第27話 燃える香木のゆくえ


 玥淑妃の視線のさきを目で追った曲春華は、パッと頬を赤らめると「お従兄さま。いらしてたのね」と口にした。結婚をねがった相手が目のまえにいるからだろう。そっと従兄から視線をはずし、彼女はうつむく。

 武俊煕は返事をせず、わずかに眉をよせた。

 ばん明玉めいぎょくは、あきれてぼうぜんとするばかりだ。

 すると万明玉の背後にひかえていたよう冠英かんえいが姉弟子に耳打ちする。


「孝王殿下がいると知っていて、わざとさわいでるんだ」


 弟弟子の言いぶんをありえなくもないと感じたが、万明玉は黙ってなりゆきを見守った。

 玥淑妃は「小華シャオホワ」と呼びかけ、すがりつく曲春華の肩に手をかけると、さとす。


「武俊煕との婚姻を許さないのは、あなたのお父さまよ。この伯母を、困らせないで」


 玥淑妃が首をふるのを見て、曲春華は「そんな」と非難がましい声をあげた。彼女は武俊煕に助けをもとめて言う。


「お従兄さま。子どものころ、妻にしてくれると約束しましたよね?」


 ますます眉をよせた武俊煕が従妹に答えた。


「小華は知ってるだろう? わたしは子供のころの記憶を失くしていて、おぼえてないんだ。それに」


 いったん言葉をきり、万明玉をふりかえった武俊煕がさらに言う。


「わたしは王妃をむかえたばかり。妻はひとりで十分だ」


 言いきった武俊煕がやさしく万明玉にほほ笑みかける。

 関わりあいになりたくない万明玉は視線はそらせなかったが、思わず真顔で身をひいた。


 万明玉と見つめあう武俊煕を見て、厳しい顔つきになった曲春華は「いやよ!」と声をあげた。そして、万明玉をゆびさして主張する。


「その女は王妃にふさわしくない! 身分は低いし、木のぼりする令嬢なんてありえないわ!」


 玥淑妃は「木のぼり?」と言い、目をまるくして万明玉を見た。

 万明玉は「ほほ」と笑って言う。


「なんの話でしょう。曲のご令嬢の見まちがいでは?」


 万明玉が笑ってごまかすのを見て、曲春華は顔をまっ赤にした。彼女は怒鳴る。


「この大うそつき!」


 言うやいなや、玥淑妃のわき机のうえの香炉を曲春華がつかむ。おなじ机におかれた果物の皿がゆれたが彼女はかまわず、煙をあげる香炉を万明玉にめがけて投げつけた。

 従妹がここまでするとは思わなかったのだろう。椅子に座っている武俊煕はとめにはいりそびれる。

 しかし、問題はなかった。頭めがけてとぶ香炉を、武術もよくする万明玉は座ったまま軽々とさける。もちろん、彼女の背後にいた侍女すがたの弟弟子も自然な動作でさけた。

 万明玉たちが香炉をさけたのとほぼ同時に、彼女の背後でガチャンと大きな音がする。香炉が柱にぶつかり、灰と火のついた香木が香炉からとびだした。とびだした香木がむかっていくさきは、なんと香炉を投げた張本人、曲春華だ。


「ひッ!」


 小さく悲鳴をあげ、曲春華は目を見ひらくばかりでうごけない。しかも、燃える香木がむかうのは彼女の顔面だった。


 ――いけないッ!


 香木のむかうさきに気づき、万明玉が低い姿勢のまま椅子からはなれた。

 姉弟子が曲春華のほうへとびだすのを見て、楊冠英が「あぶない!」と短く叫ぶ。

 とびだした万明玉だったが、曲春華を体ごと移動させるほどの余裕はなかった。しかたなく、彼女は手の甲で燃える香木をはらいのける。


「つッ!」


 熱さで、くぐもった声をあげた万明玉は一瞬、表情をゆがめた。

 万明玉がはらいのけた香木は、床をはねころがる。


「妻殿!」


「王妃さま!」


 武俊煕と楊冠英が血相をかえて万明玉にかけよる。武俊煕が彼女の手をとり、強引に彼女の手の甲を見た。

 万明玉の手の甲が一部、赤くはれている。


「冷やさないと!」


 叫んで言って、武俊煕があせった様子であたりを見まわした。


「お水と薬をお持ちします!」


 慌てて言って、侍女が大急ぎで部屋から駆けでた。

 でていく侍女を見る万明玉の目に、曲春華がうつる。彼女はまっ青になって座りこみ、万明玉を見つめるばかりだ。

 客間は今や大混乱だった。冷静なのは、万明玉だけだろう。


 ――なんだか問題が大きくなりそう。厄介ごとはさけたいのに……


 嫁姑問題に関わるのを嫌い、姑に自分が偽の王妃と暴露した万明玉だ。もちろん恋愛問題にも関わりたくないし、ねたみや恨みの的になる気もない。

 よって、万明玉はヘラリと笑って言った。


「こんなの平気よ」


 しかし、武俊煕はあたりを見まわすのをやめない。そのうちに、彼は香炉がもともとおかれていた机に手をのばす。そこには果物をもった皿があった。皿から蜜柑みかんをつかみとった彼は、万明玉の手の甲へそれを押しあてた。

 つるつるした蜜柑の皮が手の甲へふれ、万明玉はひんやりとした感触をあじわう。


「水の用意ができるまで、これで冷やしておきなさい」


 武俊煕の言動に既視感をおぼえた万明玉は、ドキリとして彼を見た。

 万明玉の視線に気づき、武俊煕も彼女を見かえす。


『冷えれば、なんでもいいじゃないか』


 すももをもって笑う柳毅の顔に武俊煕がだぶって見え、万明玉は思わず目を見ひらく。同時に、懐かしさと寂しさがこみあげ、彼女の目がしらがじわりと熱くなった。


「痛むのか?」


 万明玉の変化に気づいたのだろう。不安げに眉をよせた武俊煕が、彼女の顔をのぞきこんでたずねる。

 間近で見れば、万明玉が涙目になっていると武俊煕が気づくかもしれない。あやぶんだ万明玉はうつむくと「だいじょうぶ。だから、はなして」と、武俊煕の手をふりはらおうとする。

 しかし、武俊煕は万明玉をはなさず、むしろ彼女をひきよせると耳打ちした。


「母上は知ってしまったが、曲春華もいる。もっと令嬢らしくふるまってくれ」


 もちろんだが、玥淑妃が知ったのは、万明玉が偽物の花嫁である件だ。

 武俊煕から釘を刺され、万明玉は彼をふりはらうのをやめる。

 そのうちに、侍女たちが水のはいった手桶と塗り薬、包帯を手に客間に駆けこんできた。

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