第13話 夜の訪問者

 ◆


「楽勝ね!」


 自室にはいるなり、万明玉は寝台にどすんと座った。ぎしりと大きく寝台がきしむが、気にせずに彼女は余裕ある笑顔だ。


 孝王府の侍女長、李桑児と話をしたつぎの日から、万明玉は良家の令嬢らしいふるまいを数日かけて学びなおした。

 七歳で実家をはなれたとはいえ、幼いころから物覚えがいい万明玉の再学習は、驚くほどはかどった。


 いっしょに部屋にはいってきた侍女すがたの楊冠英が「そうですね。それにしても」と思案顔をし、言葉をつづける。


「妖怪どころか怪異のおこる気配すらありませんね」


 言いながら、楊冠英は部屋の中央におかれた机のうえを見た。

 机のうえには方位磁石がおかれている。それは普段、風水をみる際に方位の確認をする道具だ。しかし、怪異にあった場合にも役立つため、万明玉がもちこんだのだ。


 方位磁石のつかい方の一例をあげると、たとえば幽霊さがしだ。

 幽霊はたいてい強い陰の気配をまとっている。そのため幽霊が方位磁石のそばにいると、方位針の陽極が幽霊の陰の気にひきよせられ、方位がくるう。その反応をもちいて、隠れひそむ幽霊をさがすわけだ。

 しかし、万家の屋敷にはいって以来、方位磁石はなんの反応もしめしていない。


 こくりとうなずいて、万明玉は弟弟子に応じた。彼女は「やはり、花嫁候補たちが寝こんだのは偶然なのよ」と、もともとの主張をくりかえす。

 楊冠英が「そうかもしれませんね」と、姉弟子の見解に同意した直後だった。部屋の扉をたたく音がして、若い女の「伯母さま」と呼ぶ声がする。


小瑶シャオヤオ?」


 この屋敷で万明玉を『伯母さま』と呼ぶのは、姪のばん楽瑶らくようだけ。彼女は「どうぞ、はいってらっしゃい」と、やさしい口ぶりで万楽瑶をうながした。


「夜ぶんに、ごめんなさい」


 謝罪の言葉を口にしながら、万楽瑶がおずおずと部屋にはいってくる。彼女の表情は暗く、視線は床に落としていた。

 万明玉は「いいのよ」とほほ笑んで首をふると、姪に「でも、どうしたの?」と来訪の意図をたずねる。

 問いかけに、床に視線を落としたままの万楽瑶が「伯母さまと一度、きちんとお話がしたくて」と言い、ようやく顔をあげた。彼女は決心した様子で万明玉にたずねる。


「伯母さま。ほんとうに孝王に嫁ぐのですか?」


 万明玉に問いかける万楽瑶の顔は青ざめていた。

 姪が自分の身を心配していると万明玉にはわかる。彼女は「ええ」と応じると、姪を手まねいた。

 うながされるまま伯母の座る寝台に、万楽瑶も腰かける。

 万明玉の話はつづいた。


「妖怪がいるなら、わたしが退治してあげる。心配しないで、すぐに孝王に嫁げるわ」


 本来なら安心する場面のはずだ。ところが、万明玉の言葉を聞いた万楽瑶は、ますます苦しげな表情をする。


 ――浮かない顔。ほかにも心配事があるのかしら?


 姪ともっと話すべきと感じ、万明玉は口をひらきかけた。しかし、ぞくりと唐突な悪寒が背筋にはしり、万明玉は姪に話しかけるのをやめる。


 ――方術の気配?


 仙道士である万明玉は、万物の気のながれをよむすべを習得していた。敏感にあたりの気の変化を感じとった彼女は、さっと立ちあがる。そして、強引に腕をひき姪も立ちあがらせた。伯母の急な変化に驚いた万楽瑶が「伯母さま?」と呼びかけるが、万明玉は答えない。

 ひかえていた侍女すがたの楊冠英も、万明玉の変化で異変に気づき、机のうえの方位磁石をあらためて見た。すると、がくがくと小きざみにゆれる方位針が部屋の扉をさししめしている。彼は扉を凝視し、身がまえた。


「なにか来る。様子をみたい。ふたりとも、隠れていて」


 部屋のすみにおかれた衝立ついたてをゆびさし、万明玉は姪と弟弟子に指示をだす。だまってうなずいた楊冠英は、とまどう万楽瑶をつれて衝立のうしろへ隠れた。

 万明玉は、扉をむいて立つ。

 すこし間があり、とんとんとひかえめに部屋の扉がたたかれた。同時に、扉にはめこまれた外国製の曇りガラスに、すっと人影がうつる。

 屋敷の者なら親族であれ下働きの者であれ、部屋のなかに声をかけるべき場面だ。万明玉はいよいよあやしく感じた。


「だぁれ?」


 警戒心を隠し、万明玉がおだやかな声でたずねる。

 期待はしていなかったが返事はなかった。かわりに木がきしむ音がして、ゆっくりと扉がひらく。途端、冷えた外気が部屋に勢いよく吹きこんできた。空気がゆれたせいで燭台の火が消え、部屋のなかは暗くなってしまう。

 しかし、この夜は月明かりがあった。ひらいた扉からやさしい月光が部屋にさしこむ。わずかな明かりを背に、ひとりの人物がうつむきがちに立っていた。ほの暗くはあるが、その人物が侍女の装束をまとっているとわかる。

 万明玉は令嬢らしい話し方を心がけ、侍女すがたの人物に話しかけた。


「こんな夜ふけに、なんの用? 侍女を呼んだおぼえはないのだけど」


 万明玉の声が、はからずも合図となる。

 扉のまえに立っていた侍女が、かすかに衣ずれの音をさせ、すばやく万明玉にちかづいてきた。

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