第33話 黒装束の男の正体

 ◆


 数日後の月のない暗い夜。


「囲碁でもどうかな?」


 武俊煕は万明玉を遊びにさそった。曲春華が襲われて以来、彼はなぜか昼間に外出しても夕食時には必ず孝王府に帰ってきている。そして、毎晩かかさず万明玉に囲碁の相手をさせていた。

 面倒だし、あやしいとも感じたが王府で一番の権力者のさそいだ。家人たちが見ている手前、偽の王妃といえどもむげにはできない。しぶしぶ毎晩つきあっていた万明玉だったが、今日だけは無理だ。今夜の予定に思いをはせ、高揚する彼女はついに断りの言葉を口にした。


「今日は体調がすぐれません。おさきに休ませていただきます」


 うやうやしくではあるが、万明玉はさそいをきっぱりと拒否する。

 万明玉の返答に、武俊煕は一瞬だけ厳しい表情をした。しかし、すぐに気づかわしげな顔をすると「残念だがしかたない。ゆっくり休みなさい」と、おだやかに告げる。


「ありがとうございます。では、失礼します」


 言うやいなや席をたった万明玉は侍女すがたの楊冠英をつれ、足ばやに自室にさがった。そして、部屋のそとの様子をうかがいながら、そわそわと弟弟子にたずねる。


「準備はできている?」


 楊冠英は「はい」と返事すると、黒い装束を万明玉に手渡した。似た衣装がもうひとそろい、彼の手にのこっている。

 ふたりはそれぞれ衝立の陰で手早く着がえた。彼らが着がえたのは、うごきやすい男物の旅装束だ。


 準備がととのうと、万明玉は部屋の明かりをすべて消した。

 すると、黒い装束のおかげでふたりのすがたは、見えにくくなる。

 まっ暗な部屋のなかに、楊冠英の気のりしない声がひびく。


「いつでもはいれる許可をもらっているのに、後宮へ忍びこむ必要なんてあるんですか? 無断で入ったと知れれば死罪になりかねないのに」


 すかさず、万明玉は「それでもよ」と返事をし、弟弟子に希望に満ちた明るい声でたずねた。


「あなたも見たでしょう? 黒装束の人物の顔を」


 楊冠英は「はい」と応じたが、まだ不服そうに言う。


「若い男でした。ほんとうに、あの人が柳大師兄なのですか?」


 楊冠英の言うとおりで、曲春華を襲ったのは柳毅だと万明玉は考えていた。十五年も探しつづけた愛しい人をついに見つけ、興奮を隠せない彼女は「ええ」とうなずき、断言する。


「あなたは師兄の顔を知らないから、無理もないわ。でも、わたしは見まちがえたりしない。やはり師兄は生きていたんだわ!」


「でも、むこうは師姐に気づかなかったですよね」と楊冠英。


 弟弟子の指摘に、万明玉は動揺した。しかし、すぐに気をとりなおした彼女は反論する。


「あの日のわたしは王妃の装束すがたで、化粧までしていた。気づけなくて当然よ」


 まさか柳毅本人に出会うとは思わず、当時は驚きのあまり追いかけもせずに立ちすくんでしまった。今さらではあるが、追いかけなかった自分を万明玉は責めている。しかし、自己反省ばかりしてもしかたがない。


 ――師兄の行動には彼らしからぬ点が多い。でも、柳師兄本人を見つけたんだ。細かい問題は、師兄にたずねればいい!


 自分をふるいたたせ、万明玉は言った。


「曲春華を襲ったのは柳師兄。たぶん孝王府と万府の二度、わたしを襲ったのと同一人物よ。つまり、柳師兄の失踪と孝王の花嫁候補が襲われる事件はつながっている可能性が高いの。どうして師兄が花嫁を襲うのかはわからない。だけど、このふたつの件につながりがあるなら、わたしたちが孝王府を調べて、あやしく感じたのは氷室だったから……」


 万明玉が結論を口にしようとする。

 すると、弟弟子がひきついで「曲のご令嬢が襲われた付近にあった仮氷室もあやしい」と、姉弟子の話のさきを推測して話した。

 万明玉は暗がりのなかで「そうよ」と、明るく言う。そして、さらに話をつづけた。


「後宮の仮氷室を調べるべきよ。でも孝王妃として行けば、いやでも注目される。しかも孝王妃が仮氷室を見たがっていると後宮じゅうに知れわたったら、事件の関係者の耳にもはいりかねない」


 だまって万明玉の話を聞いていた楊冠英が「そうですね」と応じ、ようやく納得した口ぶりで言う。


「関係者がいた場合。その人が善人ともかぎらない。仮氷室をさぐっていると、だれにも知られないほうがいいんですね」


「ええ。だから、わたしとあなただけで行くの。幸運にも昼間に何度もかよったおかげで、どこにどんな警備がしかれているかはわかっているしね」


 納得した様子の楊冠英だったが、声を低くするとたずねた。彼の声からは、多少のやっかみも感じる。


「でも、孝王に知らせないのですか? 力になってくれると、おっしゃってましたけど」


『なにを聞いても、とがめたりしない。力になりたいだけだ』


 楊冠英の問いかけをきっかけに、武俊煕の言葉が万明玉の脳裏をよぎった。ふいをつかれた彼女はたじろぐ。しかし、すぐに立ちなおると口にした。


「柳師兄の件は孝王には関係ない。たよるべきじゃないわ」


 万明玉が重々しくもきっぱりと言いきる。

 すると、姉弟子の返答を気にいったらしい。万明玉とは反対に、楊冠英はうきうきと返事した。

 

「そうですね! 柳大師兄をさがしているのは、師姐とわたし。孝王は関係ないですよね」


 楊冠英のかわりようを面白く感じた万明玉は「急に元気になって、変な子ね」と笑うと、つづける。


「たよりにしているわ」


 暗くて見えないが、しっかりとうなずいたとわかる大きな声で、楊冠英が「はい!」と返事する。最終的に作戦行動をうながしたのは、姉弟子ではなく彼だった。楊冠英は言う。


「では、さっそく出発しましょう!」

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