第9話 姉と弟の因縁

 寝こむ娘を想像したのだろう。青ざめたばん正風せいふうは、あらためて姉を見つめて言う。


「だから姉上、小瑶シャオヤオのかわりに嫁いでよ!」


 ――娘の身代わりに、姉をさしだすのね。


 弟の言いぶんにばん明玉めいぎょくはあきれた。同時に怒りがこみあげてきて「万正風!」と怒鳴ると、姉らしく厳粛な態度で言いたてる。


「万家の家督のすべてを、わたしはおまえにゆずったのよ? そのわたしに、この身までおまえに捧げろと言いたいの?」


 万明玉の言いぶんに、万正風は「うぐぅ」と小さくうなり、たじろぐ。そして、もごもごと姉に答えた。


嫡女ちゃくじょで父上が溺愛する姉上が家督をつがなかった。だから、庶子しょしのわたしが家長になれたのはよく理解している。ありがたいと思っているよ」


 万正風の言うとおりで、姉である万明玉は正妻の子。弟である万正風は側室の子だ。

 大倫国の婚姻は、一夫一妻多妾制。正妻の立場は、側室より抜きんでて強い。もちろんだが、母親の立場は子にも影響する。年長者を重んじる慣習もあるが、それよりも嫡子であるか庶子であるかが、この国では重要なのだった。

 よって、姉であり父の唯一の嫡子でもある万明玉の立場は、おなじ父をもつ子供たちのなかで一番強い。

 しかし、万明玉は名家の家長より、仙道士の修行に興味があった。よって、家督のすべてを万正風にたくし、彼女は家をでて左隠君に師事したのだ。


 弱みを指摘された万正風はたじろいだが、勇気をふりしぼり姉に一歩ちかづいた。そして、胸のまえで両こぶしをにぎると「でも、姉上なら嫁いでもだいじょうぶ!」と強く主張し、彼の奇病への見立てを口にする。


「花嫁候補たちが寝ついた原因が妖怪なら、姉上が修練している方術でかんたんに退治できるはずだ!」


 もともと姉を姉とも思わない弟の要求にうんざりしていた万明玉だったが、妖怪退治と聞き、さらにうんざりした。彼女は冷ややかに弟の言葉を否定する。


「妖怪なんて考えすぎよ。皇族の花嫁候補なら、きっと深窓のご令嬢ばかりなんでしょう? か弱い令嬢がたは、皇族になる重圧にたえかねて倒れたのでは?」


 たいした事件ではないと判じ、万明玉は鼻で笑った。しかし、あなどる言葉の裏で、彼女の脳裏に過去の記憶がよぎる。


『王府に妖怪があらわれるだなんて、きっと気のせいよ』


 思いおこしたのは、万明玉自身が失踪直前のりゅうに言った言葉だ。


 ――万明玉よ、万明玉。事情をくわしく知りもしないのに、軽くみてはダメ。


 万明玉は心のなかで自分をいましめる。

 判断に迷った万明玉が口を閉ざしていると、万正風は「この際、妖怪でも病気でも、なんでもいいよ!」と声をあげ、主張した。


「大事なのは、小瑶の身の安全だ。姉上が身代わりになってくれないなら、小瑶は危ない目にあう可能性が高い。姉上は、それでいいの? 家族は助けあうべきじゃない?」


 万正風は非難がましく言いつのる。そして、とどめとばかりに泣き声まじりに姉にすがりついて言う。


「小瑶はわたしの娘だけど、姉上のかわいい姪でもあるんだよ」


 姪がかわいくないわけがなかった。しかし、承諾すれば、今までなじりたおした弟の言いぶんを認めたも同然だ。それをくやしく感じ、返事をしあぐねた万明玉は「ぐぬぬ」と思わずうなる。

 姉の態度から、あとひと押しと感じたのだろう。万正風は、さらにたたみかけた。


「危険がないとわかったら、小瑶とすぐに交代させる! もし、身代わりに嫌気がさしたら、逃げてもかまわない!」


 万正風は突拍子もない言葉をさらりと言いはなつ。

 弟の言う意味が理解できず、万明玉はくやしい気もちさえ忘れて弟に質問した。


「交代って? 逃げるって? いったい、どうするの?」


 万明玉に問われた万正風は、自信満々に胸をはって言う。


「仙人は死んだふりが得意だって、なにかの書物で読んだよ! 交代にせよ、逃げるにせよ。死んだふりをして婚姻を解消すればいい。危険がない場合は、姉上のかわりに嫁にって、小瑶を嫁ぎなおさせるから」


 そう言うと、万正風は「ほら。おなじ男に姉妹で嫁いだり、亡くなった姉のかわりに妹が後添えに嫁ぐとか、たまに聞くだろう?」と例をあげてみせた。


 ――死んで仙人になる……尸解仙しかいせんをわたしにやれと? それができるなら、仙道士の修行なんてとっくにおわってるわ!


 心のなかで悪態をついた万明玉は「万正風よ、万正風」と重々しく呼びかけ、弟にたずねる。


「仙道士がどんな修行をするのか、わかっているの?」


 万明玉の問いかけは、弟の知識不足を予想して皮肉った言葉だ。しかし、万正風に彼女の皮肉はつうじなかった。彼は自信満々に「わかるさ!」と返事をし、姉に答える。


須菩提祖師しゅぼだいそしに師事していたときの斉天大聖せいてんたいせいと似た修行をしているんだよね? 天界で大暴れするまえのさ」


 ――なるほど、そういう理解なのね。


 万明玉は思わず頭をかかえた。

 さらりと答えてのけた万正風は「わたしの子供のころの愛読書は、西遊記だからね。余裕だよ」と鼻をならし、自分の教養を自慢して胸をそらす。


 ――そうだった。小さいころ、よく読んでいたっけ。


 万正風の子供時代を思いだし、仙道士がなんでもできると彼が思う理由に、万明玉は納得した。


 奇怪な物語として有名なだけあって、西遊記で活躍する斉天大聖の万能感は尋常ではない。斉天大聖には仙人である須菩提祖師の弟子だった時期があり、猿である彼は人間の弟子にまじって修行する。そして、天賦の才で方術をどんどんと習得し、最終的には神さえも手こずらせる力を手にいれるのだ。


 ――弟よ。あれは絵空事だ。


 万明玉は、思わず首をふる。しかし、西遊記を思いおこしたおかげで、彼女は多少の冷静さをとりもどした。そして、斉天大聖ほど方術がつかえなくとも、死をよそおうだけなら自分にもできると気づく。よって、死んだふりをして逃げる万正風の作戦は可能だと納得した。そうは言っても、万明玉はまだ弟のねがいを完全に聞きいれたわけではない。彼女は「でも」としぶると、弟にさらなる疑問をぶつけた。

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