【03】雨傘小唄の憂鬱

 お昼休みは日陰者調査団の部室で過ごすのが習慣となっている私ですが、今日は例外的に図書室へ足を運びました。場所選びの理由はシンプルなたった一つ、黙って座ってりゃいいからです。


 私はドグラ・マグラの下巻を片手に窓際端っこの席に座りました。既に読み終えているので気に入ったシーンをおさらいすることにします。耳にはイヤホンを付けて、お気に入りアニメのドラマCD垂れ流し。脳がとろけちゃいそう。


 誰もが羨む至高の休憩時間を満喫していましたが、やがて寂しくなって本を閉じました。


 私を差し置いて一人抜け駆けしちゃう先輩なんて知らない! 構ってくれる後輩のありがたさを思い知るがいいのよ! という反発心は既に消え去ってしまったのでした。


 まあ私も鬼じゃありません。

 いくら放課後が充実していようとお昼休みは普段と変わらないはず。一人寂しくお弁当を食べる先輩が憐れですし、私が遊んであげるとしましょう。


 一度教室へ戻りお弁当を持って部室へ向かいました。一人寂しく好物の煮物を頬ばる先輩の姿を想像しながら扉を開けましたが、そこに先輩の姿はありませんでした。


 足下から一気に力が抜けていき、私はその場に崩れ落ちます。


「あ、ありえない……まさか本気であの男」


 いやいや、早とちりは私の悪い癖です。本棚の隙間や部屋の隅っこに隠れているのかもしれません。


 ふらつきながらも捜索活動に移りましたが、先輩の姿はついぞ見つけられませんでした。


 まさか先輩は本当に私を置いて光の世界へ行ってしまったと言うのでしょうか。今頃教室でお友達と青春ランチタイムを満喫中? おかずを交換しあって舌に新鮮な刺激を与えているとでも?


 ひどい……ひどすぎます。たまに交換してあげる私の卵焼きなんて忘れてしまうんですね。


 習得までに使ったばんそーこの数も知らないで! まとめて請求してやる!


 悲しみに暮れる私は教員用駐車場近くにある池まで移動して、へりのゴツゴツした岩の上で膝を抱えジッと鯉を眺めました。水面に映る私の表情を鯉が掻き消してくれるのでとても落ち着きます。


「どうしよう……私もギャルになろうかな。先輩のことオタクくんって呼ぶとか……」


 先輩のことだから、例え新たな居場所を手に入れても今まで通り……とはいかないまでも私の相手をしてくれるでしょう。相手してあげてるのは私ですけど。


 部室でアニメを見たりゲームをしたり、放課後に得体の知れない定食屋へ入り浸ったり休日は映画館へ行ったり、アニメショップで買い物したりイベントに参加したり、私の子分としてこれからも付き合ってくれるのだと思います。


 私も親分として甲斐性無しではありません。子分が光の世界へ巣立つというのなら、毅然とした態度で送り出すべきです。


 うんうんそうしよう。そっちの方が先輩だって私のありがたみを知るでしょうから。


 私は誰に届けるでもなく独り言を水面へ投げ落としました。


「ぜーったいイヤ……」


 未だ出口の見えないイヤイヤ期に身を置く私です。クズだなんだと罵られようとも、せっかく、ようやく手に入れた現状を維持するためなら私はどこまでも闇へと堕ちましょう。


 幼少期を「宝箱から生まれてきたのかしら?」ともてはやされてきた天使が今ここに堕天するのです。


 足下より伸びて来る暗黒面の手を取り、私は立ち上がります。するとお腹がぐぅーと鳴りました。


 何はともあれまずはご飯を食べなければと近場のベンチのど真ん中へ腰を下ろしました。手入れされていないため汚れていましたが、制服なんて多少汚れている方が只者じゃない感が出るので構いません。


 池を眺めながら白米をこれでもかと噛んでいたその時でした。


「お姉さん、一人でなにをしてるの?」


 背後から声を掛けられました。振り返るとそこには小学生くらいの小っちゃな男の子が立っていました。


 Tシャツに短パンという如何にも子供な装いです。私に三次元の少年趣味はありませんが、キレイな顔の男の子だったので思わず息を呑みました。


「きみこそ何をしてるの? 学校は?」


「ここは学校だよ」


「小学生の来るところじゃないよ。高校生になったらまたおいで」


 お姉さんっぽく努める私。憧れのシチュエーションに胸がドキドキです。子供相手なら私の長広舌は十全に働くのでした。


 職員室……は歯医者さんと同じ空気で苦手だし、できれば一人で帰ってほしいなあと考えていると、隣に座った男の子が悲しそうな顔をして言いました。


「それがね、お姉さん。ぼくは高校生にはなれないんだ」


「え」とんでもない展開に私は慌て、お弁当箱を落としそうになります。


「え、それは、えっと……」


「ぼくは頭が良いから多分飛び級で大学生になるんだよ」


 なんじゃそりゃ。私は男の子にデコピンをくれてやりました。てっきり病魔による悲劇的なものだとばかり。


「なにをするのさ」 


「きみ名前は? どうしてこんなところにいるの」


「質問は一つずつにしてよ。ぼくは音矢おとや遠切とおぎり音矢おとや。お姉さんは?」


 音矢と名乗った男の子は愛らしい微笑みで訊いてきました。


 まさか会話の主導権を握るつもりでしょうか。そうはいきません。世の中そんなに甘くはありません。私は声に覇気を乗せて答えます。


雨傘あまがさ小唄こうた。十五歳の高校一年生です。あ、勘違いしないで欲しいんですけどここでご飯を食べてたのは天気が良いからっていうのと一人で考え事したいからなので勘違いしないように。音矢くんもそういう気分になることあるでしょう?」


「喋りすぎだよお姉さん。沈黙を恐れすぎじゃない? もっと余裕を持たないとさ」


 なんて生意気なことを! この小童は! 会話をリードしてあげようという私の心遣いを蹴っ飛ばして!


 私は眉間へ集まる力を精一杯抑えながら、付け入る隙を与えまいと笑顔を作りました。


「ぎこちないね。今にも怒り出しそうだ。ぼくには分かるんだけど、お姉さんって短気でしょ」


 短気かと問われて短気だと答えるはずがありません。私は年上らしく行動で示すことにして、音矢くんの頭をはたきました。


 腕をしならせ放った愛の鞭。


 直後に「なにすんのさ」と頭をさする音矢くんが、私のお尻の下に手を入れてきました。そのまま下から上に撫でるようにします。私の頭へ血を送ってくれるとはなんと良い心掛けでしょう。


「ぶっ×す!」


「うわあおっかない」


 逃げ出した音矢くんを追い掛け回すこと十分程。容赦ない陽射しに体力を奪われた私は、大人しく元いたベンチへ戻りました。


 私の間合いを既に看破したと思われる音矢くんは、咄嗟に対応できる距離を保っています。


「ごめんよ小唄お姉さん。僕は年上が好きなんだ」

「マセガキ」


「好きな人の最期は看取ってあげたい性分なんだよ」


 置いていくより置いていかれる方が良い、という小学生が持つには早すぎる思想に思わず感心しましたが、私は全く正反対なので共感は出来ませんでした。


 私は置いていかれたくありません。たとえ悲しませてしまうとしても、それでも、私が悲しむよりずっといいですから。


 こんな自分勝手な思考を小学生相手に語るべきでないという良識は持ち合わせているので言いませんけど。


 というよりも、どうしてこんな話になっているのでしょう。強引に軌道修正を決めて、次なる話題を持ち出しました。


「音矢くんはアニメとか見ます?」

「見ないなあ。なにかオススメしてよ」


「ふふん。いいでしょう。私のオススメはいま乗りに乗っている『プリンストレイター』というアイドルアニメです。女性向けなので男性は取っつき辛さを感じるかもしれませんが、起伏が激しくパンチの効いたストーリーは誰でも楽しめると思います。盛り上がりも分かりやすくてライブシーンは感涙にむせび泣くこと必至ですよ。詳しく話すとネタバレになっちゃうので残念ながら言えませんが、スポ根ものが好きなら楽しめる作りになってると思います。ちなみに私のお気に入りはナギくんっていう一見ミステリアスな少年なんですが」


 そこからの私は水を得た魚、喋って喋って喋りました。


 推しの魅力を語り終えてから気付いたのですが、音矢くんは妙に嬉しそうな顔で私を見ています。好きな物を一方的に語るという悪癖を前々から反省している私としては、てっきりドン引きされたと思ったのですが。


「それだけ熱くなれるなら友達くらいすぐできるよ」


「たくさんいるのでご心配なく」


 反射的に強がってはみましたが、どうやら音矢くんにはお見通しのようでした。


「世界は広いよ。小唄お姉さんが思っている以上にね。全く思い通りになりはしない」


「いきなりなんですか」


「それって良くも悪くもなんだよね。都合の良い妄想が現実で実体を持つのが難しいように、逆もまた同じなんだ。期待のしすぎは良くないけど、気負い過ぎも考え物さ。その場その場で判断していこう。この世の心理はケースバイケースだね」


 聞き取りやすい声と流暢な言葉運びに私は自然と聞き入っていました。


「子供時代なんてたくさん失敗すればいいんだよ」


 そこで一度区切ってから続けます。


「大人になると自分を許すのにも他人の許可が必要になったりするからね。早ければ十八年ぽっちで終わるモラトリアムを変に決めつけて過ごすのは勿体ないよ。今はとにかく自由であるべきだ」


 分かったようなことを、諭すようなことを言う音矢くん。以上で話はおしまいらしく、ピリオドを打つかのように穏やかな笑みを浮かべました。


 普段の私であれば小童の戯言だと一笑に付すところですが、不思議とそういう気分にはなれませんでした。


 音矢くんが持つ小学生らしからぬ雰囲気に圧倒された、というわけではなく、奇妙にも心の中へストンと落ちたからです。


 しかし小学生に諭されたとなっては雨傘小唄一生の不覚。

 ですので「ふうん」と素っ気なく返しました。


 すると音矢くんはくるりと踵を返し、伸びをしながら顔だけこちらへ向けます。


「それじゃあまたね。小唄お姉さん」


「さっさと学校へ行きなさい」


「行くよ。といっても中学校だけどね」


「だからそういうのは良くないですって。誰もが私のように優しい人ばかりじゃないんですから」


 忠告すると音矢くんは端正な顔を不敵に歪め、勝ち名乗りを挙げるかのように言いました。


「彼女がいるんだ。中学生の」


「はぁーーーー?」


 聞き捨てならないセリフに私は腰を上げました。


 ませた小童ではありましたが、よもやここまでとは。彼氏彼女だ恋愛だなどという百害あって一利無しの劇薬に手を出して、彼は自分の人生をなんだと思っているのでしょう。


 出会ったばかりの私に口出しされる謂れはないと重々承知しておりますが、けれども関係の浅い人間からの言葉も大切にするべきなのです。人柄の含まれない純然たる言葉だけに注目すると、新たな筋道を見つけられることもあるとは先輩の談。


 ようしさっきのお返しに私もそれっぽいことを言ってあげましょう。


 かろうじて残っている年上の威厳を気球くらいまで膨らましてやろうと試みる私でしたが、しかし音矢くんに遮られました。


「小唄お姉さんも中々だったけどぼくの彼女の方がいいお尻かな」


「ぶっ×す!」


 許すまじ猥褻少年。私は相手が小学生だということも忘れ追いかけ回しました。


 結局お昼ご飯を食べてないな、お腹が空いたな、と後悔しはじめた私に無情が斯く鮮やかに訪れます。


 捕獲に失敗した猥褻少年が正門から飛び出したのと同時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったのでした。


 貪ったのは時間だけ。ああ、素直にお昼ご飯を食べていれば良かった。

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