第54話 死を望むほど愛した人

「当時のわたしは、自暴自棄になっていたんだ」


 思いがけない兄弟子の告白に、万明玉は「自暴自棄?」とたずねかえす。

 柳毅は小さくうなずき、おずおずと「あのころ、わたしは婚約していただろう?」と言った。

 柳毅の言葉に、万明玉はどきりとする。柳毅が言っているのは、もう無くなった婚姻の話だ。柳毅と当時の婚約者との婚姻の約束は、 はるか昔に解消されている。それでも、一度は彼が自分とはちがう人と婚姻を考えた事実は、万明玉に重くのしかかった。

 万明玉がだまりこむなか、柳毅の話はつづく。


「じつは、ほかに気になる相手がいてね。ほんとうは、婚姻に乗り気ではなかったんだ」


 思ってもみない話しに驚いた万明玉は柳毅をふりむき、彼をじっと見つめた。

 柳毅は苦笑いをしたまま「でも」と言い、さらに語る。


「親がわりで育ててくれた叔父と師父の喜ぶ顔を見たら、結婚したくないとは言いだせなかった。それに愛した人は貴族の出身で、孤児のわたしとはあまりにも身分がちがいすぎた」


 ――そうか。師兄には、ほかに想い人がいたのね。


 柳毅が結婚相手を愛していたわけではないと知り、万明玉は束の間よろこんだ。そうはいっても、彼にはほかに想う人がいたとも知り、また彼女の気持ちは落ちこむ。彼女は感情を押し殺して「そうだったの」と短いあいづちをかえした。

 万明玉にうなずき、柳毅は目をふせて言葉をつづけた。


「のぞまぬ縁をむすぶのなら、義侠的なおこないに身をささげるのも悪くない。そんな気もちがわたしのなかにあったのは否定できない」


 ――死を望むほど愛した人が師兄にいたなんて。気もちを伝えたいと思っていたけど、わたしの気持ちを知ったら、師兄は困るかしら。


 柳毅が話すたび、万明玉の悩みは深くなり、どんどんと落ちこんでしまう。それでも、彼女は柳毅の話をとめはしなかった。なぜなら、彼と彼女とのあいだには十五年もの空白期間があるからだ。ふつうなら耳にしたくない話でも、兄弟子と間近で話ができるだけで、万明玉はしあわせだった。彼女は努力して会話をつづける。


「それで、玥淑妃たちをあんな無謀な方法で助けたのね」


 柳毅はこくりとうなずいた。それから、そっと眉をよせると「それがまさか、玥淑妃をあんな行動にかりたててしまうとは……」と、苦しげに言いよどんだ。

 束の間、ふたりは沈黙した。だまりこむあいだも、万明玉は考えつづけてしまう。


 ――でも……なにも伝えないまま、また離れ離れになったら? そうなったら、わたし……きっともっと後悔する。だから……


 悩みつづけていた万明玉は、柳毅に自分の気持ちを伝えるべきだと思った。決心した彼女は「師兄は悪くないわ」と返事をし、沈黙をやぶる。告白すると決めた彼女は体ごと柳毅のほうをむき「師兄。わたし」と口にしかけた。ところが、柳毅が「いいや」と言って話しだしたので、彼女は言葉のつづきを言えなくなる。

 柳毅は苦しげに眉をよせ、口をひらいた。


「わたしが不甲斐なかったんだ。他人の顔色ばかりをうかがって、自分の気もちを口にだせないなんて。だから……」


 柳毅はまた言いよどんだ。そして、万明玉に体をよせて彼女の手をとると「師妹。わたしは」と、万明玉に語りかける。しかし、彼にもまた言葉のさきが言えなくなる事態がおこる。

 ごうと大きな音をさせ、勢いよく風がふいたのだ。婚儀の場からも一瞬、悲鳴があがる。ふたりは目をほそめ、大風が行きすぎるのを待つしかなかった。そのあいだも、柳毅は万明玉の手をとったままだ。

 ようやく風がとおりすぎ、ふたりはほそめていた目をひらく。すると、青く晴れわたった空に、赤い絹の布が舞っていると彼らは気づく。おそらく、婚儀の装飾用の布だろう。その赤い布が、ひらりひらりと万明玉たちにむかって落ちてきた。そして、柳毅と手をとりあう万明玉の頭に、おおいかぶさってしまう。


 ――せっかく、勇気をだして告白しようとしていたのに!


 視界が悪くなり、話もさえぎられた。機会を逸したと感じた万明玉は「もう、なんなの?」と、不満の声をあげる。

 万明玉の手を慌ててはなした柳毅は「師妹、あばれないで。今、どけてあげるから」と言い、赤い布に手をかける。柳毅はそっと布を持ちあげた。すると、彼を見あげる万明玉と目があい、彼は目をまるくするとつぶやく。


「あのときと、おなじだ」


 柳毅の言葉の意味がわからず、万明玉は「あのとき?」と小さく首をかしげる。


「わたしが孝王府に行くまえ、似たできごとがあった。おぼえていないか?」


 柳毅に問われて思いだし、万明玉も「ああ」と声をあげた。

 昔の情景に似ていて驚いたらしい。ぼうぜんとしつつ、柳毅は言う。


「あのときのきみは、蓋頭をかぶる花嫁みたいにうつくしかった。それで『どうして、わたしの花嫁はきみではないのだろう?』と思ったんだ」


 耳をうたがい、万明玉は「それって」と口走り、柳毅をまじまじと見た。驚きのあまり、とぎれとぎれに彼女は言葉をつむぐ。


「もしかして、師兄の想い人って……」


 言いよどむ万明玉の頬に、柳毅がやさしくふれた。彼は「師妹。わたしは孝王の身分を捨てるつもりだ」と言うと、はっきりとした声で彼女に告げる。


「身分も家柄も持たない男だが、わたしの花嫁になってくれないか?」


 それは、万明玉がずっと聞きたいと思っていた言葉だった。

 柳毅の告白が耳にとどいた瞬間。万明玉の目から、ぽろぽろと涙がこぼれる。柳毅の着物をしっかりとつかみ、万明玉は「師兄。わたしもずっと、言いたかった」と口にすると、涙をながしながら笑顔で言う。


「今生で柳毅とだれよりも長い時間をともにするのは、この万明玉よ!」


 万明玉の言葉を聞いた柳毅が、感極まった表情をした。彼は、万明玉をかき抱く。しばらくの間、彼女は息苦しく感じるほど柳毅に抱きしめられた。ひとしきり抱きあったあと。十五年の空白を埋めるかのごとく、ふたりは長い長い口づけをかわした。




(了)

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煦煦たる皇子殿下の寵妃は絶佳の仙道士 babibu @babibu

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