ラブコメはまだ始まらない

鳩紙けい

〈01〉日陰者二人

「聞け雨傘あまがさ。僕はギャルと付き合うことにした」


 テーブルを挟んだ向かいでノートにペンを走らせている後輩へ宛て、そう宣言した。


 しかし何を考えているのかこの小娘、反応の一つも寄越さず顔すら上げないままお絵かきを続行する。大方いつもの冗談とでも思ったのだろう。二人しかいない空間、かつ相手は年上という中で無視を決行するとは実に強かな後輩である。


 僕は身を乗り出して雨傘の注目を独り占めするノートを覗き込んだ。


 こやつは漫画を描いていた。A4ノートの右側まるまる一ページを使って描かれていたのは、いかにもお調子者な風体の学生が巨大モンスターに首を刎ねられるというものだった。


「なんて陰気な小娘だ」


「うるさいですよ。今いい所なんです」


 そう言って後輩はもう片側のページへ続きを描き込み始める。余程筆が乗っているようで、顔とノートは今にもラブコメが始まりそうな距離まで接近していた。


 ラブコメ――などという言葉を使ってみたが、いま僕達がいるのはそんな輝かしい響きから掛け離れた空間だ。


 本校舎と繋がる第二校舎のさらに奥、敷地内でも端に位置する建物の中でも更に端っこ、使われなくなった資料や道具を保管しておくための一室であるためだ。


 掃除した翌日には新たな埃が姿を現す、実に愉快なこの場所が、我々『日陰者調査団』の活動拠点だった。


 日陰者調査団とは僕と雨傘の二名からなる非公認の同好会である。活動目的は『日陰者の生態を研究して反面教師としよう』という自身の向上を望む学生らしさ、そして自分達を日陰者だと認められない醜さが同居したものだ。


 変にプライドが高いのである。日陰者という名称を用いたのも「陰気よりこっちの方がかっこいい」という理由なのだとか。


 勘違いされては困るのだが、発足したのは僕ではない。四ヶ月ほど前に卒業した変人が残した負の遺産をまんまと引き継がされたのが僕というだけだ。


 僕としてはさっさとこんな青春の湿地帯からおさらばしてしまいたい。陽の当たる場所に行き、高校生らしく青春のど真ん中でキラキラ輝きたいのだ。


 そのためにもまずは、勘違いしてくれる友人を作りたい所である。


「そして僕はギャルと付き合うんだ」


 もう一度トライしてみるが雨傘は一切こちらへ興味を示さない。むっとした僕は雨傘の頭に乗っている埃を放置することにした。


 だが、それは失敗だった。


 雨傘の持つ小柄な黒髪おかっぱ頭という特徴のせいでキノコに見えてきたのだ。まさか胞子を撒き散らすつもりではないだろうか。菌糸類は嫌いじゃないが、この密室空間でそんなことをされては大惨事だ。


 僕は撤退を決めた。


「ではな雨傘。僕はこれで失礼する」


 と荷物をまとめていると、これまで無関心を貫いていた雨傘の顔ががばりと上がりこちらを見た。


 地味な彼女が持つもう一つの特徴、威圧的な鋭い目が僕へ向けられる。こやつは僕の前でだけとにかく目つきが悪くなる。普段隠している性根の悪さはこやつの目ただ一点を根城としているに違いなかった。


 ノートを閉じた雨傘が伸びをしながら言った。


「キリがいいのでここまでにします。それで、なんでしたっけ」


「その話は終わった。どうしても聞きたいというのなら考えてもいいぞ」


「そういうことなら聞いてあげましょう」


 言葉が通じないのかこの小娘。恐ろしき読解力の持ち主である。


 普段ならばここで口喧嘩が始まるところだが、今日の僕は機嫌が良い。故に生まれた年上らしい寛大さを以って、僕が折れてやるとしよう。


「僕はギャルと付き合うことにした。これは決定事項だ」


「ギャルですかぁ~~?」


 雨傘は心底嫌そうな反応をする。顔を顰めお行儀悪く頬杖をつきながら、ガムを吐き捨てるような調子で二の句を継いだ。


「あんな連中に関わろうなんて見損ないましたよ先輩。モテないからって見境のない」


「じゃあその腕につけたヘアゴムはなんだ。お洒落に憧れているんだろ」


「バカじゃないですかヘアゴムくらい誰でもつけますよ!」


 食い気味で反論する雨傘だったが、些か慌て過ぎに見える。どうやら僕は図星を突き刺してやったようだ。


 ここで一つ、学んだばかりのテクニックを披露してみよう。


「似合ってるぞ。お前のセンスは一流だ」


「な、なんですか急に。気味悪いです」


「些細な変化に気付くこと。そして相手のセンスを褒める、これは必須テクニックらしい」


 インターネットに書いてあった。大変便利なものである。


「小賢しいですね。残念ですがギャル相手にそんなテクニックは必要ありません」


「どういうことだ?」


「奴らはガサツだからです。細やかな気配りなんて靴底行きって知らないんですか?」


 したり顔をする雨傘が、ため息交じりに解説を始めた。


「本を読んだり漫画を描いたりスマホ触ったりしていると、無遠慮に覗き込んでくるのがあのノンデリカシー共です」


「全部お前にやったことがある。それにお前も僕にやるだろ。つまり僕達はギャルだったのか」


「なに言ってんですか! 私は先輩だから大目に見てるだけですよ!」


 目を見開いて文字通りの大目を作る雨傘。こういう部分が愉快で飽きない奴だ。


 雨傘を相手にすると気を遣う必要が無いためとても居心地が良い。


 しかし、だ。


「僕の輝く場所が僕の好きな場所だとは限らないだろ。もしかすると日向こそが僕の適所かもしれない」


「ムリですよムリムリ。干からびて死にますって」


「ふっ。これだから無知は困る。僕は知っている」


 自信たっぷりに言うと、雨傘は息を呑んだ。こちらの出方を窺っているらしい。


 僕は推理小説の解決パートさながらに背筋を伸ばし指を天高く突き立て、真っすぐに雨傘を指した。


「オタクに優しいギャルの存在をな」

「………………」


 僕のように地味な人間の世界を一変させる神様のような人がいるらしいのだ。これもインターネットに書いてあった。


「水がなければお乳を飲ませてくれる」

「うわっ気持ち悪い」

「冗談だ」


 オタクに優しいギャルという現人神の存在を僕が知ったのはつい最近、初夏を見送ったばかりの七月始めのことだった。


 その日僕はまだ見ぬ理想の恋人と出会うため、眠い目を擦りながらも自己研鑽に精を出していた。家族全員が寝静まった夜半過ぎのことだ。


 リビングに置かれた我が家唯一のパソコンを自在に操り、誰に咎められることもなく、深夜特有の高揚感を心の筋肉へ転じ、未知のまま放置していたSNSなるものを覗いた。流行を知るには持ってこいだと小耳に挟んだからだ。


 しかし悲しきかな、僕の興味は自然と好きな作家やイラストレーターへと向いていた。そこで出会った数々の素晴らしき作品を生涯忘れることはないだろう。


 しかしまあ、流行には違いない。その中でもとりわけ目を引かれたのが、オタクに優しいギャルの存在というわけだ。


「僕は愚かだった。これまでギャルという存在を敬遠し、まるで中身を知ろうとしなかった。そんな己を恥じ、今では立派なギャル博士だ」


「ち、ちなみにちょっと先輩の思うギャルをやってみてもらっても?」


「やっほーオタクくん。なに描いてんの? うわっ、絵チョーうまいじゃん! ねえねえ、私の顔描いてよ!」


「正気ですか?」


 底冷えのする声だった。やはりこの小娘、僕が年上だと忘れているらしい。愛すべき後輩は頭が良くないのだ。


「今時そんな捻りの無いギャル像を恥ずかしげもなく語れる人が存在しているとは」


 これ見よがしに溜息を吐きながら、肩を竦める雨傘。その吐息に埃が舞った。やはりこやつはキノコの化身か、と思った。


 雨傘は「いいですか」と子供を宥めるように前置いてから胸を張る。悲しいくらいに平らだった。


「奴等、いわゆる陽キャは私達のような陰キャを人間だと思ってません。漫画のキャラかなにかだと思ってるんですよ」


「どういうことだ」


「聞きたいですか?」


「教えてくれギャル博士」


「いきなり話しかけられて気の利いた答えできるわけねぇだろって思いません?」


 教鞭を執るかの如き振る舞いをしていた雨傘は、途端に渋面を惜しげなく晒し、声に熱を流し込む。


 その時点で僕は悟った。なんのこっちゃない、いつもの偏見に基づく恨み節である。僕の中にあるお兄ちゃんスイッチがオンに切り替わった。


「陽キャを相手にするならノリが大事です。そしてなにより速さ。レスポンス命。質なんて良くも悪くも気にしないので、聞かれたらすぐ三文字以内で答えてください」


「なんと」


「違います。マジで! いいね! ウケる! ヤバい! といった言葉が好まれます。間違っても普段のように答えてはいけません。口ごもるのもNGですね。悪気ない風に弄ってきますので。ムキになって否定しようものなら、マジウケるやらこいつノリ悪いやら寒いわやら、全部てめぇらのことだろ自己紹介してんのかこらボケぶっ××ぞみたいな感じになります。×ね!」


 のべつ幕無し並べ立てられる雨傘の言葉が、僕の感情を揺さぶってくる。


 僕以外に友達がいない上、人前ではこの饒舌も鳴りを潜め借りてきた猫のように大人しくなる後輩のことを思うと、優しくせずにはいられなかった。


「そうか……クラスに馴染めず苦労しているんだな。僕で良ければ捌け口にしてくれ」


「はぁー!? なんで私の体験談みたいになってるんですか!」


 地団太を踏む雨傘の姿には、もぐぁー、という擬音がよく似合った。僕はなるべく埃を吸わないようにハンカチで口元を抑えた。


 やがて動きを止め、息を整えた後輩が反撃に出た。


「先輩だって苦労してるんじゃないですか。前にクラス覗きましたけど一人だけ時間の外側にいましたよ。静止画かと思いました」


「フラッシュモブの練習だ」


「ぷーっ!」


 わざとらしく両手で口を押えながら笑いやがった。生意気な笑みを浮かべてやがる。


「覚えたてのカタカナを使っちゃう辺りが中年男性のそれですね」


「僕はまだ十七だ」


「そうでしたっけ」


 先々週の誕生日会をもう忘れたというのか。どうやらこの小娘は僕が考えている以上に頭が悪いらしい。わざわざケーキまで用意してくれる出来た後輩だと見直していたが、改める必要がありそうだ。


 勿論僕は雨傘の誕生日が十一月七日だとしっかり覚えている。雨傘には話していないが、偶然にも僕の妹と日付が一致していたのだ。故に元々特別だった数字は、今では自分の誕生日以上に印象的な数字となった。


 それはさておき、実を言えばフラッシュモブはこやつの誕生日へ向けた練習だったのだが、まさか見られていようとは。


 しかし見ていたのはこちらも同じだ。


「前にお前のクラスを覗き見したが、本を読むフリしてやたらと周りを気にしていたな」


「ストレッチの本を読んでました」


「ぷーっ!」


 真似してやったら消しゴムを額にぶつけられた。捻くれ者が放ったわりに真っすぐとした軌跡を描いたものだから、僕の口から「おぉ」と感嘆の声が漏れた。


 すると雨傘は満足気に頷くばかりでそれ以上の追撃をしてこなかった。


 機嫌も直ったようなので、ここいらで失礼するとしよう。


「ではな。僕はこれで失礼する」


「えー、早くないですか? もっと遊びましょうよ」


「そうしたいのは山々だが、僕には大事な予定がある」


「予定? あっ、分かりました新刊が出るんですね! 私も行きます! その本明日貸してくださいよ」


 随分と図々しい頼みに「せめて三日は空けろ」と言うか悩んだが、雑談の入り口が見えたので堪えた。ここで後輩が振る尻尾を無視できれば良かったのだが、浮かれる僕はつい口を滑らせてしまった。


「実は明日の放課後、クラスのギャル達とカラオケに行くんだ」


「ギャッ!」


 年頃の少女が出すべきでない汚い叫び声に、僕は思わず飛びのいた。雨傘の表情は天敵の害虫と学校外でのクラスメイトをいっぺんに見たかのように凍り付いている。やがてその場に崩れ落ち、うわ言のように何かを呟いていた。


 僕は雨傘の正面にしゃがみ込んで耳を寄せる。


「あ、ありえない……どういうこと……? 夢? だったら……こんな世界ぶっ壊しても……」


「これは現実だ」


「嘘だ……この人が、この人がいるなら私だけ取り残されることは絶対無いと高をくくってたのに!」


 立ち上がった雨傘に合わせ、僕も立ち上がる。虚ろな瞳が僕を見上げていた。


「や、やめときましょおよ先輩。先輩って、ほら、口下手だから。私と居る方が楽でしょ? ね?」


「僕も男だ。逃げてはならない瞬間がある」


「まさかそれでギャルと付き合うとか言ってたんですか? 無理ですって、奴等は別次元の存在なんです。ほら、お菓子をあげますから落ち着いて」


「そんなことはない。あの子こそオタクに優しいギャルだ」


「ギャッ!」


 再び叫びながら崩れ落ちる雨傘。この豊かさをもっと人前で出すことが出来れば良いのだが、それが出来ないからこその雨傘でもある。


 両手を地につき乞うような姿勢をとる雨傘は必死の形相をしていた。


「じゃ、じゃあこの同好会はどうなるんですか! たった二人しかいないのに!」


「お前が三代目エースだ。僕のような陽キャはここにはいられない決まりだからな」


「ひ、ひどすぎます……非公認だけど細々とやってきたじゃないですか」


 楽しくなっていた僕は、適当な決まりをでっち上げこの茶番を継続させる。いつもならば生意気の限りを尽くす雨傘の弱った姿を楽しまないほど、僕は器の大きな人間ではない。


「ほ、ほら! 先輩が褒めてくれた私の漫画! もうすぐ完成するんです! 読んでくれるんじゃなかったんですか!」


「ほう。是非読ませてもらおう。優しいギャルと一緒にな」


 それがトドメとなったのだろう「あぱぁ」と謎の音を発して雨傘は完全に沈黙した。


 僕の完全勝利である。


「これからお前は一年の雨傘ではない。独り身の雨傘だ」


 高笑いをしながら出口へ向かい、外へ出てから、背を向けたまま僕は言う。


「ではな。お前との日々は悪くなかった。良い腰掛けだったと美化されてゆくことだろう」


 返事が無く物足りなさを覚えた僕は、扉を閉めた後ぴたりと頭をくっつけて中の様子に耳を澄ませた。


 するとさながら呪詛の如き怨嗟の籠った声が聞こえてくる。


「こうなったら殺すしかない……いや、私も陽キャの彼氏を作るしか……でもそれなら殺す方が簡単か……先輩を」


 僕は全速力でこの場を後にした。

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