第28話 兄弟子を知る人物
侍女が「わたくしが手当てします」と、武俊煕に申しでる。申しでたのは、淳皇后に小言をもらっていた侍女だった。
しかし、武俊煕は首をふってみせると言う。
「必要ない。わたしがやる」
申しでをことわり、武俊煕は侍女たちに目くばせした。彼の考えをさっした侍女たちは、うやうやしく手桶と薬をさしだす。
すると武俊煕は、万明玉の手を手桶の水で冷やし洗い、手ふきでそっと水をふきとると、塗り薬をやけどに塗りこんだ。
「いた……」
薬がしみ、万明玉は思わず声をあげた。
薬を塗りながら、武俊煕は「がまんして」とささやくと、患部にやさしく息をふきかける。息をふきかけ、合間に「こうすると痛みがやわらぐ」と教えてもくれた。
武俊煕が献身的に自分を介抱するすがたを目のあたりにし、万明玉は気恥ずかしくなって黙りこんだ。ついには見ていられなくなり、そっと視線をはずす。すると、曲春華が自分を睨みつけていると気づいた。
――人でも殺しかねない顔ね。美人が台なしだわ。
万明玉がやけどをおったのは曲春華のせいだ。自分でもわかっているのだろう。曲春華は万明玉をにらんではいるが、武俊煕が万明玉を手当てするのをだまって見ているだけだ。
玥淑妃もなりゆきを見守っていた。
客間じゅうの目が万明玉と武俊煕にそそがれている。
いたたまれなくなり、空気をかえる手立てを考えていた万明玉は、これだけは玥淑妃に聞くと決めた質問があったのを思いだした。手当をうける彼女は「お義母さま。お聞きしたい話があるのです」と呼びかけ、玥淑妃にたずねる。
「孝王殿下は幼いころ、妖怪に襲われたと聞きました。当時、何があったのか教えていただけませんか?」
万明玉の質問にまっさきに反応したのは、玥淑妃ではなく曲春華だった。彼女は青い顔のまま「まあ」と口にし、弱々しくはあるが主張する。
「後宮のなかで怪異の話をしてはダメよ。皇帝陛下や皇后さまの耳にはいったら」
しかし、玥淑妃が「小華」と呼びかけて首をふったので、曲春華は口をつぐんだ。
曲春華にかわって、玥淑妃が「小華の言うとおりよ」とつづけ、話しだす。
「皇帝陛下も皇后さまも、あやしいうわさ話を好まれない。わたしが以前、幼かった孝王につきまとう妖怪を退治しようと方士をまねいたときも、ずいぶんと叱責をいただいたのです」
過去の記憶がよみがえったのだろう。話すうち、玥淑妃の顔色が悪くなった。
反対に、万明玉は興奮で頬を紅潮させる。
――淑妃さまの言う方士は、柳師兄にちがいないわ!
万明玉はさらにたずねた。
「淑妃さま。その方士は妖怪を調伏できたのですか?」
玥淑妃はそっと眉をよせ「わからない」と首をふり、つづける。
「妖怪を追って行ったきり、彼は帰らなかった。行方をさがすべきだったのでしょう。でも、幼い孝王殿下は大けがを負って生死をさまよっていた。それに、孝王殿下の負傷にも、わたしが方士を呼んだのにも、皇帝陛下は大そうご立腹でね。さがすどころではなかったのです」
――玥淑妃の言うとおりなら、師兄はやはり孝王府のそとへ行ったのね。ならば王府のなかをさぐっても、師兄の手がかりが見つからないのは当然かも。
以前聞いたのとかわりばえしない答えに、万明玉の興奮は冷めた。彼女は「そうですか」と応じた。同時に、皇帝は孝王時代から怪異嫌いなのだと推測する。
落ちこむ万明玉の耳に「おわったぞ」と口にする武俊煕の声がとどいた。ハッとして手の甲を見ると、しっかりと包帯が巻かれている。万明玉は包帯にむけていた視線を武俊煕にむけ「ありがとう」と礼を言った。
武俊煕は目をほそめ、万明玉にほほ笑みで応じると、玥淑妃にむかって言う。
「応急処置はしましたが、王妃が心配です。本日はそろそろ失礼します」
武俊煕の暇乞いに、玥淑妃はうなずくと「それがいいわ」と賛同した。つづけて彼女は、万明玉にむかって「王府でゆっくり休みなさい」と口にする。
万明玉が「はい」と返事した直後だった。
寝宮にきたばかりの曲春華が「わたしもお従兄さまといっしょに帰ります」と言いだす。
万明玉に謝りもせず、はやくも帰ると言いだす曲春華の神経のずぶとさに、万明玉はあきれた。しかし、ことわる理由もない。万明玉たちは曲春華とともに、玥淑妃に暇乞いした。
◆
万明玉たちが寝宮の客間をでると、そこは小さな庭だ。その庭をひとりの見知った女が横ぎるのが目にはいり、万明玉は思わず声をかける。
「李侍女長。どうしてここへ?」
万明玉の言うとおりで、女は孝王府の侍女長である
武俊煕が「顔をあげなさい」と言ったので、李桑児は「はい」と頭をあげる。
「李侍女長は、母上と彼女の姉に会いにきたのだよ」
李桑児にかわり、武俊煕が万明玉に答えて言った。
万明玉は「姉?」とくりかえす。そして以前、李桑児が言った言葉を思いだした。
『でも姉は、父に教わった占いを今でもたしなんでおります』
『この侍女はほかの寝宮の侍女たちと、よく占いに興じていてね』
李桑児の言葉を思いだした途端、淳皇后の言葉もよみがえり、万明玉は状況を理解する。
――淳皇后が叱っていた侍女が、李侍女長のお姉さんなのね。
万明玉がひとりで納得していると、武俊煕が「ゆっくり話をしてくるといい」と李侍女長に言葉をかけた。
李桑児は「ありがとうございます。殿下」と礼を言い、また深々と頭をさげる。
そのときだ。
「にゃあ」
猫の鳴き声が急にして、全員が声の主をさがした。そして、全員の視線が寝宮と道とをへだてる高い塀のうえにむく。
塀のうえにいたのは、淳皇后の飼い猫だ。猫は万明玉たちには目もくれず、わがもの顔で歩き去っていった。
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