第23話 異国からの留学生

 万明玉が宮廷をおとずれるのは、婚礼以来だ。

 前回は花嫁の蓋頭がいとうごしで視界が悪く、なにもかもがまっ赤に見えた。それにくらべてこの度は、整然とならぶ瑠璃瓦の黄色と晴れた空の青とがうつくしく対比をなしているのまで視認できる。おとずれたのは二度目であるのに、万明玉にはここが初めて来る場所にすら思えた。

 瑠璃瓦のうえに、いくつかの像が一列にならんでいる。なにかの動物に乗った人の像を先頭に、めずらしい動物がならんでいた。


 ――先頭のひとは仙人。そのほかの動物は聖獣かしら?


 視界にうつるすべてがめずらしく、万明玉はきょろきょろとあたりを見まわしながら歩く。そのうちに、すれちがう人々が自分たちをちらちらと見てくると気づいた。


「わたしたち、もしかして目立ってる?」


 だれにとはなく万明玉がたずねた。

 質問が耳に届いたのだろう。先頭を歩く武俊煕があたりを見まわす。すこしの沈黙のあと、彼が答えた。


妻殿つまどのは神仙みたいに麗しいから、見とれて当然だよ」


 人々の視線など気にするなと言いたいらしい。温和な武俊煕らしくない口ぶりに、万明玉は多少だが驚く。ただ、くだらない理由とわかり興味もなくした。なぜなら、仙相をもつ人間はたいてい整った顔だちだからだ。よって、自分の見た目がとくに優れているとも思わない万明玉は「ふうん」と軽いあいづちをかえす。


 すると、急に万明玉を気づかう気もちになったらしい。武俊煕がうしろをふりかえり「長く歩いて疲れてはいないか?」とたずねると、万明玉の手をとろうとする。

 ところが、侍女すがたの楊冠英が「王妃さま。すこし休まれますか?」と言って、さきに万明玉の手をとった。そして、武俊煕に『ふれるな』と言わんばかりのにらみをきかせる。

 武俊煕と楊冠英のあいだの空気がにわかに悪くなった。

 しかし、男たちの剣呑な雰囲気には気づかず、万明玉は「だいじょうぶ。問題ないわ」と返事する。それから、そっと眉をよせると「それより」と言い、武俊煕にたずねた。


「ずっと思っていたのだけど、わたしをなぜ『妻殿』って呼ぶの?」


 質問された武俊煕は、侍女すがたの楊冠英をあらためて見る。

 万明玉は武俊煕の懸念をさっして言った。


「話しても問題ないわ。この子はわたしの弟弟子なの」


 万明玉の言葉に、武俊煕は目をまるくして「弟?」とつぶやくと、小声ではあるが責める口ぶりで「おまえ、男なのか?」と楊冠英にたずねる。

 楊冠英は答えず、つんとそっぽをむいた。

 あきれ顔で首をふると「ぜったいに正体を隠しとおしてくれよ。それと、妻殿の手をはなせ」と楊冠英に命じ、武俊煕は本題にもどる。


「万明玉と呼ぶのは、夫婦なのに他人行儀だと思ってね。気にいらないなら、小玉シャオユイとでも呼ぼうか?」


 言われてみれば、納得だった。王妃であろうとなかろうと、万明玉は武俊煕を『孝王殿下』と呼べばいい。しかし、万明玉には肩書はないのだ。だからと言って『小玉』などと親密な呼び方で呼ばれるのは、もっと受けいれがたい。

 万明玉はしぶしぶ「わかった。『妻殿』でいい」と呼び名を受けいれた。

 万明玉から許可がおり、武俊煕はうれしそうにほほ笑む。

 武俊煕とは逆に、楊冠英は苦虫でもかんだ顔をした。

 そのときだ。


「孝王殿下」


 武俊煕を呼ぶ、男の声が唐突にする。

 万明玉たちは、声のしたほうをふりかえった。

 すると、官服すがたの男がこちらにむかって拱手の礼をするのが目にはいる。ほっそりとした初老の男だ。

 武俊煕が「しん大人ダァレェン」と呼びかえし、男に歩みよりながら話しかけた。


「先日は婚礼の儀に参列くださって、ありがとうございました」


 男は「大人などと、もったいない」と謙遜し、また頭をさげようとする。

 武俊煕は男の肩を押し、彼の頭をあげさせると「では、辛都護とごとお呼びしよう」と提案して、言葉をつづける。


「たしか皇帝陛下から都護の職をおおせつかったと聞いています」


 すると、このたびの呼び名は受けいれる気もちがあるらしい。辛都護は「ええ」と、うなずいて言う。


「お別れのあいさつまわりもおわりました。明日、赴任地へ出発の予定です」


 ――すごく礼儀正しい人ね。婚礼で礼儀正しかったと言えば……


 武俊煕と辛都護のやりとりを見て、万明玉は記憶をさぐった。そして、ある人物を思いだし、思わず声にだして言う。


「婚礼の儀で、猫になつかれていたひと!」


 万明玉の言葉が耳にはいったようで、辛都護は恥じいった様子で「ご覧になっていたのですね。おはずかしい」と、苦笑いする。

 礼儀正しいだけでなく、地位のある年長者なのにおごったところもない。万明玉が辛都護を好ましく見ていると、武俊煕が「妻殿」と彼女に語りかけた。


「辛都護は、おもしろい経歴の持ち主なのだよ。じつは、東の島国からの留学生なんだ」


 思いがけない話に、万明玉は「外国の方なの?」と驚きの声をあげる。

 すると、辛都護は「はい」と言い、彼の来歴を教えてくれた。


「もともとは幾人かの同胞と仏教などの宗教や文化、そして立法制度などを学ぶため、この国にやってきたのです。ですが、この国を気にいってしまいまして、こうして居座っているのです」


 うなずきで応じ、辛都護に興味をもった万明玉は「では」と言って、たずねる。


「あなたの生まれた東の島国に、この国の物事が伝わっているの?」


 辛都護は「ええ」と大きくうなずくと、万明玉に答えて言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る