第二章 初恋を探した先の新たな出会い

第4話 兄弟子を探し、妖怪のいる森へ

 木々が生いしげり、昼間なのにうす暗い森のなか。苔むして湿った地面に、大きな獣の死骸がひとつ、ころがっている。

 ばん明玉めいぎょくは腰をかがめ、鉄こん棒のさきで死骸の口を押しひろげた。獣の口のなかはどす黒く赤い。するどく大きな牙もあり、ふつうの獣とは思えない見た目だ。死骸が妖怪だと、万明玉は結論づける。つぎに彼女の手にした鉄こん棒は、獣の胴体のかたい毛をかきわける。すると、鋭利な刃物で切ったであろう、ほそく深い大きな傷が全貌をあらわした。


「申しぶんない太刀すじと腕力ね。この妖怪に傷を負わせた人物は、まちがいなく優れた武人だわ」


 致命傷らしき死骸の傷をまじまじと見、万明玉は淡々と分析する。


 妖怪の出没情報を手にいれた万明玉は、古道のある深い森の奥にやって来ていた。

 この万明玉の行動は、仙道士にしてはめずらしい。

 妖怪が出没すると、万明玉たちが暮らす大倫国では官府と呼ばれる地方行政機関が討伐隊を組織して対処する。仙道士も妖怪退治をするが、それは官府の手にあまったときだ。

 本来の仙道士は要するに、うわさがあるからと言って妖怪退治にやって来たりはしないのだ。うわさを耳にしたからと退治におとずれる仙道士がいたら、それは柳毅のような厚い義侠心の持ち主か、酔狂な奇人だろう。

 万明玉がどうかと言えば、彼女は義侠の士でも、ましてや奇人でもない。彼女が来る必要のない場所にいる理由。それは、兄弟子である柳毅のためだ。


 ――今度こそ、柳師兄だろうか。


 万明玉は期待する。


 柳毅が行方知れずになり、もう十五年がたっていた。

 失踪したばかりのころは柳毅の生存をだれもが期待していたが、時がたつにつれて生存を信じる者はすくなくなっていった。

 人生はみじかいからか、仙相をもつ男との婚姻だけが目当てだったのか。ついには彼の婚約者すら柳毅をあきらめ、ほかの男のもとへ嫁いでしまった。

 しかし、万明玉だけはちがった。十五年たった今でも、彼女は柳毅が生きていると信じている。よって、正義感のつよい柳毅が妖怪退治におとずれるかもと考え、妖怪出没のうわさを聞くたび、万明玉はうわさの場所に足をむけるのだった。


 ――師兄の消息が今日までつかめないとは、思いもしなかった。


 柳毅をさがしつづける日々に思いをはせながら、万明玉は妖怪の死骸の検分をつづけた。そして、彼女は気づく。


「オオカミの妖体ね。でも、死骸は一体だけか」


 つぶやきをもらした直後だった。万明玉の耳に低いうなり声がとどく。彼女はハッとし、ふりかえった。すると、彼女の倍はある大きな影が木々の奥に見える。万明玉はすばやく眼球をうごかし、あたりをさぐった。


 ――いち、に、さん。やはり、ほかにも仲間がいたのね。


 妖力を獲得して妖怪となった動植物は長命だ。個体によっては人間の言葉をあやつるが、多くは本質から逃れられない。妖怪はもともとの動植物とかわらない生態である場合が多く、オオカミの精霊であるなら野生のオオカミとおなじく徒党をくみがちなのだ。


 うなり声をあげつづける妖怪たちは、万明玉をとり囲んで間合いをつめてきた。

 ちかづく妖怪に注意をはらううち、ほかより明らかに大きな個体がいると万明玉は気づく。


「ウマソウナ……オンナ」


 ――人の言葉。群れのおさね。


 戦いを予見し、万明玉は身がまえた。しかし、彼女が妖怪たちと相まみえる機会はおとずれない。

 突如、地面を力づよく蹴る音がして、万明玉と妖怪の間に人影がすべりこんできたのだ。

 剣が肉を切ったのだろう。するどくも湿り気のある音がした。


「ギャウンッ!」


 攻撃音とほぼおなじくして、悲鳴じみた獣の鳴き声があたりに響きわたる。

 おさと思われる妖怪が一刀両断にされ、低木のうえに跳ねとばされた。そのあとも休む間もなく攻撃音がつづき、のこりの妖怪もまたたく間に切り倒されてしまう。


 襲ってきた妖怪のすべてを切り倒すと、ようやく人影はうごきをとめた。

 すると、うごかなくなったおかげで人影は人間の男だとわかる。うしろすがたのため顔は見えないが、背は高かった。ほっそりしているが、筋肉質な体つきだ。長く艶やかな髪の持ち主で、彼はその長い髪を頭の高い位置でひとまとめにし、背中にたらしている。うごきやすさを重視しているのだろう。着物の袖口はひもでしばっていて、武人らしい服装だ。


 ――あぁ、こいつか。


 男に見おぼえがあり、万明玉は柳毅ではないと知って落胆した。

 しかし、男は万明玉とはちがう。ふりかえった彼は、ほっそりと整った顔をほころばせた。


 成人しているだろう男の笑顔には、少年を思わせる幼さが見え隠れしていて、若々しさに満ちあふれている。目もとはやや女性的でやさしげだが、太めの眉からは真面目な印象をうけた。象牙を思わせる彼の白い肌や仕立てのいい着物は、持ち主の育ちのよさをものがたっている。


 万明玉へ走りより、男は気さくな口ぶりで彼女に話しかけた。


「奇遇だね」


「どちらさまでしたっけ?」


 あからさまにとぼけてみせ、万明玉は首をかしげる。

 万明玉はつれなかったが、男は気を悪くしなかった。彼は人懐っこい笑みを顔にうかべて言う。


「うつくしい人を、わたしは忘れはしない。それに……」


 言いかけて、男は口もとに手でふれた。彼は目をほそめてほほ笑むと「初めて会ったときも、初対面とは思えない懐かしさを感じたんだ」と口にする。


 ――これって、口説き文句?


 あやしんで男を見たが、屈託なくほほ笑む彼のすがたに、万明玉は下心はないと判断した。

 男はさらに万明玉に語りかける。


「さわぎがおきている場所を度々おとずれているね。こんな場所に女性がひとりでいるなんて、危険だろう」


 笑顔をひっこめて眉をよせ、男は万明玉に忠告した。

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