第8話 困難しかない縁談

 自分に笑いかける弟にあわれみの目をむけ、ばん明玉めいぎょくは心の底から心配してたずねる。


小風シャオフォン。頭はだいじょうぶ? 夢でもみているの?」


「問題ないと、自分では思ってる」


 ばん正風せいふうは真顔で姉に返事した。

 問題ないと聞いても、万明玉は眉をよせるのをやめない。彼女は「いいえ、小風」と首をふると、弟に丁寧に語りかけた。


「問題しかないわ。一度、医者に診てもらったほうがいい」


 重々しくもきっぱりと言って、万明玉は「ねえ? 師父」と左隠君さいんくんに同意をもとめる。

 長い眉毛のせいで表情はとぼしいが、左隠君もふかくうなずいた。

 ふたりは、だまって万正風を見つめる。

 姉たちの視線から猜疑心とあわれみを感じとったのだろう。慌てた万正風は声高に「おかしくないよ!」と否定して、さらに叫んだ。


「ぜんぶ娘の縁談のためなんだ!」


 万明玉は『娘』と聞いて目をまるくすると、思わず万正風にたずねかえした。


「娘って……小瑶シャオヤオ?」


 弟のひとり娘であり、姪でもあるばん楽瑶らくようの名を、万明玉は口にする。


 ――しばらく会っていないけれど、たしか今年で十七歳だったはず。


 万明玉が姪のすがたを思いおこしていると、万正風が肩を落として「そうだよ」と、うなずいた。

 万楽瑶でまちがいないと知り、当惑した万明玉は思いついたさきから疑問をならべたてる。


「わたしを皇族に嫁がせる話が、小瑶の縁談に関係があるの? もしかして、小瑶の縁談相手が皇族? 小瑶には、むこ養子をとるんじゃなかったの? 考えがかわって、娘を出世の道具にする気になったの?」


 万正風の話の意図がつかめず、混乱した万明玉は非難めいた質問ばかりしてしまう。

 すると、責められた万正風は涙目になり「小瑶を手もとにおいておきたいって、今でも思ってるよ!」と声をあげ、いきおいそのままに話をつづけた。


「でも、皇帝陛下がくださったご縁なんだ。ことわれないよ」


 大倫国の文官である万正風は、都にいる皇帝への敬意だろう。言いながら、拱手する手を正面からずらし、右上にかかげた。

 弟の今までの言動を考えあわせた万明玉は、ようやく状況がわかってくる。


 ――皇帝陛下がくださる縁談は、命令もおなじ。ことわれば、不敬罪で首がとびかねない。


 万明玉は弟の話の大部分に納得した。しかし、まだ疑問は解消しきっていない。彼女は「でも、わたしが小瑶のかわりに嫁ぐなんて、皇帝陛下の意に反するんじゃないの?」と、のこる疑問を口にした。

 姉の質問に、万正風は涙をぬぐいながら「それは、だいじょうぶ」と言い、問題ないと考える根拠を話しだす。


「皇帝陛下は『万家の娘を嫁がせよ』とおっしゃっただけだ。小瑶はもちろん万家の娘だけど、姉上だって万家の娘だ。皇帝陛下のご命令には、逆らっていない」


 ――あげ足とりなのでは?


 弟の言いぶんは言葉尻をとらえただけとしか思えず、万明玉はさらに食いさがった。


「たしかに、わたしは万家の娘。でも、四十もちかい年齢なの。いまさら嫁ぐなんて……」


 柳毅が行方不明になったとき、万明玉は二十三歳だった。あれから十五年がたち、今の彼女は三十八歳。大倫国における結婚適齢期は、とうの昔にすぎていた。

 しかし、万正風は姉の年齢など気にならないらしい。彼は「それも問題ないよ」と胸をはると、姉を見て話しだす。


「姉上の見た目は十代でもつうじる。だれもわたしと年齢がちかいだなんて疑わない。病気療養で遠方の親戚にあずけていた娘が、元気になって帰ってきたと言って、万家の長女で押しとおせばいい」


 計画に相当の自信があるらしい。言ってのけた万正風は、悠然と腕ぐみすると「ふふ」と笑った。

 売り言葉に買い言葉。なにを言ってもきりかえされ、万明玉はあきれをとおりこして気味悪く感じる。退路をたたれた心もちになり、ついに彼女は悲鳴じみた声をあげた。


「どうして、小瑶を嫁がせないの? ひとり娘を手ばなしたくない気もちはわかるけど、娘が皇族の仲間入りをするなんて、すごくいい縁談でしょう?」


 そうなのだ。朝廷の高位文官ではあるが、万家はそのなかでは最底辺。皇族との婚姻はかなりの玉の輿だ。娘の品格をあげる名目で父親である万正風の官位もあがり、出世するのはまちがいない。ひとり娘を嫁にだすのはつらいだろうが、家族同然の親戚から養子をもらえば家名ものこる。もちろん万正風も、この婚姻は万の家にとって利が多いとわかっているはずだ。


 姉の疑問の言葉に、万正風はため息をつくと「そうでもないんだ」と応じる。それから彼は「じつはね」とつづけ、ひとり娘を嫁にだしたくない理由を話しだした。


 万家の娘を正妻にむかえたがっている皇族の嫁とりは、万家の娘で四人目だ。

 皇族の男子ともなると、正妻のほかに複数人の側室をめとるのはあたり前。縁談相手が四人いるのは、なんら不自然でない。しかし、さきに花嫁候補になった三人の令嬢より身分の低い万家の娘を正妻にのぞむのはおかしい。

 なぜ、身分の低い万家の娘が正妻になれるのか。その理由は、花嫁候補たちが嫁ぐ直前につぎつぎに寝ついてしまい、彼女たちとの縁組自体が破談になってしまったからだ。


「その皇族の花嫁候補は全員、原因不明の奇病にかかる。しかも、奇病は妖怪のしわざだと、貴族のあいだでうわさになってね。嫁のなり手がなかなか見つからないみたいなんだ。それで身にあまる縁談が、わが家にもちこまれたんだよ」


 万正風は、状況を一気に語る。それから「皇族と親類関係になれるなんて、すごい機会だって、わたしも思うよ。だけど……」と、深刻な表情で言葉をにごした。

 つづきを口にできない弟にかわり、万明玉が話のつづきを引きついだ。


「その皇族に嫁ごうとすると、奇病だか妖怪だかのせいで寝こむ羽目になるのね」


 万正風は「そうなんだ」と姉にあいづちし、叫ぶ。


「良縁だとしても、かわいい娘が妖怪に襲われるなんて、たえられない!」

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