に余裕の笑みをみせて返事する。


「あなたこそ、王妃に声を荒らげるなんて無礼なひとね」


 若い娘は「王妃ですって?」と叫んだ。そして、万明玉をにらみつけると、彼女は声高に言った。


「では、あなたが万明玉ね。身分の低い文官の娘が王妃なんて、わたしは認めない! お従兄にいさまにあなたはふさわしくないわ!」


 王府のなかには孝王以外に万明玉をとがめる権力のある者はいない。もともと腹をたてていた万明玉は、若い娘のきいきい声にがまんできなくなり、いらいらして問いただした。


「けんかを売ってるの? あなた、何様のつもり?」


「師……じゃなかった。王妃さま、気をしずめてください」


 楊冠英が若い娘のまえにおどりでると、おろおろして姉弟子をなだめる。


「王妃さま。この方は」


 李桑児が若い娘にかわり、万明玉の問いに答えようとした。

 しかし、若い娘が楊冠英を押しのけて話しだしたので、李桑児は口をつぐむしかない。


「わたしはきょく春華しゅんか。孝王殿下の従妹いとこで、お従兄さまとは結婚の約束をした間柄よ!」


 言いながら、曲春華と名乗った若い娘は自分を利き手でさししめした。


「け、結婚?」


 ――花嫁候補だった令嬢は全員、寝こんでるはずよね?


 曲春華の言いぶんに、万明玉は混乱する。

 そのときだった。


「さわがしい。なにごとだ?」


 困惑してはいるが耳ごこちのいい声が聞こえ、万明玉は声のするほうを見る。

 外出先から帰ってきたのだろう。武人の装束を身にまとった武俊煕がこちらに歩いてきた。彼の背後には、従者が何人もつきしたがっている。

 すると、曲春華が「お従兄さま!」と呼びかけ、武俊煕に走りよった。そして、白木蓮のうえの万明玉をさししめして主張する。


「見てください、はしたない! 孝王妃ともあろう者が木のぼりだなんて! こんな下賤の女がお従兄さまと夫婦だなんて、わたしは認めません!」


 武俊煕が「木のぼり?」とつぶやき、曲春華のゆびさすほうを見た。直後、彼と万明玉の目があう。驚きあきれたからだろうか。白木蓮の枝に座る万明玉を見あげた武俊煕は、目をまるくして黙りこんだ。しかし、その表情には怒りは読みとれない。彼は万明玉を見あげたまま「小華シャオホワ、聞いておくれ」と口にすると、曲春華にむきなおって話をつづけた。


妻殿つまどのは王府に来たばかり、まだここの暮らしになれていないのだよ」


 武俊煕は万明玉に味方すると決めたらしい。万明玉にかわり、言いわけする。

 しかし、従兄の仲裁にも曲春華は引きさがらない。彼女の追及はつづいた。


「なれないなんて問題ではありません! 木のぼりする令嬢なんて、ありえない!」


 曲春華が武俊煕に訴えたので、万名玉は内心あせる。なぜなら彼は孝王。武俊煕は王府で唯一、王妃である万名玉より立場がうえなのだ。しかも実際、曲春華の言いぶんのほうが理にかなっていた。


「わかった。おまえの言うとおりだ。だから、落ちつきなさい」


 小さくうなずいた武俊煕がやさしい声色で曲春華をなだめ、軽く従妹の頭をなでる。

 主張がとおったからだろう。曲春華は怒り顔をほんのすこしだがゆるめた。

 武俊煕は曲春華から視線をはずすと、楊冠英に「そこの侍女、小華をたのむ」と声をかけ、曲春華を楊冠英のほうへ押しやる。それから、自分は白木蓮にちかづくと、万明玉を見あげて口をひらいた。


「妻殿。あぶないから、おりておいで」


 言いながら、武俊煕が白木蓮の木のしたで両腕を大きく広げる。どうやら、とびおりろと言いたいらしい。

 武俊煕の口ぶりには、怒りやさげすみはなかった。むしろ、曲春華をなだめたのと同様のやさしささえ、万明玉は感じる。しかし、悪目だちした自覚があり、バツが悪い彼女は武俊煕から目をそらして返事した。

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