第44話 仮氷室の管理者
「たしかに、この後宮で皇帝陛下のつぎに権力があるのはわたし。入ろうと思えば、ここへ入る許可をとる必要もない。でも、大きな権力をもっているからこそ、ひとつひとつの施設や仕事をいちいち管理などしていられない。わたしは担当する者に後宮の管理の仕事をわりふっているだけよ!」
淳皇后の主張を聞いた万明玉は、険しく眉をよせて彼女にきつい口ぶりでたずねる。
「つまり、この仮氷室には、ほかに直接の管理者がいる。そう言いたいの?」
青ざめた顔の淳皇后は、何度も万明玉にうなずいてみせる。
その時だ。
こつこつと急ぎ足で階段をおりる足音がした。複数人らしいともわかる。
――警備の宦官に気づかれた?
焦り、万明玉は階段を見つめる。
ほどなくして、血相をかえた女性がふたり、仮氷室へ駆けこんできた。女性ふたりは、玥淑妃と彼女付きの侍女である李薫児だ。
隠し部屋に目をむけた玥淑妃は「ああ! どうして?」と声をあげる。叫ぶ彼女は気が動転しているらしい。
突如あらわれた玥淑妃が、隠し部屋にむかって走る。彼女の行くさきにいるのは万明玉だ。
突進してくる玥淑妃に驚き、意表をつかれた万明玉は立ちすくんでしまう。
玥淑妃は万明玉の脇をかすめ、隠し部屋の奥へと走りこんだ。そして、横たわる柳毅にすがりついた。
「どうなってるの?」
柳毅のかたわらに座りこむ玥淑妃のすがたを見て、万明玉がだれにとはなく問う。
すると、淳皇后が口をひらいた。
「彼女よ。玥淑妃が仮氷室の直接の管理者なの」
柳毅のそばに立つ楊冠英が「では」と眉をよせ、困惑した声で言う。
「柳大師兄をここへ隠し、彼の体を方術であやつっていたのは……」
言いよどみ、楊冠英はたいまつを彼の目のまえのふたりにちかづけた。
弟弟子の言葉をひきついで万明玉が「玥淑妃」と言い、たいまつに照らしだされた女の顔を見る。おだやかに目をとじる柳毅に熱いまなざしをむける玥淑妃のすがたが、万明玉の目にうつった。
柳毅を見つめる玥淑妃のすがたには、鬼気せまる迫力がある。
楊冠英も玥淑妃の異様さを感じたらしい。彼は恐れて姉弟子たちのいるほうへあとずさった。
目にうつる光景がなにを意味するのか、万明玉にはすぐにはわからなかった。よって、彼女は感じた疑問をそのまま口にする。
「淑妃さま、なぜですか? 柳方士は、あなたの息子を妖怪から救うために王府におもむいたのですよ。なのに、なぜ……こんな仕打ちを?」
万明玉に問われても、柳毅を見つめるばかりで玥淑妃はだまりこんでいた。
武俊煕を追ってきただけで状況がわからないのだろう。曲春華は青ざめ「なにがおきてるの? あの人は亡くなっているの?」と、困惑した声で従兄にたずねる。
異様な光景にとまどっているのだろうか。武俊煕は従妹に返事をかえさない。彼は柳毅を凝視して「あれは」とつぶやく。
すると、ついには曲春華が「お従兄さま。わたし、こわいわ!」とおびえだし、武俊煕に抱きついた。
途端。柳毅を見つめていた玥淑妃が勢いよくふりかえり、怒鳴る。
「その人にふれるなッ!」
声をあげた玥淑妃は、血走った目で曲春華をにらみつけた。
伯母が自分を怒鳴るとは思ってもみなかったのだろう。曲春華はとまどい、たずねる。
「お、伯母さま? どうして、そんなにお怒りになるの?」
従妹と母の問答の中心であるのに、武俊煕は彼女たちの言い争いが気にならないらしい。彼は柳毅を見つめたまま、ふらふらと隠し部屋に歩みよった。
武俊煕が歩きだしたせいで、曲春華は従兄に抱きついていられなくなる。彼の様子をあやしんで、彼女は「お従兄さま?」と呼びかけた。
曲春華の呼びかけが耳にはいらないようだ。武俊煕は、さらに隠し部屋へちかづく。
武俊煕の行動をその場にいる全員があやしんだ。
あだ討ちの最中であるのに、万明玉は武俊煕が心配になる。たまらず「どうかしたの? だいじょうぶ?」と、彼女は武俊煕にちかづいて声をかけた。
万明玉の呼びかけにも武俊煕はこたえない。ただ、だれに言うとはなく「わたしか?」とつぶやいた。
武俊煕のつぶやきの意味がわからず、万明玉は意味を問おうと口をひらきかける。しかし、質問する機会はおとずれなかった。
武俊煕が曲春華からはなれた途端、彼らに興味をなくしたらしい。玥淑妃は柳毅にむきなおり、横たわる彼に語りかけだしたのだ。
「方士さま、あなたを人目にさらしてしまった。不甲斐ないわたしをどうか許してください」
あやまりながら、玥淑妃は柳毅の頬にやさしくふれた。
玥淑妃の言動に皆が困惑するなか、李薫児が玥淑妃のそばに駆けよる。
いまだに頭がまわらない万明玉は「いったい、なにが起きているの?」と、つぶやいた。
万明玉が混乱するのも当然だろう。
玥淑妃は武俊煕の母で、十五年前に柳毅に妖怪退治を依頼してきた張本人。柳毅に危害をくわえる理由がない。
状況が理解できずにいる万明玉の耳に、武俊煕が「わたしが方士?」とつぶやく声が聞こえる。
途端に、武俊煕は「ぐっ」とうめき、頭をかかえて座りこんだ。
苦しむ武俊煕を目にし、血相をかえた曲春華が「お従兄さま!」と叫んで彼に駆けよる。
すると、すぐさま玥淑妃がまた声を荒げた。
「その人にふれるなと言っただろう! そんなにそばにいたいなら、曲春華。おまえも方士さまの糧になれ!」
曲春華に怒声をあびせた勢いのまま、玥淑妃は自分の侍女に目をむけ「李薫児!」と、彼女の名を呼ぶ。
主人に名を呼ばれた李薫児は「はい」と返事をすると、懐から糸らしきものをとりだす。糸は細長くて黒い。それを横たわる柳毅の着物にはさみこむと、彼女は両手で印をむすんだ。そして、声をあげた。
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