第6話 舞い散る枯れ葉のなかで

「わかったわ。帰りましょう」


 めずらしいできごとにばん明玉めいぎょくは、師匠の言いつけにしたがおうと決めた。弟弟子にうなずいてみせると、彼女は足もとの鉄こん棒を蹴りあげ、利き手で器用につかむ。


「行くわよ」


 よう冠英かんえいをうながし、万明玉はきびすをかえして歩きだした。

 楊冠英は「はい」と返事をし、姉弟子のあとにつづく。

 蚊帳のそとの若公子が残念がって「もう行ってしまうのか?」と、万明玉の背にむかって声をかけた。

 呼びとめに足をとめ、万明玉は若公子のほうへふりかえる。すると、おいてけぼりをくった子供みたいに眉をよせ、万明玉を見つめる若公子のすがたが目にはいった。不満いっぱいの彼の表情を、万明玉は面白く感じる。しかし、りゅうがいないとわかり、師匠から帰れと命がくだった今、彼女がこの場にとどまる理由はなかった。

 そっけなく「そうよ。じゃあね」と、万明玉は若公子にわかれを告げる。そして、手にした鉄こん棒で、彼女は地面につもる枯葉を空中に巻きあげた。


「!」


 巻きあげられて舞い散る枯れ葉のなか、若公子の視界が奪われる。すこしして視界がもどると、万明玉と楊冠英のすがたは彼のまえからかき消えていた。


「いない?」


 ぼうぜんとして、若公子がつぶやく。

 しかし、実際には万明玉と楊冠英は若公子の目のまえにまだ立っている。彼の視界を奪うどさくさにまぎれ、万明玉が目くらましの方術を若公子にかけ、彼の視界から逃れたのだ。

 ぽかんとする若公子に、万明玉は語りかけた。


「義侠心に厚いのは美徳よ。でも、つよすぎる正義感は身を滅ぼしかねない。妖怪退治なんて、もうやめなさい。命がいくつあっても足りないから」


 今度は万明玉が若公子に忠告する。

 だれもいないのに声が聞こえ、若公子はびくりと肩をふるわせた。われにかえったのだろう。つづけて「驚いた」とつぶやくと、あたりを見まわして問う。


「まだ、ちかくにいるのか? めったに見られない美人とは思っていたが、あなたはもしや神仙か?」


 目に見えぬ万明玉に話しかけながら、若公子はぐるぐると歩きまわり、きょろきょろとあたりを見まわした。


 ――まるで、主人をさがす子犬みたい。


 若公子のしぐさがかわいく見えて、万明玉はくすりと笑う。

 そのときだ。


「殿下! どこにいらっしゃるのですか?」


 いくつもの足音と、人をさがす声が万明玉たちの耳にとどいた。

 すると、あたりを見まわしつづけていた若公子が立ちどまり、声のする方角にむかって呼びかける。


「わたしはここだ!」


 どうやらまだ見ぬ人々は、若公子のつれらしい。

 新たに人がやって来ると想像でき、万明玉はすこしあせった。


 ――わたしが方術をかけたのは公子だけ。あとから来る人たちには、わたしたちのすがたが見えてしまう。


 厄介に巻きこまれないともかぎらない。万明玉はもう一度「じゃあね!」と若公子にわかれを告げた。それから、人々がやって来るのとは反対の方向に、あらためて歩きだす。同時に、楊冠英の腕を強引にひき、彼にも急がせようとした。


「わッ!」


 木の根に足をひっかけたらしい。楊冠英は小さく悲鳴をあげる。


「もう、しっかりしなさい!」


 楊冠英を叱咤しったするため、万明玉がふりかえった。すると、いまだに万明玉のすがたをさがす若公子のすがたが目にとまる。

 あたりを見まわす若公子に、数人の男たちが駆けよった。集まってきた人々のなかには村人らしき人もいて、若公子を見るなり彼らはひざまずいて叩頭こうとうの礼をはじめる。

 ひざまずく村人のひとりが、手をあわせて拝むしぐさをしたので、彼らは若公子に礼を言っていると、万明玉にはわかった。


 なんとなく気になり、歩き去りながらも万明玉は若公子たちを眺めつづけてしまう。

 すると、万明玉の視線の行方に気づいた楊冠英が「あの人」と口をひらく。

 楊冠英の言葉を耳にした万明玉は、ようやく弟弟子に注意をむけた。

 楊冠英は話をつづける。


「殿下と呼ばれていましたね。皇族でしょうか?」


 ――そうかもしれない。


 弟弟子の推量は妥当だと感じたが、万明玉は「さあね」と軽く返事をし、気にとめないふりをして言った。


「どうでもいいわ。二度と会わないだろうし」


 楊冠英は万明玉を見る目をほそめる。その表情には、うたがいの色が見てとれた。しかし、彼はすぐに普段どおりの顔つきにもどると「冷めてますね」と言い、さらに彼女に語りかける。


師姐ししゃの心には、やはりりゅう大師兄だいしけいしかいないんだ」


 楊冠英の口からりゅうの名前がとびだし、驚いた万明玉はとりつくろうのも忘れて「どういう意味?」と気色ばんだ。

 弟弟子は考えたすじ道を話す気はないらしい。彼は「そのままの意味ですよ。こんな場所に今いるのだって、大師兄のためでしょう?」と、姉弟子の質問に質問でかえした。


「……」


 図星がすぎて、万明玉は答えられずにだまりこんだ。そうは言っても、言われっぱなしも癪にさわる。彼女はせめて多少の反撃をと、楊冠英をひとにらみした。

 しかし、楊冠英はひるまない。弟弟子は万明玉をしっかりと見かえし、真面目な口ぶりで言った。


「大師兄が行方不明になって、もう十五年ですよ。そろそろ、あきらめては?」


 楊冠英の言葉に、万明玉は怒りで顔をカッと赤くする。そして、声をあげた。


「よけいなお世話よッ!」


 言うやいなや、万明玉は楊冠英につめよると、彼の額をつよく指ではじく。


「いてッ!」


 姉弟子にはじかれた額を手で押さえた楊冠英は、口をとがらせて涙目になった。

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