第45話 後宮の方術つかい

「曲春華をつかまえなさい!」


 李薫児が命じると同時だった。うごく気配もなかった柳毅の指がぴくりとうごく。

 玥淑妃が驚きもせずに柳毅からはなれた。

 柳毅はとじていた目をひらき、寝台からゆっくりと起きあがる。そして、万明玉たちのほうへむかって歩きだした。

 歩く柳毅にむかい「柳師兄?」と万明玉が呼びかける。

 もちろんだが、魂魄のない柳毅は返事をしなかった。彼のうつろな目に万明玉はうつらない。

 しかたなく、万明玉は李薫児にたずねた。


「李薫児。あなた、屍をあやつれるの?」


『でも姉は、父に教わった占いを今でもたしなんでおります』


 李薫児に話しかけた直後。万明玉は李薫児の妹が以前に言った言葉を思いだす。


 ――李侍女長の姉が父親から学んだのは、占いだけではなかったみたいね。


 李薫児が父親から旅の方士の生業を学んでいたならば、魂魄のない体をあやつるなど造作もない。しかも、あやつるのは鍛錬をかさねて長命さえも手にした完ぺきな肉体だ。ただ命令にしたがうだけの木偶人形だとしても、なみの人間なら太刀打ちできないだろう。


「李薫児。やはり、おまえが方術つかいか」


 だまってなりゆきを見守っていた淳皇后が、ひさびさに声を発した。

 いぶかしんだ楊冠英が「やはりとは、どういう意味ですか?」と、淳皇后にたずねる。

 胸のまえで両手をあわせ、淳皇后が答えた。


「後宮の行方不明事件をわたしも調べていたのよ。怪異嫌いの皇帝陛下のご機嫌を損ねないよう、秘密裏にね。国師こくしさまにも内々に相談したわ。そうしたら国師さまが後宮で方術の気配がするとおっしゃった。後宮で方術をつかうなど、ましてや方術つかいがまぎれこんでいるなど言語道断! 皇帝陛下に知られれば、どんなにお怒りになるか!」


 国師とは皇帝を教え導く師だ。たいていは宗教家で、淳皇后の手をあわせるしぐさから万明玉は仏僧であろうと推察する。


 怒りくるう皇帝のすがたでも想像したのかもしれない。語るうち淳皇后は青ざめた。そして、あらためて李薫児をにらみつけると「だから」と話をつづける。


「後宮に在籍する者の素性を調べあげ、方術つかいをさがした。その李薫児も容疑者のひとりだったわ」


 話すうち、怒りがこみあげてきたのだろう。淳皇后は語気を強くして「わたしの目のまえで呪術をつかうとは、申しひらきできないぞ!」と言い、玥淑妃をにらみつけた。


「玥淑妃! この侍女は、おまえの命令でうごいている。おまえも同罪だ!」


 淳皇后に断罪されても、玥淑妃と侍女は返事をしない。

 ただ、方術であやつられる柳毅はどんどんと万明玉たちにちかづいてきた。ついには万明玉の間合いにはいり、彼は曲春華にむかって手をのばす。


「柳師兄。やめてください!」


 座りこむ武俊煕にすがりつく曲春華のまえにおどりでて、万明玉は兄弟子に呼びかけた。しかし、魂魄のない抜け殻に万明玉の声はとどくはずもない。

 万明玉をさまたげと判断したらしい。曲春華とのあいだに立ちふさがった彼女の顔面めがけ、柳毅は足技をくりだした。

 柳毅の蹴りを万明玉は手にしていた鉄棍棒で防御する。柳毅の体には魂魄がないため、腕力と修行で体にたたきこまれた反射神経だけで彼は戦っていた。よって、今の柳毅は、万明玉の敵ではない。そうは言っても、魂魄がないとはいえ相手は師兄だ。万明玉は決定打をあたえる決心がつかなかった。

 楊冠英が懐から呪詛やぶりの御符を取りだして「今、御符をッ!」と叫び、柳毅に投げつけようとする。万明玉と柳毅がもみ合う今なら、柳毅に御符を貼りつけるのも可能かもしれない。

 予想がたった瞬間。柳毅の蹴りを鉄棍棒でさけながら、万明玉は「駄目よ!」と叫んだ。


「その護符は呪物を焼きつくす! 今の師兄は呪物とおなじ。呪符をつかえば、師兄の体が焼かれてしまう」


 後宮で曲春華を助けたとき。柳毅の顔を隠す布が御符の青い炎で燃えあがったのを思いだして、万明玉は弟弟子に言った。

 話をしていたせいだろう。万明玉の集中は散漫になってしまう。

 万明玉の隙をつき、柳毅は大きく跳躍して曲春華の背後をとった。彼は曲春華の首に腕をかけ、彼女の首をしめる。そして、万明玉たちからあとずさって、はなれた。


「うごかないでください。うごけば曲のご令嬢の首を折ります」


 万明玉たちに警告し、李薫児は「こちらへもどって来なさい」と柳毅に命じる。

 李薫児の命令にしたがう柳毅は曲春華をつれ、玥淑妃と李薫児のそばへと移動した。

 柳毅が首をしめつけているからだろう。曲春華は「ぐッ!」とうめき、玥淑妃に涙声で問いかける。


「お従兄さまといっしょにいたいだけなのに、どうして?」


 すると、玥淑妃が「小華。だめよ」と口にし、くすくすと場ちがいに笑って答えた。


「彼はわたしのものなのだから」


 首をしめられながらも困惑し、曲春華はさらに問う。


「わたしは伯母さまの息子の花嫁になりたいだけなのよ?」


 くすくす笑いをやめず、玥淑妃は「だから、それが嫌なのよ」と姪に返事した。

 曲春華は「意味がわからないわ」と困惑し、苦しげに眉をよせる。

 玥淑妃はあきれ顔になると「聞きわけの悪い子ね。小華よ、小華。その人は……」と、口にしかけた。

 しかし、玥淑妃の言葉はべつの人物によってさえぎられる。


「わたしは、柳毅なのか?」


 頭をかかえて座りこんでいた武俊煕がふらりと立ちあがり、だれに問うでもなく言った。

 万明玉は「え?」と声をあげ、ぼうぜんと武俊煕を見る。

 玥淑妃も武俊煕に目をむけ、彼女は「まあ!」と驚きと喜びのいりまじった声で感嘆した。


「方士さま、記憶がもどったのですね!」


 武俊煕は額に手をあて「方士? 記憶がもどる?」と、玥淑妃の言葉をくりかえす。そして「そうか」とつぶやいて言った。

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