第四章 嫁入り支度と怪異の夜

第11話 久々の令嬢生活

 庭をよこぎる渡り廊下を、めかしこんだばん明玉めいぎょくがひとりの侍女をしたがえて歩いていた。廊下のわきには小さな池があり、蓮の芽がいくつも見える。初夏にはきっと、うつくしい桃色の花が咲くだろう。


 姪の身代わりで偽物の花嫁になると決めた万明玉は、十数年ぶりに実家のある大倫国の都に帰ってきていた。彼女は今、孝王の使者に会うために万家の屋敷の渡り廊下を、応接室にむかって歩いている。


 歩みをすすめる万明玉は、下働きの顔をちらちらと確認した。しかし、長くはなれていた実家に、知った顔は見あたらない。


「師姐。こんな格好をする必要がありますか?」


 万明玉の背にむかい、侍女が涙声で不平を言った。

 侍女の呼びかけに、万明玉がふりむく。彼女の目に、ほっそりと痩せた侍女がうつった。侍女は切れ長のきりりとした目の持ち主で、幼くみえるが美人だ。

 侍女は怒りと恥ずかしさがいり交じった表情で、万明玉をにらむ。

 侍女の主である万明玉は、彼女にやさしいほほ笑みをむけて言った。


「楊師弟。とっても似合ってるわ。自信をもって!」


 万明玉の言葉どおりで、この侍女はよう冠英かんえいのふん装だ。左隠君さいんくんに命をうけた彼は、万明玉とともに兄弟子の消息を調べる予定なのだ。

 万明玉のほめ言葉が気にいらなかったらしい。楊冠英は声をあらげる。


「いったい、なにに自信をもてと?」


 侍女が主に声をあげるなどありえない。万家の下働きたちが遠まきに万明玉たちを盗み見る。

 悪めだちしていると感じた万明玉は「しかたないじゃない」と猫なで声で言い、楊冠英を落ちつかせようと話しだした。


「わたしは王妃として王府にいくのよ。男の従者なんてつれ歩けない」


 言いながら、万明玉は両腕をひろげる。すると、彼女の着物の長い袖がふわりと優雅にゆれた。着物の生地は質がよく、精緻な刺繍がほどこしてある。彼女の長い髪にかざられた髪飾りも、贅沢に玉があしらわれた豪華な品だった。どこから見ても、今の万明玉は良家のうつくしい令嬢だった。


 姉弟子の言いぶんに一理あると感じたらしい。楊冠英は怒気をしずめる。そうはいっても、まだ納得しきれない彼は「ですが」と言いよどんだ。

 楊冠英が不満に思うのも無理はないと、万明玉は感じた。彼女は「ごめんなさいね」と謝罪すると、折れない理由を語る。


「でもね、なにがあるかもわからない。楊師弟にはできるだけ、わたしのそばで補佐をしてもらいたいの」


 孝王の屋敷をうろつくにしても、情報交換をするにしても、味方にするなら王妃付きの侍女が一番都合がいい。都合がいいとは、効率がいいとも言える。効率があがれば、偽王妃を演じる期間も短くてすむはずだ。


 ――わがままで、ここにいるとわかってる。楊師弟をはやく師父のもとに帰してあげなければ。


 責任を感じた万明玉は弟弟子の手をとり、まじめな表情で楊冠英をじっと見た。

 万明玉の行動に楊冠英は目をまるくし、ぽっと頬を赤くする。


「あの、わたしは……」


 急にしどろもどろになり、楊冠英は口ごもった。

 そのときだ。

 たのしげな笑い声が唐突に耳にはいり、万明玉はそちらに注意をむけた。

 顔が赤いままの楊冠英も気づき、姉弟子の視線のさきを追う。彼女が見ているのは、屋敷の庭で話しこむ若い男女だった。男も女も品がよく、うるわしい見た目をしている。楊冠英は何気ない調子で「あの女性」と口にすると、万明玉を見て言った。


「万師姐によく似ていますね」


 弟弟子の見解に、万明玉はうなずいて応じる。


「姪のばん楽瑶らくようよ。話をしたいけど、今は孝王府からの使者に会うのがさきね」


 視線を応接室の方向へむけ、弟弟子の手をはなすと、万明玉はあらためて渡り廊下を歩きだす。

 自由になった手をちらと見た楊冠英は、今度は文句も言わず姉弟子のあとにつづいた。


 ◆


 万明玉と楊冠英が応接室にはいると、部屋の中央に中年の女性がたっていた。彼女は万明玉を見るなり、うやうやしく頭をさげる。


「孝王府で侍女長をしております。桑児そうじともうします」


 李桑児が頭をさげるなか、万明玉は応接室奥の椅子に腰かけた。楊冠英は彼女の背後にひかえる。


「よろしく、李侍女長。顔をあげて」


 さげていた頭をあげる李桑児に、万明玉は「わたしは万明玉」と自己紹介した。ついで、背後の楊冠英を紹介しようとして「彼女はわたしの侍女の……」と口ごもる。


 ――まずい。楊師弟の偽名を考えてなかった。


 あせった万明玉は、あたりを見まわす。すると『福』の文字を彫った白いぎょくの置物が目にはいった。彼女は思わず「よう福子ふくしよ」と思いつきを口にする。

 自分の名と、すぐに判断できなかったらしい。一瞬遅れて、楊冠英はあわてて頭をさげる。

 李桑児は楊冠英に軽くあいさつをかえした。そして万明玉にむきなおり「なんて、うつくしいお嬢さまでしょう。お嬢さまが輿入れくだされば、孝王府もはなやぎますわ」とほほ笑んで愛想を言う。しかし、すぐに緊張した顔つきになると、彼女は「その」と言い、おそるおそる万明玉に質問した。


「孝王府のうわさはご存じですよね。ご不安ではないですか?」


 李桑児の話しぶりから、彼女は万明玉をか弱い令嬢と思っているのがわかる。


 ――この人、わたしが怖がって破談にしないかと様子をさぐりにきたのね。


 嫁とりの失敗回数がふえれば、それだけ孝王の評判はさがる。侍女長が主人の面目をつぶす事態をさけたいと考えるのは、当然だと万明玉は感じた。


 ――はかなげな令嬢をよそおうつもりだったけど、怪異を恐れない豪胆さを見せるべきなのかも。


 考えをあらためた万明玉は、にこりと余裕の笑みをうかべて李桑児に返事する。


「妖怪のうわさは知っているわ。でも、不安はないですよ」


 きっぱりと答えた万明玉は、さらにつづけた。

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