【20】一一〇七

 私達は一度カラオケボックスまで戻りました。部屋まで荷物を取りに戻った咲沙さんと町田さんを見送り、私は入り口の外で待機中です。先輩は戻ってきたのでしょうか。


 一秒だけ中を覗いては隠れる、を繰り返している内に何故か一緒に中へ入っていた京塚さんと音矢くんが出てきました。


「なにやってんのさ小唄お姉さん」

「視線の別名を知ってますか? ヘッドショットって言うんですよ。音矢くんこそどうして中に」

「京塚がはしゃいでさ。丁お姉さん達の支払いを済ませてきたんだ」


 隣に立っている京塚さんが胡散臭い笑顔を作りました。お面の下は見えませんが、どうせ笑っているのでしょう。


「本来甘やかすべきではないのだろうけどね、まあそういうのは私以外の仕事さ。それに私は見境なくお金を使うわけではないよ。人との繋がりにお金を使う人は浮いた分を有効に活用してくれるはずだ、だから私は彼女達への投資を惜しまない」


「……さっきも言ってましたけど、投資ってどういうことですか」

「教えてあげたいところだけど、さしもの私も些か恥ずかしい。口にすると実に陳腐でね。だからまあ、物好きの道楽くらいに考えてくれ」


 繋ぎ目が分からないくらい流暢に言葉を並べ、煙に巻こうとする京塚さん。聞き流そうと思ったのですが、こうも意図が透けて見えるとナニクソという感情を噴火させてしまうのが雨傘小唄です。私は閃きのままに言いました。


「若い女の子が好きなだけでしょう」

「その通りだ。男も勿論大好きさ」

「げぇ」


 男同士の恋愛を否定するつもりは無いどころか推進派にもなり得る私ですが、しかしこうもあっけらかんと言われてしまえば下品な言葉も出てきます。


「疑い深いのは人によっては美徳だね。そうだな、それじゃあ一つ私の本心を伝えよう。雨傘ちゃん、キミのような子にはもっと不器用に生きて欲しいんだ」

「はい? 既に十分すぎるくらい器用じゃないですけど」


「それは否定できない事実だね。キミは見かけによらず感情的に動く子だった。だが理性と感情のバランスが大きく崩れているわけではない。私はそこをもっとずらしたいんだ。では何が必要か、答えは簡単さ。お酒だね」

「はぁ?」


 何を言われても噛みついてやる心持であった私をいなすように、京塚さんは意味の分からないことを言います。まさかこの人、私のようなか弱い女の子に無理矢理お酒を飲ませるつもりでしょうか。


 飲んでみたい気持ちはありますが、私の初アルコールの相手は先輩と決めています。私が無事成人した暁にはちょびっと高価なお店でべろべろに酔っぱらおうという約束があるのです。その日まで先輩もお酒を我慢してくれるとかなんとか。


 その約束を果たす日まで、お酒の味を知るわけにはいきません。断固として拒否します。なにより未成年ですし。


 という私の決意は杞憂に終わりました。


「未成年にお酒を飲ませるつもりはない。見くびってもらっては困るな。私はそこまで甘党ではない」


 京塚さんは私に向けて右掌を見せてきます。それから拳を握り掌側を空に向けて私へ差し出しました。


 解かれた拳の中からは飴玉が一つ出てきました。


 私はそれを受け取って包装紙を破り、ピンク色の飴玉を口へ含んで噛み砕きます。苺の味でした。


「高揚感が酔いに近しい。学生にとってのアルコールは青春だ」

「だから身体に良くないんですね」


 よくもまあ、それらしいことをペラペラと。


 私は青春なんて欲しくありません。不必要な物で身体を痛めつけるなんてまっぴらごめんです。


 そう、思っています。私には似合いませんから。


 不意にお尻を撫でられる感覚がありました。奴です。許すまじ小僧! 仏の顔もサンダーボルト!


 素早く振り返った私の目に映ったのは、音矢くんではなく町田さんでした。十中八九の残り一です。私のお尻を触っておきながら町田さんの口は真一文字に結ばれていました。


「雨傘さん。この後どうするの?」

「え……まあ、折角なので先輩に会って帰ろうかと」

「ふうん。私は暇」

「そうなんですか」


 感情の読み取れない瞳が私を呑み込まんとばかりに向けられます。


 一体何を考えているんでしょう……這い寄って来る恐ろしさに耐えられる気がしません。


「な、なんですか」

「予定はあるの?」

「無いですけど……」


 再び「ふうん」とだけ反応する町田さん。


 私はいま何を求められているのかしら。気を遣って世間話をしてくれているとか? だとすれば私の方からも話題を提供する必要があるということ。


 人生最大のピンチです。共通の話題こそ持っていますが、私の技量では文脈をズタズタにしていきなりアニメの話を持ち掛けるという悲劇が起きるでしょう。音矢くんのような子供が相手なら通用しますが、高校生相手ではお話にならないと鼻で笑われてしまいます。


 私のバカ! 考え無し! 予定が無いなんて言ったせいで話に一区切りつちゃった! つまりゼロから一を生めと言うこと! ここから自然に切り替えるにはどうしたらいいの助けて先輩。


「一緒だね」町田さんが言いました。


 前へ進むだけの会話に私の心中は混迷を極めました。私はそっと目を閉じました。眠ってしまえばこっちのものです。素早く入眠する為、私は羊を束ねる羊飼いの気持ちを想像しました。今日もたくさん働いたしさっさと寝るか!


 緩やかに現実から離れていく私の意識は、町田さんによって繋ぎ止められました。


「……そういえば。最合くんから雨傘さんの話聞いた」

「え、私の……?」

「聞きたい?」

「……まあ、気にはなるかもです」


 私が居ない場所で私をどう評しているのか気になったので、是非とも聞かせて貰おうと姿勢を正します。


「落ち着ける場所に行く?」

「えっと……まあ、はい。ちょっとなら」


 誘われたら断れない、悲しき私の性。別に町田さんが嫌なわけではないのですが、また喧嘩になりそうなので不安でした。


 町田さんがわずかに表情を柔らかくすると、なにやら恨みがましい目をした咲沙さんがお店を出てきました。計四つの鞄を両肩に二つずつ提げています。


「丁も手伝ってよ。ていうかなんであたしがあんたのまで持ってるわけ」


 咲沙さんの後ろからぞろぞろと人が出て来るのを見て、私は立ち眩みながらも両足を踏ん張り、誰とも視線が合わないよう注意を払いながら先輩の姿を探しました。奴らしき姿はありません。


 となると、咲沙さんが持っている鞄は。


「あ、あの……それ先輩のですか? わ、私っ、持ちますよ……えへへ」


 視界の上の方に映る咲沙さんの口元が綻びました。


「じゃあ甘えちゃおっかな。ありがと雨傘ちゃん。いい子だね」

「まあ……はい。そうなんです」


 勇気を出してふざけてみたところ、楽しそうに笑ってくださったので咲沙さんは良い人なのだと認識を改めました。陽キャの中にはこういった例外もいるようです。誰ですか一緒くたにしてワルクチを言ったのは!


 先輩の鞄を受け取り中を漁ってみると、プリトレの円盤が入っていて大変驚かされました。しかもライブのやつ……私も見たいです。きっと私と一緒に見るつもりなのでしょう。


 それから教科書やらお弁当箱やらを掻き分けていき、底にスマホを発見したので手に取ると、咲沙さんが言いました。


「そだ、せっかくだし連絡先交換しよ。ほら丁も」

「そういうことなら」


 二人もスマホを取り出して画面をいじくり始めます。しかし私の荷物一式は全て学校にあるのでした。


 どうしていいか分からず右往左往する私。誰か私を×してください。


「あ、ごめんね。イヤだったら無理にとは言わないよ」

「そうじゃなくて……あの、スマホ持って来てなくて」

「そなの?」


 まずいまずいまずい! 遠回りに断ったと思われていそうでまずいです! 私に気を遣ってくれたであろうになんという不義理を私は!


 頭の中がめちゃめちゃに掻きまわされます。どうしようもないかに思われましたが、人は追い詰められた際にこそ輝くのでしょう。一筋の光を見つけました。


「だっ、だから……あの。先輩の携帯で交換するのは……どうでしょう」


 そして何かしらの技術を用いて先輩のスマホから私のスマホへ転送する。これで万事解決花丸おっけー、私は天才に違いありません。


 先輩のプライバシーを危惧したのでしょう、咲沙さんが平気なのかと尋ねてきましたが私は迷いなく首を縦に振りました。可愛い後輩の危機なので許してもらえるでしょう。必要以上に中を漁ったりはしないのでご安心ください。


「人の携帯を見るなんて良くないよ」と口を挟んでくる音矢くん。


「先輩の物は私の物だから平気です」


 しかしここで一つの問題に直面します。冴え渡った妙案に痺れていたせいか、単純なことを見落としていました。ロックが掛かっているのです。なんと小癪な。


 四桁の暗証番号を求められ、最初に浮かんだ数字である先輩の誕生日を入力しました。手応えはあったのですが、なんと空振りに終わります。


「小賢しい真似を……」

「雨傘ちゃん無理しなくていーからね。今度でもいいし」

「むむむむむ……」


 まずい本当に見放されてしまう、という焦心が新たな閃きを引き寄せます。あまりにアホらしいので軽い気持ちで打ち込んでみると、なんと。


「えっ! ひ、開けました……」


 画面を咲沙さん達の方へ向けると拍手が返ってきたのですが、よく聞こえませんでした。


 胸がどきんこどきんこ暴れまわり、景色がとろりとしてきます。


 なぜならば、先輩が設定している暗証番号が一一〇七、私の誕生日だったからです。

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