第26話 嫁と姑の初めての面会

 ばん明玉めいぎょくの問いかけに、淳皇后は自信に満ちた笑顔で「後宮の実質的な管理者はわたし。後宮のなかでは、なんでもわたしの思いのままなのよ」と応じた。そして、武俊軒に「では、小軒シャオシュァン。行きましょう」と武俊軒をうながすと、親子そろって歩き去っていく。

 去りながら、淳皇后がこほこほと咳きをした。


 ――すこしまえに聞いた咳は、淳皇后だったのね。


 万明玉は庭園をでるとき、聞いた咳を思いだす。歩き去る淳皇后と武俊軒を見送ったあと、いまだに地面に膝をつく侍女に、万明玉は目をやった。


「だいじょうぶ?」


 侍女を立たせようと、万明玉は声をかけながら彼女にちかづく。

 すると侍女はふらつきながらも自力で立ちあがり「申しわけございませんでした」と、また深々と頭をさげた。謝罪する必要はないと、万明玉が侍女に話しかけようとしたときだ。


「孝王殿下?」


 驚きをふくんだ女性の声がして、全員の注目が声のほうへむく。万明玉の目に、寝宮のひらいた門の奥で品よくたたずむ女性がうつった。彼女はほっそりした美人で、着物や髪飾りは派手ではないが質がいいとわかる。豪華さはなくとも、妃賓であるのは一目瞭然だった。


 ――もしかして、このひとがげつ淑妃?


 どうやら万明玉の予想は当たったようだ。侍女は腰をひくくして女性にちかづき、彼女の背後にうやうやしく付きしたがう。

 淑妃はちらりと侍女を見たが、すぐに万明玉たちに視線をうつした。そして「もしかして、あなたが万家のご令嬢?」と言いつつ、探る視線で万明玉をながめ見る。


 ――なにかしら? すこし敵意を感じる。


 万明玉は緊張する。しかし、息子をもつ母親ならよくある反応だとも感じた。


 ――息子の嫁に初めて会うのだから、品定めしたくなるわよね。


 万明玉は自分で自分の考えに納得し、深くお辞儀すると「淑妃さま。万明玉です。ごあいさつが遅くなり、申しわけございません」と姑にあいさつする。

 万明玉にちかづいた玥淑妃は「顔をあげて」とうながした。顔をあげた万明玉を見た彼女は「なんて、かわいらしい」と、万明玉の見た目をほめる。そして、淡々と言った。


「わざわざ会いにきてくれたのね。さあ、なかへ」


 ほほ笑む玥淑妃が彼女の寝宮にはいってくるよう、万明玉たちをうながす。


 ――笑顔ではあるけど、目の奥が笑ってなかった。


 玥淑妃のあとに付きしたがいながら、万明玉は考えをめぐらせた。りゅうの情報あつめと怪異の鎮圧。彼女は今、ふたつの問題をかかえている。嫁姑問題にまでさく余力は、万明玉にはない。


 ――これは、はやめに誤解をとくべきかも。


 客間にとおされ、椅子に腰かけたときには、万明玉の心は決まっていた。彼女は「あの」と玥淑妃に呼びかけてたのんだ。


「実はわたし、淑妃さまにだけお話したい話があるのです。人払いをしていただけませんか?」


 客間の奥、上座に座る玥淑妃が不思議そうに首をかしげる。しかし、すぐに笑顔になると「かまいませんよ」と言い、彼女の背後にひかえる侍女を見た。

 玥淑妃の視線を合図に、侍女は会釈をすると客間の扉へむかう。その際、彼女は部屋のすみにひかえているほかの侍女たちも引きつれて出ていった。

 客間のなかは万明玉、武俊煕、楊冠英、そして玥淑妃の四人だけになる。

 いぶかしんだ武俊煕が万明玉に語りかけた。


「妻殿。なんのつもりだ? もしかして……」


 武俊煕が勘づいているとわかり、万明玉は「そうよ」とあいづちして言う。


「真実を話すの。淑妃さまに無駄な心労をかけたくないわ」


「真実? 心労?」


 万明玉の言葉をくりかえす玥淑妃は、困惑した様子だ。

 万明玉は「淑妃さま」と呼びかけ、きっぱりと言った。


「わたしと孝王殿下の結婚は偽りなのです」


「い、偽り?」


 また繰り言を言い、玥淑妃は視線をさまよわせる。しかし、それも無理はない。嫁に初めて会ったばかりなのに、その嫁から結婚はうそだと聞かされたのだ。混乱しないわけがなかった。

 玥淑妃の反応は予想の範囲内だ。万明玉はなおも話をつづける。


「孝王殿下のまわりでおきている怪異を、淑妃さまもご存じですよね?」


 玥淑妃は動揺しつつも、こくりとうなずいた。


「わたしは、その怪異をしずめにきた方士です。孝王の花嫁候補ばかりがねらわれると聞き、囮として孝王府にはいったのです」


 万明玉の話に、玥淑妃は「まあ」と驚きの声をあげたが、同時に冷静にもなりはじめたらしい。彼女は思案顔になると「そうだったのね。ようやく娘ができたと思ったのに……」とつぶやく。そして、武俊煕を見ると「孝王殿下」と息子に呼びかけた。

 気まずい様子で「はい」と返事する息子に、玥淑妃が言う。


「怪異の件には、わたしも心を痛めていました。だから方士に対処させるのは賛成よ。でも……」


 言いよどんだ玥淑妃はそっと眉をよせ、真剣な表情で息子に忠告した。


「くれぐれも、皇帝陛下には内密にね」


 玥淑妃に注意され、武俊煕は表情をひきしめると「わかっています。ご心配をおかけしてすみません」と、深くうなずく。


 ――なんだか他人行儀な親子ね。それに、怪異の話が皇帝陛下の耳にはいるのをすごく嫌がっているみたい。


 万明玉が不思議に思ったときだ。


「伯母さま! 玥伯母さま!」


 聞きおぼえのある若い娘の声がした。

 嫌な予感がした万明玉は、客間の扉に目をむける。

 予感的中だ。開き戸が勢いよくひらき、武俊煕の従妹である曲春華が部屋のなかに駆けこんできた。


「小華、どうしたの?」


 勢いのまま走りよってくる曲春華に、玥淑妃が目をまるくしてたずねる。さきほど部屋からでていった侍女たちも、曲春華を追って客間にはいってきた。

 おこした混乱を気にもせず、曲春華が玥淑妃にすがりついて訴える。


「伯母さま。わたしをお従兄さまの妻にしてください!」


 小さく「まあ」と驚きの声をあげ、玥淑妃は困り顔で武俊煕を見た。

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