第52話 東の島国の妖怪

「そう。辛都護は東の島国からの留学生で、陰陽師という呪法を生業にする家系の出身なのだそうよ。その彼が、わたしが孝王妃だった時期に、この子をくれたの」


 ――孝王妃? ならば、この猫は猫としてはかなりの高齢だ。でも……


 万明玉は猫に目をむける。

 ふさふさした猫の毛は艶やかだ。いつも機敏にうごいていて、この猫が高齢猫とはとても思えない。

 不可解に感じた万明玉は、だまりこんで猫をじっと見る。


「あら、気づいたのね。そう、この子はふつうの猫ではないの。特別に見せてあげましょう」


 言って、淳皇后は「よざくら」と、彼女の膝のうえの猫に呼びかけた。

 名前を呼ばれた猫の耳がぴんと立つ。身をおこした猫は、淳皇后の膝のうえからとびおりた。

 目のまえの猫にむかい、淳皇后はさらに語りかける。


「本来のすがたを見せてあげて」


「にゃあ」


 返事のつもりだろうか。ひと声鳴いて、猫はのびをした。ちぢこまっていた猫が意識的に背をのばすと、胴が長く見える。あたりまえの現象だが、このたびは度をこしていた。

 万明玉たちの目のまえで、猫の胴はどんどんと長く大きくなる。胴が大きくなるのにあわせ、顔や手足も大きくなった。そして、応接室の天井に背がつくほど巨大になった猫は、ぱたん、ぱたたんと尻尾を床に打ちつける。

 見ると、床に打ちつける尻尾は、いつのまにか二本になっていた。どうやら、体が大きくなると同時に尻尾も二本にわかれたらしい。

 部屋の空気が重く、冷え冷えとする。背筋がぞくりとして、猫の有様と気配から万明玉は確信した。


「よざくらは、猫の妖怪なのですね」


 万明玉が断定的に言った。

 淳皇后は「そうよ」とうなずき、猫を見あげながら補足する。


「東の島国からきた妖怪なの」


 猫の妖怪を見あげ「東の島国」と万明玉がくりかえした。

 すると、猫の妖怪のほうも万明玉をじっと見つめる。

 敵意は感じなかった。しかし、妖怪のまがまがしい妖気に万明玉はちぢみあがる。


 ――なんて大きな妖気。こんな妖怪と戦えば、命がいくつあっても足りない。なのに……


 おそれつつも疑問を感じた万明玉は、考えを口にした。


「猫とはいえ、こんな大妖怪が人に飼われるだなんて……」


 理由がわからず、万明玉は困惑した。

 すると、淳皇后が「辛都護のうけうりだけど」と、まえおきして言う。


「人はくさびから逃れられない。それは妖怪もおなじ。この妖怪は『よざくら』という名のくさびにあらがえず、わたしに隷属しているの。こういうのをなんと言うのだったかしら。それも辛都護に教わったのだけど……」


 しばし考え、思いだしたのだろう。淳皇后は「そうそう」と明るく言い、優雅に団扇をあおいで言った。


「使役だわ」


 言葉を思いだせて高揚した気持ちなのかもしれない。淳皇后は楽しげに話しつづける。


「よざくらは、いつもは妖気を隠している。でも、使役者のわたしが命じれば、すこし方術がつかえる程度の侍女を消しさるなんて、この子には簡単なの。もちろん、いたいけな幼い子供をつけねらって害するのだって、厭ったりしない」


 明るく告げられた言葉があまりにも不穏で、万明玉は思わず目を見ひらいた。そして、「では、玥淑妃の息子と李薫児を殺害したのは……」と言いよどむ。

 すると、柳毅が彼女の言葉をひきついで言った。


「殺気こそないが、妖気の大きさは十五年前とおなじ。この猫の妖怪が十五年前に玥淑妃の息子を害したのは、まちがいないだろう。李薫児の獣に引き裂かれたらしい傷あとも、この妖怪の爪でなら可能だ」


 柳毅の言うとおりだと万明玉も感じた。


 全貌が明らかになり、万明玉たちは険しい表情で押しだまる。

 すると、淳皇后が「わたしがあなたたちに負い目を感じる理由がわかった?」と言い、さらに話をつづけた。


「当時、まだ子がなかったわたしは、唯一の世継ぎだった玥淑妃の息子をよざくらをつかって害したの。そのせいで、柳方士は体をうしなった。その後すぐよ。わたしは息子を授かった。それで玥淑妃の息子を害す必要もなくなった。そして、万明玉と楊冠英。あなたたちは柳方士が亡くなったと勘ちがいし、死を覚悟でわたしを害そうとした」


 そう言うと、淳皇后は「あなたたちがおこした騒動はすべて、わたしの身からでたサビ。不徳のいたすところなのです」と言い、あからさまな憂い顔をした。


 ――とんでもない話だ。兄弟子の捜索をしていただけなのに、いつのまにか後宮の陰謀の渦中に足をふみいれていたのね。


 万明玉は青ざめる。

 おなじ気もちなのだろう。柳毅と楊冠英も沈痛な面もちだ。

 暗くしずむ万明玉たちに、淳皇后が「安心して、さっきも言ったでしょう? あなたたちの罪は許すと。もちろん傷つけるつもりもない。ただ、だまっていてくれればいいの」と、やさしく訴えかける。


 ――そうだった。この人は、わたしたちを許すと言ったのだ。


 光明ではあるが、あやしくも感じた万明玉は困惑した。

 淳皇后は「不思議に思っているようね」と笑うと、言う。


「わたしはこの地位を手にいれるために、たくさんの悪行を犯した。そして、皇后になった今、ひとつだけ恐ろしい事がある。なんだと思う?」


 急な問いかけに万明玉たちは、顔を見あわせた。楊冠英がおずおずと「皇帝陛下でしょうか?」とたずねる。

 楊冠英の答えを気にいったらしい。淳皇后は声をたてて笑った。


「ちがうわ。でも、皇帝陛下に訴えたりしては駄目よ。皇帝陛下が知れば、わたしは窮地に陥るけど、皇帝陛下をあざむいた罪が露呈して、あなたたちも死罪だから」


 そこまで言うと、なにか思いついたらしい。淳皇后は「そうだ」と言い、部屋の隅でひかえる侍女に言いつける。


「曲春華にも釘を刺しておきましょう。亡くなった伯母の立場と、彼女の家の評判もまもってあげるのだから、口裏をあわせてくれるわ」


 指示を受けた侍女がうやうやしく頭をさげ「英明です。すぐ手配いたします」と言いおき、応接室をあとにした。

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