第九章 探しつづけた先の禍福

第34話 仮氷室の潜入調査

 後宮には何度となく足をはこんだ。それに、万明玉と楊冠英は方士の修行のおかげで武人なみに体がうごく。木にのぼるのも、塀にのぼるのも朝飯前。よって、夜闇にまぎれた彼らは、難なく後宮のなかへ侵入したのだった。


 目的地に到着した姉弟弟子は、高い塀のうえにとびのり、仮氷室の敷地にひらりとおりたった。ふたりの一連のうごきは、以前見た淳皇后の飼い猫に似ている。


 建物の影に身をひそめ、万明玉たちは仮氷室の出入り口の様子をうかがった。

 下級の宦官だろう。門番と思われる男がふたりいた。こんな場所に夜なかに人がくるのは稀なのかもしれない。自分たちしかいないのを好機として、彼らは壁によりかかったり、あくびをしたり。だらけにだらけていた。


 物陰に隠れながら、万明玉が楊冠英に目くばせする。

 すると、そこらで拾ったのだろう。木の枝や石を両手にもち、楊冠英は力いっぱいそれらを投げた。

 遠くではあるが仮氷室の敷地内で、楊冠英が投げた石や木の枝がゴンとか、カラカラとか音をたてる。

 ぼんやりしていた門番だったが、この音には驚いたらしい。びくりと体をはねさせると、ふたりして音のしたほうへ注目した。

 不審な音に驚くあまり、門番たちの意識は前方にむいてしまう。その隙に万明玉と楊冠英は門番たちの背後をとると、首筋にある急所にあて身をくらわせ、彼らを気絶させた。


 門番を難なく鎮圧した万明玉たちは、まんまと仮氷室のなかに侵入する。侵入の際、たいまつが扉口の明かりにつかわれていると気づいた。そのたいまつを拝借するのも、ふたりは忘れない。


「門番が目を覚ますまえに逃げなければなりませんね」


 順調ではあるが心配でもあるのだろう。あせりをふくんだ声で楊冠英が言った。

 万明玉は「わかってる」と言いながら、たいまつで建物のなかを照らす。

 扉をあけると目のまえ、部屋の中央に下へおりる階段があった。暗がりのなか、ふたりはそろそろとその階段をくだる。

 おりたさきは冷え冷えとした空間で、壁ぎわには藁あみの四角い大きな包みがいくつもつんであった。おそらくだが、この藁包みの中身が氷なのだろう。氷のほかにも、つぼや麻袋などが無造作におかれている。

 万明玉に伝えるため、楊冠英が保管してある物品を声にだして確認した。


「酒に乾物。それに、しびれ薬? でも、かなり古そうだ……」


 ひととおり確認した楊冠英は、首をひねり「なぜ、しびれ薬が氷室に?」と疑問を口にする。

 すると、部屋全体を見まわしていた万明玉もおかしな点に気づき、話しだした。


「床に魔法陣が描かれていたみたい。おそらく拷問用よ」


 たいまつをちかづけ、万明玉はじっくりと魔法陣を見る。ずいぶん昔に描かれたらしく、大部分がすり消えていて機能しないとわかった。

 楊冠英は困惑した様子で「魔法陣?」と繰り言を口にすると、さらに問う。


「皇帝陛下は怪力乱神がお嫌いなはず。もちろん方術もお嫌いなのでは?」


 楊冠英の疑問への答えに心当たりがあり、万明玉は「今の皇帝はね」と口にし、彼女の考えを話した。


「でも、先帝、もしくは先々帝はちがったのかも。この魔法陣が描かれたのは、かなりまえよ。昔は冷宮だったと曲の令嬢が言っていたし、おそらく現皇帝の御代みよ以前はちがっていたんじゃないかしら」


 言いながら、万明玉は宮廷の瓦のうえに聖獣をひきつれた仙人の像があったのを思いだす。おそらく古い時代には、神秘を重んじる皇帝もいたのだろう。

 その後も、万明玉と楊冠英は仮氷室のなかをさぐった。しばらく黙々と調査したのち、楊冠英が口火をきり「なにもありませんね。でも」と口にし、あたりを見まわしながら言葉をつづける。


「方術の気配を感じます。だけど、床の魔法陣じゃない」


 万明玉は「ええ」とうなずくと、ひとつの壁をたいまつで照らした。彼女は「このあたりがとくに気配が濃い」と言いながら、壁から地面へと順々にたいまつで照らす。すると、魔法陣ばかりが気になっていて今まで気づけなかったが、彼女は地面にこすれた痕跡をみつけた。真新しい扇状のきずだ。


 ――扉がひらいてこすれたきずみたい。もしかして、壁が隠し扉になっているの?


 たいまつの明かりを、万明玉はあらためて目のまえの壁にちかづける。

 石づくりの壁は何枚かの板状の大きな石がくみあわさってできていた。扇状のきずと石壁のつぎ目の位置とがぴたりとあっている。

 万明玉は隠し扉の存在に確信をふかめ、さらにくわしく石壁を調べた。

 すると、牡丹の彫り物が一定の間隔をあけて飾ってあって、ちょうど隠し扉と思われる壁にも同形の彫刻がひとつある。

 目のまえの彫り物を周辺の彫り物と見くらべた万明玉は、目のまえの牡丹の彫り物がほかの彫り物よりもつやつやしていると感じる。


 ――長年、だれかが何度もふれてきた。そんな感じね。


 あやしく感じた万明玉は、思いきり牡丹の彫り物を押してみた。

 予想は的中し、彫り物がずずと音をさせて壁に押しこまれる。直後、がちゃがちゃ、ぎいぎいと金属や木材がぶつかりあう音がしはじめた。

 そのうちに、ずずずと重い物体をひきずる音がし、あやしく感じていた石壁が勝手にうごきだす。


 ――やはり隠し扉だったのね。なら、このさきに隠し部屋があるにちがいないわ。


 万明玉の予想どおり、うごく石壁のむこうに空間が見えた。

 万明玉と楊冠英はおたがいの顔を見あわせる。うなずきあったふたりは、隠し部屋のなかへと足をふみいれた。

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