第14話 襲撃者の目的

 そばによってきた侍女が万明玉をのぞきこむ。ちかくによっても月明かりでは暗く、万明玉には侍女の顔が見えなかった。ただ、ちかづいたためだろう。方術の気配が濃くなり、警戒した彼女の体が距離をとりたがる。


 ――がまんよ。こいつの目的をみきわめなきゃ。


 欲求を理性で押さえつけた瞬間だった。侍女が万明玉のあごをわしづかみ、彼女を悠々ともちあげる。

 息ぐるしさで万明玉は「ぐっ」っと、小さなうめき声をあげた。あごが押さえつけられ話せないが、かろうじて呼吸はできる。

 殺意があるにしても、すぐに万明玉を殺す気はないようだ。彼女は、自分をつかみあげる手に両手でふれてみた。


 ――生身の体。幽霊ではないわね。あとは……


 侍女の気血きけつをみようと、万明玉は手首の経穴ツボをさぐる。


 気血をみるとは、生命活動の状態を観察すると同義だ。

 気は万物にそなわっていて、もちろん人にもある。生き物においては生気とも呼ぶ。

 血はもちろん血液だ。

 この気と血のつり合いを手首の経穴ツボでみて健康状態を判断する。


 ところが、急な倦怠感に襲われた万明玉は、経穴にふれられなかった。彼女は首すじが熱くなるのを感じる。


 ――わたしの生気をうばっている? そうか、これが令嬢たちが寝こんだ原因ね!


 侍女が自分を襲う目的に見当がついた万明玉は、今までのおかえしとばかりに侍女を蹴りとばした。侍女が勢いよく後ずさり、万明玉から手をはなす。

 解放された万明玉は落下した。にぶい音をさせ、彼女は部屋の壁にぶつかる。


「師姐!」


 見ていられなかったのだろう。楊冠英が衝立のうしろから飛びだした。彼は、侍女と万明玉のあいだにわりこんだ。そして、体勢を立てなおし、せまってくる侍女のあごをめがけて足を蹴りあげる。

 楊冠英の蹴りをわずかの差でかわした侍女は、逆に彼の腹めがけて拳をくりだした。

 蹴りをかわされて態勢をくずした楊冠英は、侍女の拳をさけられない。つぎの瞬間、どんと低く重い音がした。


「ぐッ!」


 腹にまともな一撃をくらい、楊冠英はうめき声をあげて跳ねとぶ。


 ――なかなか俊敏ね!


 なりゆきを目にした万明玉は、侍女の力量に思わず感服した。

 行く手をはばむ障害がなくなり、侍女はあらためて万明玉に歩きよる。


 しかし、楊冠英の時間稼ぎのおかげで万明玉は準備万端だ。彼女は壁ぎわに立てかけてあった鉄こん棒を手にしていて、侍女をすばやく打ちすえた。

 脳天めがけ、万明玉は鉄こん棒を勢いよくふりおろす。

 命中する刹那。頭上で交差させた両腕をつかい、侍女は鉄こん棒を受けとめた。

 万明玉は驚きで目をまるくする。


 ――骨がくだけた様子もない。こいつ、ただ者じゃないわ。


 このままひとりで立ちむかうのは得策でないと感じ、万明玉は鉄こん棒に力をこめながら「楊師弟、だいじょうぶ?」と楊冠英に声をかけた。

 ふらつきながらも立ちあがり、楊冠英は「はい。問題ありません」と返事する。

 万明玉は弟弟子に「こいつから方術の気配がする。呪詛やぶりの御符を」と指示をとばした。

 すると、楊冠英は「はい!」と力強く応じて、懐から黄色い紙片をとりだす。そして、紙片を顔のまえにかかげると、小さな声で「この指令の要旨を諒解し、早急に律令のごとくにおこなえ!」と唱えた。途端、紙片は青白い光をおびる。楊冠英は侍女にむかって青白く光る紙片を投げた。

 うすい紙であるはずの紙片が投げた刃物のごとくとぶ。

 危険を感じたのだろう。侍女の注意が紙片にむいた。侍女は両腕に力をこめなおすと、うしろにとびしりぞいた。楊冠英の投げた御符を、侍女はまんまとかわす。

 そうはいっても、おかげで侍女と万明玉のあいだに距離ができた。

 あらわれたときとおなじ、部屋の扉のまえに侍女が立つ。暗くて見えないが、万明玉を真正面から見据えているらしい。

 そのときだった。


「大きな物音がしなかった?」


「お嬢さまのお部屋のほうからよ」


 にわかに屋敷全体がさわがしくなる。

 下働きの人々の声や足音で、彼らが万明玉の部屋にちかづいてくるとわかった。

 侍女もさわぎに気づいたらしい。万明玉たちを警戒しながら、一歩また一歩とあとずさる。そして、最後には走り去っていった。


「待つんだ!」


 声を荒げた楊冠英が逃げる侍女を追い、部屋をでる。

 万明玉も追おうとした。しかし、この部屋には万楽瑶もいると思いだし、思いとどまった彼女は衝立の影でちぢこまる姪を立たせてやる。


「今のはいったい……妖怪? それとも幽霊ですか?」


 万楽瑶が青ざめて伯母にたずねた。


「まだわからない。でも、幽霊ではなさそうよ。ただ、方術の気配がしたわ」


 眉をよせ「方術」とつぶやき、万楽瑶が不安げに万明玉を見つめる。

 万明玉は「小瑶」と姪にやさしく呼びかけ、話しだした。


「わかったでしょう? これは方士の仕事なの。わたしが身代わりに孝王に嫁ぐからといって、あなたが責任を感じなくていいのよ」


 方術などつかえない万楽瑶には、どう考えても荷がおもい。わかっているのだろう。不承不承「はい」と引きさがり、万楽瑶はそれ以上なにも言わなかった。

 しかし万楽瑶とは逆に、万明玉の心はたかぶっている。


 ――孝王府にかかわる怪異事件が再度おこった。柳師兄の手がかりも見つかるかもしれない!


 期待に胸をふくらませ、万明玉は婚姻の日を待った。

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