第十二章 共白髪を願える幸せ

第49話 王府の寝台のうえで

 万明玉が目を覚ますと、見なれた寝台の天井が見えた。


 ――もしかして、孝王府なの?


「師妹。気づいたんだね」


 安堵で表情をゆるめる武俊煕の顔が、万明玉をのぞきこむ。


「孝王……」


 万明玉は『孝王殿下』と呼ぼうとした。しかし、体は武俊煕であるが、魂魄は柳毅だと思いだして口をつむぐ。


 ――そうだ。孝王殿下ではないんだわ。


「柳師兄。わたしたちは孝王府にいるの?」


 万明玉に名を呼ばれた柳毅は、目を大きく見ひらいた。それから、ひらいた目をやさしく細め「そうだよ」と、彼はほほ笑む。

 本来の柳毅は武人を思わせる精悍な風貌の人物だったが、今の彼は女性的に線のほそい美貌の持ち主。まったく似ていないはずなのに、万明玉は彼のほほ笑みになつかしさを感じた。寝台のうえで起きあがった万明玉は、口もとをほころばせて「そう」と兄弟子にうなずく。うなずくと同時に、頭に疑問がよぎり「でも」とつぶやくと、彼女はたずねた。


「どうして、孝王府にもどって来れたの?」


 疑問を口にするうち、万明玉は楊冠英のすがたが見えないと気づく。彼女は青ざめて「楊師弟はどこ?」と柳毅の着物の胸もとをつかみ、彼につめよった。

 落ちつかせたいのだろう。万明玉の肩にそっと手をおき、柳毅は彼女の顔をのぞきこんで答える。


「彼も王府にいるよ。師妹とおなじで、眠っているんだ」


 楊冠英が無事とわかった万明玉は「生きているのね!」と、よろこびの声をあげた。

 柳毅はほほ笑みを深くして、万明玉にうなずくと現状を語ってきかせる。


「淳皇后と小華も無事だ。きみと楊師弟は、しびれ薬を吸いこんだ量が多くてね。目覚めるのに時間がかかったんだ。最初に目覚めた淳皇后が助けを呼んでくれたのだよ。本来なら全員が命を落としてもおかしくない状況だったが、あのしびれ薬は効能が弱まっていたらしい」


『しびれ薬? でも、かなり古そうだ』


 柳毅の話を聞くうち、万明玉は楊冠英が薬の古さを指摘していたのを思いだした。彼女は兄弟子の話に納得して「よかった」と、安堵の息をもらし、兄弟子にほほ笑みかえした。途端、緊張がとけたからだろうか。武俊煕のすがたで自分を見つめる柳毅を目にして、万明玉の心は罪悪感でいっぱいになる。たまらなくなった彼女は柳毅にすがりつき、唐突に「師兄、ごめんなさい!」と謝罪した。

 謝罪の理由がわからないのだろう。柳毅はとまどって「なぜ謝るんだ?」とたずねる。

 万明玉は眉をよせて「だって」と口にすると、謝罪の理由を語った。


「わたし、師兄の体をとりもどせなかった」


 話すうち、兄弟子の顔をまともに見ていられなくなり、万明玉はうつむいてしまう。

 うつむく万明玉の頭にそっと手をのせると、柳毅は「いいんだよ。覚悟はできていたのだから」と、おだやかに言う。

 万明玉はうつむいたまま「わかってる」と返事した。しかし、彼女は「でも」と口にし、自分の体を抱きしめて言う。


「わたしの投げた護符が師兄の体を……」


 言いよどみ、万明玉は自分の体をより強く抱いた。

 身をちぢめる妹弟子を見て、柳毅はハッとした顔をする。そして、彼女を強引に抱きよせると「気づかなくて、すまない。わたしは師妹に辛い役目を押しつけてしまったんだね」と、今度は彼が謝罪した。

 柳毅が強く抱きしめたので、万明玉は驚く。とまどう彼女だったが、十五年さがしつづけた人の温もりをはなしたくないとも感じた。彼女は、ためらいつつも柳毅の背に自分の腕をまわす。そのまま柳毅をきつく抱きしめかえした万明玉は、さがし求めた人に再会できたよろこびをかみしめた。ところが、抱きしめあったためだろうか。そんな彼女の脳裏に、魂魄のない柳毅の体にとびつく玥淑妃のすがたがよみがえる。にわかに気になり、なごりおしく感じつつも万明玉は柳毅から体をはなして、彼にたずねた。


「玥淑妃は、どうなったの?」


 万明玉の問いに、柳毅の表情がくもる。彼は、いつになく低い声で告げた。


「お亡くなりになったよ。やけどが原因でね」


 予想どおりだった。そのため、万明玉は「そう」とだけ、あいづちをかえす。

 しかし、柳毅にはまだ話があるようだ。彼は「それと」と口にすると、さらに語った。


「李薫児も亡くなったんだ」


 これには万明玉は驚いてしまう。彼女は「どうして? わたしはてっきり、あのまま逃亡したのかと……」と、思ったままにたずねた。

 柳毅は「わたしにも、くわしいところはわからない」と首をふる。そして「わたしも人伝ひとづてに聞いたのだけど」とまえおきし、話しだした。


「どうやら、わたしたちがしびれ薬で意識をなくしているあいだに、なにかがあったらしい。仮氷室の出入り口付近で胸を引き裂かれて亡くなっていたそうだよ」


 柳毅の話にわからないところがあり、万明玉は「胸を引き裂く?」とたずねかえす。

 柳毅は「ああ」とうなずき、補足した。


「獣に襲われた傷に似ていたそうだ」


 情報をおぎなってもらっても、万明玉の疑問は消えない。彼女は目をほそめて「獣」とつぶやいた。

 不思議に思っているのは、柳毅もおなじらしい。彼も眉をよせ、わりきれない様子だ。それでも言うべき話がまだあるようで、彼はさらに話をつづける。


「あとひとり、李侍女長も亡くなった」


 万明玉は耳をうたがい「李侍女長って、孝王府につとめる妹のほうの?」と問いかえし、視線をさまよわせた。

 柳毅はうなずいて「侍女長の李桑児はおもてむき、わたし……武俊煕のもとで働いていた。だが、じつのところは玥淑妃の配下だったんだ」と言い、話しだす。


「玥淑妃と彼女の姉のくわだてに加担していたんだろう。玥淑妃と李薫児は後宮から出られない。おそらく、花嫁候補を襲う手はずをしていたのは、彼女だったんだ。方術で死人をあやつり人を襲わせるには、目印が必要だから」


 柳毅の話を聞くうち、万明玉は李薫児と出会った日のできごとを思いだした。

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