第六章 王妃生活の幕あけ

第19話 黒装束の痕跡を追って

 ばん明玉めいぎょくが孝王の屋敷にはいって数日がたった。


 孝王の屋敷の庭には、万家とはくらべられないほど大きな池があり、万明玉はその池のほとりにたたずんでいる。

 たたずむ万明玉は玉や金の髪飾りをつけ、繊細な刺繍をほどこした絹の着物をまとっていて、王妃らしく着かざっていた。きらびやかな彼女のすがたは、手入れのゆきとどいた広大な庭によくえている。彼女の背後には侍女すがたのよう冠英かんえいが付きしたがっていた。


「孝王殿下は外出ですか?」


 あたりを見まわし、楊冠英は棘のある口ぶりでたずねる。

 弟弟子は俊煕しゅんきを嫌っているらしい。勘づきはしたが、万明玉は知らぬふりをして楊冠英に応じた。


「そうみたい。煦煦くくたる皇子殿下は、人助けにお忙しいのよ」


 実際、武俊煕はほんとうに忙しそうだった。昼間は部下をひきつれての盗賊や猛獣、妖怪退治。夜は深夜まで書類仕事で書斎にこもっている。よって、しめしあわせているわけではないが武俊煕と万明玉は、おなじ部屋で一夜を明かした経験はない。結婚初夜も黒装束の男の乱入のせいで、武俊煕は警備の指揮をとるため寝室をでたきりもどらなかった。


 ――もしかして、偽夫婦だから気をつかってくれているの?


 武俊煕の配慮を感じた万明玉は、なおさら調査をはやくおえ、去るべきだと考えた。よって、頭が調査にむく。


「ところで、楊師弟。なにかわかった?」


 庭に植わる花木をながめつつ、万明玉が弟弟子にたずねた。


「下働きの人たちに話を聞いてまわりましたけど、師姐を襲った黒装束の人物を目撃した人はいませんでした」


 楊冠英が淡々と答える。

 すると、万明玉が不満をあらわにして「ちがうわよ。怪異の件をたずねたんじゃない」と首をふった。腕ぐみした万明玉は、しかたなく再度たずねなおす。


「柳師兄のほうよ。それも聞いてみたんでしょう?」


 怪異退治を口実に、万明玉は柳毅の痕跡をさがして屋敷じゅうを調べてまわった。どこを調べてもいいとの武俊煕の許可をえてはいたが、王妃の身では人目が気になりはいりにくい場所もある。そういう場所には弟弟子の楊冠英を調べにやっていたのだ。


 今わかったと言わんばかりに「そっちですか」と、楊冠英が応じる。

 弟弟子の言動のわざとらしさに気づき、万明玉はいらだった。しかし、柳毅の話をすると、彼はいつも意地が悪いと思いだす。その意地の悪さは、自分への好意からだとも彼女は知っていた。本人も気づいていないかもしれないが、楊冠英の好意は恋愛ではなく姉弟子への憧れにちがいない。やぶ蛇をおそれた万明玉は、かみつくのをがまんして弟弟子の話のつづきを待つ。


「それとなく柳大師兄の件もたずねてみました。でも、この屋敷の使用人たちは、今の郡王の代に新しく雇われた者が多いみたいです。十五年もまえのできごとを話してくれる人はいませんでした」


 予想はしていたが、万明玉は落胆した。みじかく「そう」とあいづちし、彼女はちいさくため息をつく。

 姉弟子とは反対に、柳毅の情報がえられなくとも楊冠英は気にならないらしい。彼は明るく言った。


「それよりも、今は怪異ですよ! 万府で襲われたとき、方術の気配がしたでしょう?」


 万明玉は「ええ」とうなずき、ゆっくりと弟弟子をふりかえって返事する。


「婚礼の日にあらわれた黒装束の侵入者からも、おなじ気配を感じたわ」


 婚礼の晩に侍女をつれて初夜をむかえるわけにもいかず、楊冠英はべつ行動だった。よって、万明玉は情報をつけ加える。

 万明玉の補足を耳にした楊冠英は不愉快そうに眉をよせ、姉弟子の言葉をついだ。


「その気配を、この屋敷の調査中にも感じたんです。方位磁石も反応しました」


 ――ありえるわね。


 方術をつかうと特定の気の気配が強くなる。それは周囲の気のながれに影響をおよぼす。その影響は数分で消える場合もあれば、つかった方術の大きさや頻度によっては数年から数十年つづく場合もあるのだ。

 数日前の痕跡であれば、のこっている可能性はかなり高い。

 楊冠英の話はつづいた。


「それで、気配の濃い場所を調べているとき、これを見つけたんです」


 言いながら、楊冠英は利き手の手のひらを万明玉のまえにさしだす。彼の手には、小ぶりなぎょくがひとつあった。


翡翠ひすいの飾り玉?」と万明玉。


 楊冠英が「おそらく」とうなずく。

 万明玉のいうとおりで、それは翡翠ひすいの加工品だ。ただ、とても小さい品のため、なにかの装飾品の一部にみえた。


「どこかで見た気もするけど……ありふれてる。露天で見かけただけかも。黒装束が落としたのかしら。どこにあったの?」


 飾り玉をまじまじと見つつ、万明玉はたずねる。


「氷室で見つけました」と楊冠英。


 ――今の時期の氷室なら人もこない。身を隠すには都合がよさそうね。


 万明玉はちかくに植わる白木蓮をちらりと見た。春を告げるまっ白な花が咲きみだれる様子は、とてもうつくしい。

 白木蓮から楊冠英に視線をうつした万明玉は、あらためて口をひらいた。


「わかったわ。この翡翠は、わたしがあずかっておく」


 言って、弟弟子から万明玉は翡翠を受けとる。そして、はあと大きなため息をつくと「それにしても、柳師兄の情報がまったくないとはね」と、泣き言を言った。


 ――偽物の王妃になってまで孝王府にもぐりこんだのに。


 くやしく感じ、万明玉はあたりを見まわす。しかし、目にうつるのは調査しおわった場所や人ばかりだ。そのほかで万明玉の目にとまったのは、さきほど見た白木蓮だった。彼女は、白木蓮の木を下から上へと見あげる。

 枝ぶりもよく、大きな木だ。

 白木蓮をながめるうち、万明玉はひらめいた。

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