〈02〉オタクに優しいギャル
今日は待ちに待ったカラオケである。
昨晩から明朝にかけ、まんじりともせず大量の流行曲を学習し続けた僕に抜かりはない。一夜漬けだ。試験前日は早寝する僕にとって初めての経験だった。
懸念事項としては出力していないため定着していない可能性があることだが、雨傘によればノリが大事らしいので構うまい。
代償として支払った睡眠時間は学校にて取り戻した。僕の意識が正しく機能を始めたのは昼休みも半ばを過ぎた頃である。残り時間は二十分とない。
いつもなら部室で雨傘と適当な映像作品を見ながら、ダラダラ昼食を摂っている時間だ。
僕は悩んだ。
今から移動して向こうで弁当箱を突っつくには残り時間が心許ない。
僕の中にある天秤はこの場でさっさと平らげてしまうに傾きかけたが、しかしここで第三の選択肢が生まれた。
そういえば昨日、雨傘は物騒なことを呟いていた。恐らく僕達が羨ましくて仕方ないのだろう。仕方のない奴だ。
僕は席から立ち上がり、一際眩しい光を放つグループが陣取る教室の中央へ移動する。その集団の中で鈴を転がしたように小気味よく笑っているギャルに声を掛けた。
「
「んお? どしたの?」
振り返った咲沙さんはあどけない笑みをこちらへ向ける。この世の宝だと思った。明るい色の髪は天然のものなのか絹のように滑らかで、僕がトレジャーハンターだったなら真っ先に狙うだろう。
彼女は一度立ち上がって椅子に逆座りをする。パンチラのリスクも厭わず向き合ってくれたという点から、咲沙さんこそがオタクに優しいギャルなのだと確信した。
今回のカラオケも彼女が企画した催しなのだ。
「どしたの?」
「今日のカラオケに一人誘いたい子がいるんだけど、構わないかな」
「えっ!」大袈裟に驚いてみせた咲沙さんが悪戯を仕掛ける子供のように微笑んだ。
「だれだれ? 同じクラスの子? もしかして彼女とか?」
好奇心の色濃い表情が僕を見上げてくる。あまりの美しさに、僕は一度目を休めるため視線を咲沙さんの胸へ定めた。細身ながら立派な物をお持ちである。これでは余計に脳が加熱されてしまうぞと慌てて太ももへ視点を転じる。やはりこちらも肉付きがよく健康的だった。
僕は美術の授業で行われるデッサンにすら用いたことのない観察眼をこれより十全に発揮するつもりだったが、そこで咲沙さんが言った。
「もー、どこ見てんの。そういうの分かるからね」
「マジか」
雨傘の教えに則り難を逃れる僕だった。危ない危ない。
再び咲沙さんの顔を見れば、眉を八の字にしてジト目を僕に向けている。唇を尖らせ頬は赤い。勝手な言い分だが、怒っているというより恥じらっているようだった。
この上ない幸福感に満たされた僕は「ごめんなさい。そしてありがとう」と伝えこの場を去ろうとしたが、咲沙さんに引き止められる。
「ちょっとちょっと! まだ終わってないじゃん!」
はて、何の事かなと記憶を巻き戻してみれば、そういえばまだ本題を終えていないことに気付いた。
「失礼。咲沙さんは優しい人だ」
「優しい? 私が? あははは! どゆこと、変なのー」
雨傘との片付け下手な会話に慣れていた僕には、軌道を正してくれる優しさが新鮮だった。これが雨傘なら腹を空かせたカラスの如くカーカー鳴いているところだろう。そして一緒に話題の詰まったゴミ袋を突っつくのだ。
そんな後輩の姿を思い起こしながら、咲沙さんへ返答する。
「僕が誘おうと考えているのは後輩だ。奴は僕だけが楽しい思いをすることを許せないらしい」
「男子?」
「女子……だと思う。消去法に則ると」
「へー。へー、へぇ~~」
声の調子もさることながら、咲沙さんの笑みは三段跳びさながらに勢いを増してゆく。
何を考えているかおよそ見当もつかなかったが、ギャルというのは俗っぽいようで神秘的なものなのだろう。
「全然オッケー。そういうことなら協力さしてよ」
「助かる。断られたらどうしようかと思っていた」
「なになに、そんなに嫉妬深いの? 可愛いじゃんか」
「恐らく僕は殺されていた」
冗談でもなんでもなく確かに存在する可能性を語ったのだが、咲沙さんはこれまでで一番の笑顔になった。
「あははははは! なにそれ仲良すぎ! あたしも気を付けないとなー」
こうして僕は雨傘の参加資格を勝ち取ったのだった。世話の焼ける後輩である。
誤解の無いようあらかじめ否定しておくが、決して僕が心細かったわけではない。命が惜しかっただけなのだ。
さてあまり時間もない。僕は足早に日陰者調査団の部室へ向かった。
一人寂しく好物の卵焼きを頬ばる雨傘の姿を想像しながら扉を開けたが、中には誰も居なかった。念のため本棚の隙間やテーブルの下など埃が溜まる場所を重点的に確認してみたものの、やはり姿は無い。
その後雨傘が属するクラスの教室を覗いてみたが空振りに終わる。たった二ヶ所の捜索を以って心当たりは全滅した。
放課後にまた出直すことにして僕は自分の教室へ戻った。とんだ無駄足を踏まされた。
ああ、素直に昼食を摂っておけばよかった。
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