第21話 落ちたのは腕のなか
「自分でおりるから、かまわないで」
そっけなく言う万明玉を見て、あきれ顔になった武俊煕はすこし眉をよせる。そして、万明玉にだけ聞かせたいのだろう。小さな声で万明玉にささやきかけた。
「方士のお嬢さん。ふつうの令嬢なら、ひとりではおりられない。偽物だと疑われないよう、もっと王妃らしくしてくれ。これでは怪異の調査にも支障をきたしかねないぞ」
武俊煕の話は明らかな忠告であったし、万明玉が今まさに考えていた事柄でもあった。よって、反論できない彼女は「むむ」と小さくうなるしかない。万明玉がどう行動すべきか思案しながら武俊煕を見つめる。
万明玉が考えをかえるのを根気強く待つ気らしい。武俊煕も彼女をじっと見つめかえした。
しばし間があったあと、ついに万明玉は口をひらく。
「やっぱり、高いところはこわいかも」
棒読み口調でこれ見よがしに声をあげ、万明玉は無理やり恐がってみせた。
万明玉の演技が下手だったからかもしれない。武俊煕は面白そうにくすりと笑う。そして「妻殿」と、また万明玉に呼びかけ、あらためて話しだした。
「わたしがうけとめる。こわがらずに、とびおりてごらん」
万明玉をうながす武俊煕の表情は、いたずらをする子供と見まがうほど楽しげだ。
――道化芝居もはなはだしい!
武俊煕とは反対に、万明玉は苦々しく思う。しかし、曲春華と李桑児の目もあった。屈辱を感じはしたが、万明玉は座る枝をぐっと押し、やけになってとびおりる。
とびおりた万明玉を約束どおり武俊煕がうけとめた。
落ちたはずみで、万明玉は武俊煕に抱きつく。
万明玉がとびおりた反動で白木蓮の枝がゆれ、ふたりのまわりを白い花びらが舞った。
武俊煕に抱きついた万明玉は、彼の体への負担が今さらながら気になる。しかし、落下する万明玉を抱きとめたのに、彼に重たがる様子はなかった。軽々と彼女を抱きあげている。
――丈夫な足腰。女をひとり抱きかかえているのに、体に張りや力みはない。よく鍛えているのね。それに……
武俊煕の体つきを確認するうちに発見があり、万明玉はよりまじまじと彼を見た。
すると、武俊煕のほうも万明玉が自分を見つめていると気づいたようだ。
気まずく感じた万明玉だったが、恥ずかしがって顔をそむけるのは負けた気がして嫌だった。しかたなく、彼女はじっと武俊煕を見つめかえす。今までになく間近で武俊煕を見た彼女は、われ知らず感嘆してしまう。
――ほっそりと整っていて、すこし女性的なやさしい面ざし。男らしく
しかし、すぐに罪悪感に襲われ、万明玉は動揺した。
――なにを考えてるの? 孝王がどんな人物だろうと関係ない。わたしは柳師兄をさがしているんだから!
心のみだれが顔にでたらしい。武俊煕は小首をかしげて「妻殿。どうかしたか?」と万明玉にたずねた。
考えにふけっていた万明玉は、ハッとわれにかえる。武俊煕に見とれていたとは、口がさけても言いたくなかった。そこで彼女は、彼の体つきを見ての発見を口にする。
「あなた。仙相をもっているのね」
仙相とは仙人になる素質のある人間によくあらわれる特徴だ。その特徴が武俊煕にもあり、万明玉はそれを指摘したのだった。
武俊煕が「まさか」と笑い、首をふる。
万明玉は、特徴があると言っただけだ。それは人相占いをして『金運にめぐまれる相ですね』と聞くのと大差ない。武俊煕がきっぱりと否定する理由がわからない万明玉は、きょとんとした。
万明玉が不思議に思っていると気づいたのだろう。武俊煕が口をひらく。
「皇族には仙相のある子供がよく生まれる。仙相は長寿のあかし、瑞兆だ。市井でも、この相をもつ人間との婚姻をのぞむ者も多いだろう? だから、生まれてすぐに仙人になる素質があるか調べるのが皇家の伝統なのだよ」
調べているなら、武俊煕の反応にも納得だった。万明玉はひとつうなずくと「では、後天的なのでしょうね」と付けくわえた。
最初から仙相をもっていなくても、あとから仙相ができる人間もいる。武術や芸事に秀でている人や、仙道士の修練によって獲得する人など状況は千差万別だ。
万明玉の話を聞いた武俊煕は「そうか。子供のころに仙相があれば、わたしも今ごろは方士の修練をしていたかもな」と残念がった。
「仙人になりたいの? あなたは若くて美しく、地位もある。たいていのねがいは、かなうでしょうに」
「皇族なんて、わずらわしいだけだ。妻殿にもすぐにわかるさ」
武俊煕は小さく首をふり、きっぱりと口にした。
想像していた孝王と武俊煕の言いぶんがちがいすぎて、驚いた万明玉はだまりこんだ。
武俊煕は皇帝の第一皇子であるが、皇太子の地位にあるのは皇后を実母にもつ第二皇子だ。
しかし、見目麗しくて慈悲ぶかく、武芸にも秀でていている武俊煕には人望がある。そのため、彼はつぎの皇帝にもなる人物だと、世間ではうわさされていると、万明玉は令嬢としての再教育で教わっている。
――まわりが皇帝にと言ってるだけで、本人にその気はなさそうね。
武俊煕と話すうち、彼には権力欲がないと万明玉は感じた。そして、本人のつぎの言葉が彼女の考えをより決定づける。
「権力も称賛も、度がすぎればうっとうしいだけだ。おだやかな生活がおくれるなら、それが一番のしあわせだ」
血気盛んになりがちな二十代の男の言葉とは思えず、万明玉は「若いのに無欲なのね」とあきれた。
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